12-7 山奥に響く消え入りそうな「祈り」
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
富士の裾野を揺るがした、十七年越しの復讐劇。父の仇・工藤祐経を討ち果たし、露と消えた曾我十郎祐成と五郎時致。英雄たちが去り、残された者たちには「その後」の長い人生が待っていた。
かつて大磯でその美貌を謳われた虎。彼女は今、深山幽谷の草庵で何を想い、誰のために祈るのか。
夏草を分け、露に濡れながら辿り着いた高麗寺の奥深き森。曾我の母と二宮の姉は、目の前にある、あまりにも心細い柴の庵を前に立ち尽くした。
(……本当に、ここに虎殿が?)
静寂が支配する森の中。二人が庵の周囲をそっと伺うと、中からかすかな、しかし凛とした声が聞こえてきた。
それは、日中の勤行を終え、誰に聞かせるでもなく、ただひたすらに繰り返される念仏の声だった。
「――南無阿弥陀仏。……南無阿弥陀仏」
その声のあまりの尊さに、二人は思わず居住まいを正した。母が意を決して戸を叩く。
「物申します。虎殿はいらっしゃいますか」
「……どなた様でしょうか」
静かに戸が開き、一人の女性が姿を現した。母と姉は、その瞬間に息を呑んだ。
かつて男たちを虜にした艶やかな髪も、華やかな小袖も、そこにはない。痩せ衰え、深く信仰に沈み込んだその姿は、古代中国の賢者「竹林の七賢」や「商山四皓」にも勝るほどの気高さを漂わせていた。
「あ……ああ! 曾我の母上様、そしてお姉様……!?」
虎の瞳に驚きと喜びが混じり、涙が溢れる。
「夢か現か分かりませぬ……! さあ、どうぞ中へ。何もない所ですが」
二人は庵の中に招き入れられた。三間ほどの小さな空間は、二間分が「道場」として整えられていた。
母と姉は、その内部をまじまじと見渡し、再び言葉を失った。祭壇は東向きに掲げられた阿弥陀三尊像。書棚には 浄土三部経、往生要集、そして法華経八巻が整然と並ぶ。 十郎祐成と五郎時致、二人の位牌が並び、花と香が絶やさず捧げられている。
「……虎殿。貴女は、十郎だけでなく、五郎のことまで……」
二宮の姉が、位牌の前に跪いて泣き崩れた。
「実の妹である私でさえ、ここまでのことはできませんでした。……これこそが、魂を誓い合った『偕老の契り』の真実なのですね」
母もまた、庵の清貧な佇まいを見て、自らの不甲斐なさを嘆いた。
「虎殿、七年の間、訪ねることもできず……。私とて、あの子たちを忘れた日はありません。けれど、私にはまだ幼い子供たちがおり、世間体や家族のことを思えば、貴女のようにすべてを捨てて墨染めの衣を纏う勇気が持てなかった。私は……志が足りない、うたてき母親です」
母は声を上げて泣いた。
「貴女のように、領地も頼りもない身でありながら、ただ前世の宿縁だけに引かれてあの子たちの菩提を弔う。その尊さ、哀れさに、私はただ圧倒されるばかりです。……どうか、教えてください。愚かな女である私が、どうすれば救われるのか。あの子たちが待つ浄土へ行く道を……」
虎は涙を抑え、静かに、しかし確信に満ちた口調で答えた。
「母上、お顔を上げてください。私がこうして生きていられるのは、ひとえに十郎様への想いがあったからです。……愛別離苦という最悪の苦しみすら、今は菩提(悟り)へと至るためのエネルギー(善知識)に変わりました」
虎は、自らの巡礼の記録を語り始めた。
「私は諸国を修行し、都に上り、あのお方――法然上人にお目にかかりました。上人は仰いました。『ただ一心に念仏を唱えなさい。それだけで、阿弥陀様の本願は貴女も、亡き人をも救い上げてくださる』と」
「私は疑いません。五郎殿も、十郎様と同じ煙となって消えましたが、二人は必ずや浄土で成仏されています。……母上、この世は一息ついて次の一息を待てぬほど儚いもの。宝の山に入りながら、手を空にして帰ってはいけません。……今こそ、急ぎましょう。頭に火がついた時にそれを払うように、一途に仏道を歩むのです」
「……ああ、ありがたい。……なんという尊いお言葉」
母も、姉も、そして同居する少将も、随喜の涙を流し、その場に伏した。かつては大磯の遊女として、男たちの欲望を捌いていた虎。
それが今や、誰もが教えを請いたくなるほどの「徳」を積み、絶望を希望へと変換する聖女へと進化を遂げていた。
「虎殿。……もっと、もっと詳しく教えてください。阿弥陀様へ至る道を」
秋の山奥、小さな庵。そこにはもう、復讐の血生臭さも、親子の憎しみもなかった。ただ、亡き人を想い、共に「救い」を目指す、四人の女性たちの静かな熱気が満ち溢れていた。
曾我兄弟の伝説。それは、富士の裾野での「武勲」ではなく、この山奥での「祈り」によって、真の完結を迎えようとしていた。
曾我物語 巻第十二(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔虎出で合ひ、呼び入れし事〕
やや久しく立ちめぐり、此方彼方を見ければ、内にかすかなる声にて、日中の礼讚もはてぬと思しくて、念仏忍び忍びに、心細く申しけるを聞き、尊く覚え、戸を叩き、「物申さん」と言へば、虎立ち出でて、「誰そ」と答ふるを見れば、未だ三十にもならざるが、殊の外にやせ衰へ、いつしかおいの姿に打ち見えて、濃き墨染の衣に、同じ色の袈娑を掛け、青なる数珠に、紫の蓮華取り具して、香の煙にしみ帰り、かしこくも思ひ入りたる其の姿、竹林の七賢、商山に入りし四皓も、是には如何で勝るべきと、羨ましくぞ覚えける。此の人々を只一目見て、夢の心地して、「あら珍しと、御渡り候ふや。更に現共覚えず候ふ。先づ内へ入らせ給へ」とて、二間なる道場を打ち払ひ、「是へ」と請じ入れつつ、なき人の母や姉ぞと見るよりも、流るる涙抑へ難し。母も姉も、泣く泣く庵室の体を見まはせば、三間に作りたるを、二間をば道場にこしらへ、阿弥陀の三尊を東向きに掛け奉り、浄土の三部経、往生要集、八軸の一乗妙典も、机の上に置かれたり。又、傍に、古今、万葉、伊勢物語、狂言綺語の草子共、取り散らされたり。仏の御前に、六時に花香あざやかにそなへ、二人の位牌の前にも、花香同じくそなへたり。二宮の姉言ひけるは、「あら有り難の御志の程や。是を忘るまじき事と思ひ給ひて、二人の位牌を安置し、弔ひ給ふ事よ。偕老の契り浅からずと申すも、今こそ思ひ知られて候へ。但し、是に十郎殿ばかりをこそ弔ひ給ふべきに、五郎殿まで弔ひ給ふ事の有り難さよ。童は、現在の兄弟にて候へども、是程までは思ひ寄らず、いずれも前世の宿執にて、善知識となり給ひぬ」と言ひもはてず、涙を流しければ、母も少将も、声立つる計にぞ悲しみける。やや有りて、母言ひけるは、「十郎が事、忘れる事も候はねば、常にも参り見奉りたく候ひしかども、心にも任せぬ女の身なれば、人の心をも憚るなどとせし程に、今まで斯かる御住まひをも見参らせず候ふ。彼の者共が七年の追善、曾我にて取り営み、又、御有様をも見参らせたく候ひて、是なる女房を誘ひ、是まで来たりて候ふぞや。又、親子恩愛のいたつて切なる事、人の申し習はすをも、我が身の上かと思はれ候ふ。年月やうやう過ぐれども、忘るる事も候はず。然れば、様をかへんと思ふも、おさない者共捨て難くて、思ひも切らず候ふ。是と申すも、志のいたつて切ならざるかと、我が身ながらも、うたてく覚え候ふ。御身も、さして久しき契りにても坐しまさず。其の上、所領持ちて、頼り有る事ならねば、思ひ出がましき事も無し。只偏に前世の宿執に引かれて、互ひに善知識になり給ひぬと、余りに尊く、哀れに覚えて、我等までも、一蓮の縁を結ばばやと思ひ候ふ也。凡そ、人間の八苦、天上の五衰、今に始めぬ事にて候へ共、前業のつたなき身なれば、無常の理にも驚かず、つれなく浮き世にながらへ候ふ。我が身ながらも、あさましく候ふ。然るに、五障三従の身ながらも、幸ひに仏法流布の世に生まれて、出離生死の道を求むべく候へども、女人の愚かさは、其れも適はず候ふ。面々は、此の程思ひ取り給ふ事なれば、後生の助かるべき事をも知らせ給ひて候ふらん。哀れ、語らせ給へかし。適はぬまでも、心に懸けて見候はん」と言ひければ、虎、涙を止めて申しけるは、「誠に是まで御入り、夢の心地して、御志、有り難く思ひ参らせ候ふ。斯かる身と成りはてぬるも、しかしながら、十郎殿故と思ひ奉れば、時の間も、忘るる事も侍らず。此の世は不定の境、其れは愛別離苦の悲しみを翻して、菩提の彼岸に至る事もやと、聖教の要文共、少々尋ね求め、然るべき善知識にもあひ奉るかと、諸国を修行し、都に上り、法然上人にあひ奉り、念仏一行を受け、一筋に浄土を願ひ候ふなり。あの尼御前は、我が姉にて坐しまし候ふ。自らをうらやみて、同じともに様をかへ、一庵に閉ぢ籠り、行ひ候ふなり。今思ひ候へば、此の人は、発心の便りなりけりと、嬉しく覚え候ふ。其の上、我等、不思議に釈尊の遺弟に連なりて、比丘尼の名を汚す、忝くも、本願の勝妙を頼み、三時に六根を清め、一心に生死を離れん事を願ひ候ふ。本願如何でか誤り給ふべきと、疑ひの心も候はず。五郎殿も、同じ煙と消え給ひしかば、二人共に、成仏得脱と弔ひ奉らん為に、二人の位牌を安置して候ふなり。諸法従縁起とて、何事も縁に引かれ候ふなれば、二人共に、順縁逆縁に、得道の縁とならん事、疑ひ有るべからず。凡そ、分段輪廻の郷に生まれて、必ず死滅の恨みをえ、妄想如幻の家に来ては、遂に別離の悲しみ有り。出づる息の、入る息を待たぬ世の中に生まれ、剰へ、あひ難き仏教にあひながら、此の度、空しく過ぐる事、宝の山に入りて、手を空しくするなるべし。急ぐべし急ぐべし、頭燃払ふ如くと見えて候へば、相構へ相構へ、仏道に御心を懸け、浄土へ参らんと思し召すべきなり」と申しければ、母も、二宮の姉も、渇仰肝に銘じて、随喜の涙を流して、申しけるは、「世路に交はる習ひ、世の中の営みに心を懸け、二度三途の故郷に帰り、如何なる苦患をかうけ候はんずらんと、予て悲しく候ふ。然れば、尊きにもあひ奉り、女人の得道すべき法門、聞かまほしく候へ共、然るべき縁無ければ、とかく過ぎ行き候ふ所に、今の法門を承り候へば、尊く思ひ奉り候ふ。念仏申すとて、人なみなみに唱へ申せども、何と心を持ち、如何様なる趣にて、往生すべく候ふや、かつて思ひ分けたる事も候はず。同じくは、ついでに、詳しく承り候はば、如何ばかり嬉しく候ひなん」と言ひけれ。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




