12-6 止まった時間、巡る季節
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
あの日、富士の裾野が鮮血と執念に染まった「曾我兄弟の仇討ち」から、早くも七年の月日が流れようとしていた。
「――あの子たちなら、今頃どうしていただろう」
曾我の里。かつて兄弟が育ったその家で、母は今日も独り、空を見上げていた。
あの日から、彼女の時計は止まったままだ。一日、一刻たりとも、息子たちのことを忘れたことはない。
街ですれ違う、息子たちと同じ年頃の若者を見るたび、その面影を重ねては胸を締め付けられる。病で死ぬ者を見れば、「せめてあの子たちも、病であったなら最期まで看病してやれたのに」と、叶わぬ願いを繰り返す。
ただ一言、「行って参ります」と笑顔で出かけていったあの日が、まさか永遠の別れになるとは。
「お母様、またあの子たちのことを?」
静かに声をかけたのは、二宮の姉だった。彼女もまた、兄弟を深く愛した家族の一人。母は、彼女が来るたびに溜め込んできた愁いを語り、共に涙を流すことで、辛うじてその命を繋ぎ止めていた。
つながぬ月日は、無情にも、しかし着実に流れていく。建久四年から数えて七年。五月二十八日――。あの日と同じ、兄弟の命日がやってきた。
「……今日で七年ですね」
母は、供養の準備を終え、二宮の姉に切り出した。
「十郎が命を懸けて愛した、大磯の虎。彼女のことを覚えていますか? あの百箇日の法要の後、彼女は箱根で髪を下ろし、尼となりました。その後、善光寺に二年も籠もり、諸国を修行して回った末……今は大磯の高麗寺の山奥で、独り静かに行を積んでいると聞きます」
母の瞳に、かすかな光が宿る。
「いざ、参りましょう。あの子たちが愛した女性が、今どのような姿で過ごしているのか。……この目で見届けたいのです」
「お母様がそう仰るなら、どこまでもお供いたしますわ」
二人は曾我の里を立ち出でた。中村の集落を抜け、険しい山彦山を打ち越える。
道中、夏草は背丈ほどにも生い茂り、二人の行く手を阻む。一歩進むごとに、袖は涙に濡れ、裾は朝露にしおれる。それは、まるであの日の兄弟の、過酷な逃亡劇を追体験しているかのようだった。
「……この先に、本当に虎殿が?」
不安に駆られながらも、二人は高麗寺の山奥へと分け入っていく。そこで道端に佇む里の翁を見つけ、母は問うた。
「お爺様。……このあたりに、虎御前と呼ばれた方が尼となり、住まわれている場所はございませんか?」
老翁は、やつれ果てた二人の貴婦人を憐れむように見つめ、一箇所を指差した。
「……ああ。あそこに見える山奥、森が深く茂っている所……あそこにある小さな草庵こそ、あの方のお住まいですぞ」
教えられた場所へと足を踏み入れた二人は、その光景に言葉を失った。
そこは、およそ人が住む場所とは思えないほど、儚く、心細い住まいだった。垣根は手入れされることなく、蔦や朝顔が幾重にも絡みついている。軒先は「忘れ草」が茂り、露を深く湛えている。それはまるで、物思う人の湿った袖のようだ。
庭には蓬が背高く伸び、もはや人間の庭というよりは、鹿が体を休める「ふしど(寝床)」のよう。かつての「大磯の虎」といえば、豪華な装束に身を包み、多くの武士を虜にした絶世の美女。
それが今や、聖賢・顔淵が住んだという貧しい裏路地や、隠者・原憲のボロ小屋さえ凌ぐほどの、徹底した「無」の中に身を置いている。瓢箪は空っぽで、雨が扉を濡らす。
あまりにも寂しく、一見すれば廃屋かと思われるようなその場所が、十郎が命懸けで愛した女性の、今の「拠点」だった。
二人は、その荒れ果てた草庵の前に立ち尽くした。草葉を揺らす風の音以外、何も聞こえない。
「……虎殿。虎殿はいらっしゃいますか」
母の声が、静寂に震える。復讐の嵐が去った後、七年の歳月をかけて「祈り」へと昇華された彼女たちの物語。
扉の向こう側に、一体どのような姿の聖女が待っているのか。母と姉は、涙を拭い、静かにその「境界」を跨ごうとしていた。
曾我物語 巻第十二(明治四十四年刊 國民文庫本)
〔二宮の姉、大磯へ尋ね行きし事〕
さて、曾我の母御前は、一日片時も、世にながらへべき心地は無けれ共、力及ばぬ浮き世の習ひなれ、思はずに年月をぞ送りける。人の子の、同じ齢なるを見ても、二人が面影身に添ひて悲しく、人の病にて死するをも、彼等がせめてかくあらば、取り扱ひし物をとも言ふべきに、仮初に立ち出でて、二度帰らぬ別れこそ、神ならぬ身のつらさなれ。余りの恋しさの折々(をりをり)は、常に二宮の姉を呼び、憂き事共を語り合はせて、泣くより外の事ぞ無し。つながぬ月日なれば、第三年も送り、七年にあたる程に、五月二十八日、二宮の姉を呼び、言ひけるは、「今日は、此の者が七年忌にあたり候へば、追善を営み、弔ひ侍るなり。さても、十郎が契り深かりし大磯の虎、百ケ日の仏事のついでに、箱根にて尼に成り、御山より行き別れしが、善光寺に、一両年籠り、其の後、諸国を修行して、当時は、大磯に帰り、高麗寺の山の奥に、行ひすまして候ふ也。いざさせ給へ、虎が住所見ん」と言ひければ、「童も、さこそ思ひ候ふに、御供申さん」とて、二人、曾我の里を立ち出でて、中村を通り、山彦山を打ち越えて、高麗寺の奥に尋ね入り、夏草のしげみが末を分け行く程に、袖は涙、裾は露にしをれつつ、彼の辺なる里の翁に問ひけるは、「虎御前と申せし人の、尼に成りて住み給ふ所は、何処にて候ふやらん」と問ひければ、「あれに見え候ふ山の奥に、森の候ふ所こそ、彼の人の草庵にて候へ」と教へければ、嬉しく分け入り見れば、誠にかすかなる住まひにて、垣には蔦・朝顔はひかかり、軒には荵まじりの忘れ草、露深く、物思ふ袖にことならず。庭には蓬おひ茂り、鹿のふしどかとぞ見えし。瓢箪しばしば空し、草顔淵が巷にしげし、藜蓼深くとざせり、雨原憲が枢をうるほすとも見えたり。誠に心細く、人の住み処とも見えず。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




