12-2 独りゆく墨染めの旅路
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
建久四年、秋。箱根の山で曾我兄弟の百箇日の法要を終えた大磯の虎は、一人、修羅の道へと踏み出した。
かつては「日本一の美女」と謳われた彼女も、今は髪を剃り、墨染めの衣に身を包んだ一人の尼僧。
箱根を後にした虎の旅路は、孤独そのものでした。
かつては十郎と共に歩いたかもしれない道。あるいは、彼が自分に会うために駆けた道。
初日は三嶋の拝殿で通夜を行い、夜明けと共に再び西へ。
南を見れば、蒼々とした海が広がり、田子の浦の波が滔々と打ち寄せる。北を見れば、険しい松山がそびえ、裾野から吹き下ろす嵐が颯々と彼女の頬を打つ。
(……あの日、十郎様もこの風を感じていたのでしょうか)
旅慣れぬ身。どこがどこかも分からない。けれど、虎の足が止まることはありませんでした。彼女の胸にある「十郎を想う心」が、羅針盤のように彼女を導いていたからです。
ようやく、井出の里に辿り着いた頃。虎は道端にいた一人の老人に声をかけた。
「お爺様。……お尋ねします。去る夏の頃、この地で親の仇を討ち、そして自らも散っていった曾我の人々の……その最期の場所を教えてはいただけないでしょうか」
老翁は手を止め、虎の顔をじっと見つめた。墨染めの衣を纏いながらも隠しきれない高貴な気品。そして、その瞳に宿る、決して消えることのない深い哀しみ。
「……もしや貴女様は、十郎殿が深く愛されたという、あの大磯の虎御前様ではございませんか?」
その言葉に、虎の目から涙が溢れた。
「……はい。左様にございます。……私は、あの方の最期を見届けたい一心で、ここまで参りました」
老翁は深く頷き、自らも袖で涙を拭う。
「……左様でしたか。お労しや、供の者も連れず、ただお一人でここまで……。若殿への想い、誠に並大抵のものではございませんな。……承知いたしました。この井出の者が、ご案内いたしましょう」
老翁に導かれ、野を分けること六、七町。秋の夕暮れ、峰から吹き下ろす嵐の音が、寂しく周囲に響き渡る。
「……虎御前様、ご覧なさい。あそこです」
老翁が指差した場所。そこは、かつての華やかさが嘘のように、ただ草が揺れるだけの空き地。
「あの辺りが、工藤左衛門尉殿が討たれた場所です」
「そして、あちら。あそこで十郎殿が、新田殿と正々堂々戦い、討ち死にされました」
「五郎殿が捕らえられたのは、そのすぐ側。……さらに、あそこに見える松の木の下。あそこが、お二人の死骸を埋葬した場所でございます」
虎は、一塊の松の木の下へと駆け寄った。そこには、周囲より少しだけ盛り上がった土があった。
五月の末に散った二人の跡には、今やハギ、ススキ、ヨモギが生い茂り、一見すればただの野原にしか見えない。
「……ああ、十郎様……。ここに、貴方はおられるのですね……」
虎はその場に伏し、冷たい土を抱きしめるようにして泣いた。
「私も一緒に、この苔の下に埋もれてしまえたなら。……黄泉の国とはどのような場所なのですか。なぜ、一度行けば二度と帰ってはくれないのですか」
どれほど泣き続けただろうか。日はとっぷりと暮れ、あたりに不穏な獣の気配が漂い始めた。
「虎御前様、もういけません。夜になると、この地には『狼』という恐ろしい獣が現れ、道行く人を襲います。……これ以上ここに留まるのは危険です」
老翁は虎の肩を優しく叩きました。
「……今宵は、私の貧しい伏屋でよろしければ、一夜をお明かしください。旅の苦労は承知しておりますが、命を捨てては若殿も悲しまれましょう」
虎は、老翁の深い慈愛に感謝し、墓の側で最後の念仏を唱えた。
「……過去の幽霊、成仏得脱」
その声は夜風に乗り、きっと十郎の魂へと届いたに違いありません。虎は震える指先で、近くの草を摘み、その想いを歌に詠む。
『露とのみ 消えにし跡を きて見れば 尾花が末に 秋風ぞ吹く』
(露のように消えてしまった貴方の跡を訪ねてみれば、ススキの穂先を秋風が虚しく吹き抜けるばかりです)
『浮き世ぞと 思い染めにし 墨衣 今また露の 何と置くらん』
(この世を儚いものと悟って身にまとった墨染めの衣。今また、私の涙の露が、その袖を濡らしています)
一夜明け、野原の露に袖を濡らしながら、虎は再び歩き出す。
空にたなびく富士の煙。その煙さえも、自分の心に燻り続ける「つらき思い」の影のように感じられる。
道端の草むらで鳴く虫たちの声さえ、彼女の哀しみに和唱しているかのようだった。
やつれ果てた旅衣。けれど、その瞳には「十郎の分まで祈り抜く」という、尼僧としての透徹した意志が宿っていました。
一歩、また一歩。
彼女は思い出の地・井出を離れ、次なる宿場、手越の宿へと辿り着く。
曾我物語 巻第十二 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔井出の屋形の跡見し事〕
虎は、只一人、十郎の空しくなりし富士の裾、井出の屋形の跡を志して、箱根を後ろになして行く程に、其の日も、やうやう暮れぬれば、三嶋の拝殿に通夜申し、明くれば、三嶋を出でて、車返しに立ちやすらひ、千本の松原、心細く歩み過ぎ、浮島原にも出でぬ。南は、蒼海漫々として、田子の浦波滔々たり。北は、松山高々として、裾野の嵐颯々たり。未だ旅なれぬ事なれば、彼処を何処とも知らねども、志をしるべにて、やうやう歩み行く程に、井出の里に近付きぬ。虎は、里の翁にあひて、問ひけるは、「過ぎにし夏の頃、鎌倉殿の御狩の時、親の敵打ちて、同じく打たれし曾我の人々の跡や知らせ給ひ候ふ。教へさせ給へ」と言ひければ、此の翁、心有る者にて、虎が顔を、つくづくと見て、「もし御縁にて渡らせ給ひ候ふか。いたはしき御有様かな、人をもつれさせ給ひ候はず、只一人、是まで御尋ね候ふ事、なほざりの御志とも覚えず。もし十郎殿、御志深く渡らせ給ひし、大磯の虎御前にて御座しまし候ふか。有りの儘に承り候はば、教へ参らせん」と言ひければ、虎は、是を聞き、別れの涙、未だかわかぬに、又打ち添へて、賎の男が情の言葉に、愁への色現れて、問ふにつらさの涙、忍びも敢へぬ気色を見て、翁、然ればこそと思ひて、共に袖をぞ絞りける。「然らば、いざさせ給へ」とて、北へ六七町、遙かに野を分け行けば、なき人のはてにける草葉の露かとなつかしく、「洲蘆の夜の雨、他郷の涙、岸柳の秋の風の、遠塞の情」とかやも思ひ出でられて、何処とも無く行く程に、日も夕暮の峰の嵐、心細くぞ聞こえける。翁、或る方を爪ざして、「あれこそ、出での屋形の跡にて候へ。あの辺こそ、工藤左衛門殿打たれさせ給ひ候ふ所にて候へ。又、彼処は、十郎殿の打たれさせ給ひ候ふ所、此処は、五郎殿御生害の所、扨又、あれに見え候ふ松の下こそ、二人の死骸を隠し参らせたる所候ふよ」と、懇ろに教へければ、虎、涙を抑へ、かつうは嬉しく、かつうは悲しくて、只泣くより外の事ぞ無き。彼の一むら松の下に立ち寄り見れば、実にも、うづもれて覚え候ふ土の、少し高く見えければ、過ぎにし五月の末の事なれば、花薄、蓬、葎おひ茂り、其の跡だにも見えざりけれども、なき人の縁と聞くからに、なつかしく覚えて、塚の辺に伏しまろび、我も同じ苔の下にうづもれなば、今更斯かる思ひはせざらまし、黄泉、如何なる住み処なれば、行きて二度帰らざると、伏し鎮みける有様、例へん方こそ無かりけれ。翁も、心有る者なれば、共に涙をぞ流しける。諸共にかくては適はじとや思ひけん、「御歎き候ふとも、其の甲斐有るまじく候ふ。夜になれば、此の所には、狼と申す物、道行く人を悩まし候ふ。御止まり候ひて、適ふまじく候ふ。是より御帰り候ひて、今宵は、賎が伏屋なりとも、御止まり候ひて、一夜をあかさせ給ひ候へ。旅は、何か苦しく候ふべき」と申しければ、「嬉しくも宣ふ物かな。此の辺、懇ろに教へ給ふに、宿まで思ひ寄り給ふ事の嬉しさよ。然様に恐ろしき者の候ひて、身を捨てても、何にかはすベき」とて塚の辺にて念仏申し、「過去幽霊、成仏得脱」と回向すれば、十郎の魂霊も、如何計嬉しと思すらんと、思ひ遣られて、哀れ也。虎、涙の隙より、かくぞ連ねける。露とのみ消えにし跡をきて見れば尾花が末に秋風ぞ吹く浮き世ぞと思ひ染めにし墨衣今又露の何と置くらん かくて、井出の辺を行き別れ、其の夜は、翁の所に止まり、明けぬれば、野原の露にしをれつつ、足に任せて行く程に、富士の煙を見ても、つらき思ひにたぐへつつ、其処とも知らぬ道の辺の、草むらごとの虫までも、鳴く音を添へて、哀れなり。実に、只だにも、秋の思ひは悲しきに、やつしはてぬる旅衣、いとどつらさを重ねつつ、たどり行く程に、手越の宿にぞつきにける。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。




