ep009「祝われるほど、犯人が消し飛ぶ」
地雷原の開場時刻に、俺は自分の足で来た。
花綱の天蓋、胡桃菓子の匂い、祝い唄。ウォルナ中の幸福が一箇所に集まった広場は、俺の充実度にとっては火薬庫である。
「作戦、もう一回言うぞ。クララさんは『はい』しか言えないふりを続ける。犯人は油断して現れる。あとは待つ」
「はい」
リゼットが淡々と応じた。
「あなたは、ぎりぎりまで爆ぜないでください。それだけです」
「その一言に人生かかってるんだよな、俺の場合」
天幕の陰では、白い衣のクララが喉に手を当てていた。当てて、それから、下ろした。
「クララさん。きつかったら途中でやめていい。誰も責めない」
「はい」
声とも呼べないほどの小声。だが目は、まっすぐ広場を向いている。
やめる気はないらしい。テオが隣で、彫りかけの胡桃を握ったまま頷いた。
天幕を出た途端、これである。
「魔道士様だ!」
「花嫁様を助けにきてくださった方だよ!」
拝まれた。手を合わせられる。子どもに胡桃菓子まで握らされて、目の端の数字がするする動く。
着地の5%が、あっさり10%。
「まだ祝言、始まってもいないんだが!?」
「賞賛は安いけど、数が出るのよ」
花綱の上で、白猫が尻尾を振った。
ちなみに解呪料はまだ一銭ももらっていない。給金は今月も香が六束である。
参列の輪に、胡桃染めの上着が見えた。
感じの良い若旦那が、こちらへ丁寧に頭を下げてくる。俺も下げ返した。
いま睨んだら台無しだ。泳がせろ。
鐘が鳴り、司婚役が進み出る。
広場が、静まった。
誓問の儀。
「テオ。この者を妻とし、生涯変わらず添い遂げるか」
「はい」
迷いのない声だった。司婚役が、花嫁へ向き直る。
「クララ。この者を夫と――」
「お待ちを」
参列の輪が、割れた。
「その『はい』は、花嫁ご自身の意志ではありません」
朗々と、よく通る声だった。モーガンが、天蓋の下へ進み出る。
「町の皆がご存じのとおり、クララさんは『はい』としか言えない。呪われた喉が返す『はい』に、いったい何の誓いがありましょうか」
ざわめきが波になって広がった。
もっともらしい。実に、もっともらしい。
そしてモーガンは、花嫁へ向き直る。
「クララ。呪いのない、あなた自身の答えを聞かせてほしい。――私と、来てくれるね?」
笑みの形はそのままで、目だけが笑っていなかった。
(衆目の前で『はい』を取る気だ。取ってしまえば、誰にも覆せない)
クララが、顔を上げた。
喉が震えて、それから、五日ぶんの重さを乗せた声が、広場のいちばん端まで届いた。
「いいえ」
誰も動かなかった。花綱が風に鳴る音だけがした。
テオが、その手を握る。それだけで足りるという握り方だった。
「解けてる……呪いが、解けてるぞ!」
どよめきが弾けた。
町の誰もが、五日前から花嫁は「はい」しか言えないと知っている。だからみんな、破れた呪いに驚いている。
ひとりだけ、驚き方が違った。
「なぜ……なぜ『いいえ』が言える!?」
(そこかよ)
(広場のみんなが驚いてるのは、呪いが破れたことだ)
(こいつだけは違う。振られたことじゃない。あの喉から『いいえ』が出てきた、その一点に腰を抜かしてる)
(出るはずがないと知っている顔だ。何が封じられていたか、正確に知ってる奴の顔)
(だから絶対に断られないと決めてかかって、衆目の前で口説きにきた。そんな博打が打てるのは――誂えた奴だけだ)
リゼットが一歩前へ出て、帳面を開いた。
「モーガンさん。祝いの品はすべて、この控えに載ります。ですが、あの器だけは、どの家の頁にもありません」
紙が乾いた音を立てる。
「集荷を通さず、直に山へ差し込む。あなたにしか、できません」
「言いがかりだ! 私は厚意でその帳面を――」
「モーガンさん」
テオの声は、震えていなかった。
「あなたは以前、クララを嫁にと望まれました。……クララが、お断りしました」
手段。動機。そして、たったいま自分の手で晒した手口。
三本の線が、一点で結ばれる。
感じの良い若旦那の顔から、感じの良さが剥がれ落ちていった。
「ついでに申し上げます」
リゼットが帳面を閉じた。
「地元では解けないと請け合った術者は、もう町にはいません」
「逃げ足だけは達者かよ」
「黙れ……黙れ黙れ黙れ! その女は、私のものだ!」
伸びた手が、クララへ――
その瞬間、広場が沸いた。
「花嫁様が呪いを撥ね除けたぞ!」
「魔道士様が悪党を暴いてくださった!」
歓声。器のぶつかる音。誰かが祝い唄を頭から歌い出し、輪ができて、回りはじめる。
降ってきた胡桃が、石畳で乾いた音を立てて跳ねた。
「《カタストロフ》様に!」
唱和。三度。担ぎ上げようと、四方から手が伸びてくる。
待て。待て待て待て。
危機が去ったあとの歓喜が、まっすぐ俺のゲージへ流れ込んだ。10%台が、坂を転げ登りはじめる。
「祝言で満タンって、どういう招待客だ俺は!」
考えるより先に体が動いた。モーガンの襟首を掴み、招待客と逆の方向へ全力で走る。
背中に歓声が追ってくる。追うな。祝うな。祝われるほど積まれるんだよ、この体は。
一歩ごとに、ありがとう、が増える。よかった、が増える。おめでとう、が積み重なる。
頭の芯が焼けた。指の先まで熱が回って、視界の端が白く滲みはじめる。
花綱の下を抜け、胡桃菓子の卓を回り込み、並木へ。まだ足りない。爆心圏に、まだ町がある。
――数字を見るまでもない。この滲み方は、九割の後半だ。
(思い出せ。前世の卒業アルバム、俺の頁の寄せ書き)
(三行。うち一行は担任)
(告白経験、通算ゼロ。片想いのまま卒業した回数、四)
98%が、92%まで落ちた。
「効いてる自分が、いちばんつらい!」
「よく下がるわねえ」
並走する白猫が、感心したように言う。
「傷が深いのね」
「実況やめろ!」
胡桃並木を外れた空き地。人影なし。祝いの品なし。町は遠い。
位置、よし。
襟首を掴んだままの男を、足元へ据える。
背後の広場は、まだ沸いている。祝福は防げない。祝われるほど、俺は満ちる。
(――なら、この満タン、有効活用させてもらう)
(祝われるほど、犯人が消し飛ぶ。そういう体なんだよ、これは)
充実度100%。
「――爆ぜろ、俺」
閃光。轟音。降ってくる灰。
0%。
晴れた視界の真ん中で、黒焦げのモーガンが白目を剥いて、行儀よく伸びていた。無傷なのは、相変わらず俺だけである。
人生で初めて、狙った相手に爆発を当てた。
駆けつけた衛兵に、縄をかけて引き渡す。ギルドへの引き渡し状はリゼットが書いた。字が、無駄に上手い。
「爆発が私刑にならない男、初めて見たわ」
灰を踏んで、白猫が歩いてくる。
「……一応、監査には『正当な捕縛』で通しとくから」
「通るのかそれ」
広場へ戻ると、町はさらに大騒ぎになっていた。
肩を叩かれ、手を握られ、また胡桃を握らされる。0%だったはずの数字が、もう10%を超えている。
「リセットした側から積むな!」
だが、事件は片付いた。あとは、やり直しの誓いだけだ。
誓問は、最初からやり直された。
司婚役の咳払い。テオの「はい」は、さっきより早かった。
そして、問いが花嫁へ向く。
「クララ。この者を夫とし、生涯変わらず添い遂げるか」
クララがテオを見た。
呪いに言わされるのでも、誰かに奪われるのでもない声で。
「はい」
胡桃が舞った。
乾いた実が石畳を跳ね、転がり、子どもたちが笑って追いかける。固い契りの縁起物だ。
祝い唄が広場の端まで届いて、そこで町がひとつ、大きく息を吐いた。
俺のゲージが、じわりと数%。……今度こそ、爆ぜる前に逃げ切れそうだ。
翌朝。荷馬車が、胡桃並木を抜けていく。
荷台には山盛りの胡桃。報酬である。
「香に続いて胡桃。俺の資産、乾物ばかり増えるな」
「腹は膨れます」
「路銀にはならんのだよ」
並木の下に、クララとテオが並んで立っていた。
クララが息を吸って、自分の声で言う。
「いってらっしゃい」
五日ぶんの重さは、もうどこにもない。ただの、朝の挨拶だった。
着地、充実度10%。悪くない数字だ。
街道へ出たところで、リゼットが帳面から顔を上げた。
「次の町に、少し妙な噂が」
その目が、灰の野原で初めて俺を見たときと同じ色に、少しだけ輝いた。
胡桃を抱えた荷馬車が、並木の緑陰を抜けていく。
――また、地雷原の予感がする。だが不思議と、足は止まらなかった。




