ep010「次の町でも、助けた娘に惚れられて爆ぜた」
豊かな里だった。斜面いっぱいの扁桃の花、実を叩き落とす竿の音、搾油小屋の甘い匂い――なのに、すれ違う里人の顔には、一様に翳りがある。
収穫は上々らしい。籠は溢れそうで、それを担ぐ足取りだけが重い。
ウォルナを発って二日。リゼットが仕入れ網で掴んだ妙な噂の正体は、この落差の理由そのものだった。果樹の里アーモは魔物に脅かされ、里を守る自警団に、法外な守り賃を払わされている。
「豊かな里ほど、搾り甲斐があります」
果樹を見上げて、リゼットが淡々と言った。
――ああ。また、地雷原の匂いがする。
ところが、里の入口をまたいだ途端、様子がおかしくなった。
「《カタストロフ》様だ!」
「悪党を消し炭にした、あの……!」
竿を放り出した男が駆けてくる。籠を抱えた女が道の脇で膝をつき、手を合わせる。
ウォルナで爆ぜた噂が、俺より先に着いていた。拝まれるたび、目の端の数字が数%ずつ積み上がる。10%台が、あっさり20%に届いた。
「まだ何もしてないんだが!?」
「藁ってのはね、すがる側が必死なほど太く見えるのよ」
荷台の縁で、白猫が欠伸をした。
拝む指先が、揃って震えていた。
しかも、里の年寄りが孫にこう説明していた。あの御方の爆発は日課の修練だ、と。
修練で里ひとつ吹き飛ぶ男が、どこの世界にいる。
ついでに路銀の当ても消えた。荷台の胡桃を広場の商人に見せたら、気の毒そうな顔をされた。
「うちは木の実、間に合ってるよ旦那」
木の実を、木の実の里に売りに来た男である。給金は今月も香が六束だ。
その英雄フィーバーの中に、ひとりだけ、拝まない娘がいた。
搾油小屋の壁にもたれて、こちらを見ている。手籠には落とし切れなかった扁桃の実。
目が、冷えていた。
「見物料ならとらないぞ」
「あんたも拝まれに来た口?」
「拝まれる方で困ってる」
娘は鼻で笑った。ネル、と名乗った。斜面の上の果樹園が、うちの畑だという。
案内された樹の幹に、板が打ちつけてあった。墨で書かれた差し押さえの文言と、自警団の判。
同じ板が、隣の樹にも。その隣にも。
母屋を覗くと、卓の椅子がひとつ、埃をかぶったまま空いていた。
「兄さんは守り賃のカタに連れて行かれたきり。手が減って収穫が落ちて、落ちた分また払えない」
泣かない娘の声だった。
「英雄様が来たら、この樹の守り賃、代わりに払ってくれるの?」
返す言葉を探しているうちに、斜面の下から荷車の音がした。
「ネルんとこ、今年ぶんだ!」
自警団だ。先頭の大男が顎で示すと、部下が籠ごと実をさらっていく。
頭のドレク。隠す気がまるでない顔だった。
「魔物からこの里を守ってやってるんだ。三割で済んでるのを、ありがたいと思え」
誰も逆らわない。竿の音が止まって、斜面が静かになった。
里の翳りの正体、こいつじゃないのか。
声には出さなかった。出したところで、いまの俺にあるのは拳だけだ。
「ねえミツル」
傍らの白猫が、遠ざかる荷車を目で追って鼻を鳴らした。
「この里の魔物、出方が妙ねえ。都合よく出て、都合よく守り手が来るのよ」
「気まぐれで怖いこと言うな」
言い終わらないうちに、斜面の上で悲鳴が上がった。
枝の裂ける音。籠のひっくり返る音。
扁桃の樹をなぎ倒して、熊型の魔物が果樹園へ降りてきた。
里人が転げるように斜面を逃げていく。
ネルだけが動かなかった。動けなかった、が正しい。足元には、さっき奪われ損ねた籠が転がっている。
「拾ってる場合か!」
地面を蹴った。
前脚が振り下ろされる寸前、その内側へ体を入れる。ネルの襟を掴んで背中へ放り、空いた掌を魔物の顎へ打ち上げた。
ごう、と音がして、熊型の巨体が宙に浮いた。
樹を折らない角度。里人のいない方向。位置取りだけは、この八日でだいぶ上手くなった。
落ちてきたところへ踏み込み、太い首を掴む。
「そのまま寝てろ」
斜面の下から、わっと声が上がった。
「魔道士様が! 素手で!」
「《カタストロフ》様だ!」
歓声が、そのまま数字になって流れ込んでくる。跳ね方が急だ。
そして、背後で。
「……ほんとに、来るんだ」
振り向くと、ネルが尻もちをついたまま俺を見上げていた。
塗り固めた冷めた顔が、剥がれ落ちる。
「噂の、救世主」
皮肉のはずの語尾が、ほどけていた。
充実度98%。
新しい町でも98かよ。律儀すぎるだろ、俺のゲージ。
(次の町でも変わらない。助けて、惚れられて、爆ぜる)
(……そういう体なんだよ、これは)
視界の端が白く滲みはじめる。ここで満ちたら、果樹園ごと消し飛ぶ。斜面の樹も、搾油小屋も、いま拝んでる連中も、まとめてだ。
熊型の首を掴んだまま、斜面を駆け上がった。
果樹の列が途切れる。石だらけの荒れ地。人影なし、樹なし、里は遠い。
位置、よし。
背中では、歓声がまだ続いている。
「――爆ぜろ、俺」
閃光。轟音。降ってくる灰。
0%。
黒焦げの熊型が、行儀よく伸びていた。無傷なのは相変わらず俺だけである。
里が沸き立った。ただ一人、沸いていない者がいる。
リゼットが灰を踏んで荒れ地を横切り、残骸のかたわらに屈み込んだ。
焼けた首から外れた輪を、指でつまみ上げる。金具の内側を撫で、焦げた皮膚に残った印を指の腹でなぞる。
「ミツルさん」
声が、少しだけ早くなった。
「この魔物、野生ではありません」
上げた目に、灰の野原で初めて俺を見たときと同じ色が、一拍だけ差した。
「誰かに、飼われていた」
「リゼ。それ、確かか」
「首輪の内側に、術式の刻印。焼き印は、飼い主の証です」
斜面の下では、里人が扁桃の油の瓶と菓子の包みを抱え、こちらへ列を作りはじめている。
胡桃の次は扁桃。俺の資産、いよいよ木の実一択だ。
列の後ろに、ネルが立っていた。拝みもせず、目も逸らさず、ただこちらを見ている。
冷めた仮面に、引っかかりがひとつ残った顔。
0%だった数字が、じわりと10%。
「魔物から里を守る自警団が、その魔物を飼ってる、ねえ」
灰の匂いの残る空を仰いだ。
「……なあフェリ課長。俺、この里に長居することになりそうだ」
白猫が尻尾で果樹の斜面を撫でた。
「あら。今度は逃げ場のない地雷原が、町ごと一個ってわけね」




