ep069「自分の呪いの犯人を思い出したが、自首できる先がどこにもなかった」
柄の先が、靴の横をこすった。
掃きはじめている。
当てたほうは、こっちを見もしない。
「ミツルさん、そこ」
半歩、右へどいた。
いままで立っていたところを、先が通っていく。ひと撫でで、両隣と見分けがつかなくなった。
そこに何かがあったという話には、もうならない。
麻袋を抱えた者が、目の前を横切っていった。荷の角が肩をかすめて、避けたほうが遅かった。
どこかで、数を読み上げる声がしている。声の主は見えない。
こちらが寄れば、向こうも寄る。手のほうは休まない。
どいた先にも、すぐに用が来る。抱えた荷を置く場所を空けろということらしく、こんどは何も言われないまま肩で押された。
押した手のひらは、開いていた。指の腹が四つ、上着ごしにきっちり当たっている。物をどける手つきだった。
こちらの重さぶんだけ押して、傾いたところで離れる。戻ろうとした足が半歩そのまま流れて、踵で止まった。
押した本人は、もう荷を下ろす姿勢に入っている。うしろで誰が立ち直ったかは、確かめる用に入っていない。
肩に残ったのは、四つぶんの熱だけだった。
立つ場所を三度変えた。三度とも、次に来る誰かの通り道だった。
朝のうちにやってしまう用が、この一角に集まっているらしい。
「ミツルさん、それ取って」
足元に落ちていた板を拾って、差し出した。
厚みのわりに軽くて、持ち上げた手が余った。端のささくれが親指の腹に引っかかる。
受け取った手が、こっちを見ないまま引っこんでいく。板は肩の上に載って、人の隙間へ運ばれていった。
礼はない。用のほうが先に離れていった。
次に来たのは、声ですらなかった。
麻袋の口を握らされて、両手がふさがる。握らせた指は、こちらの指がちゃんと閉じたかどうかだけ確かめて離れた。
中身が下で寄って、底のほうが重くなる。抱え直すたびに、寄ったものがまた動く。
抱えたまま三歩ぶん運んで、言われたところへ置いた。
置いてしまえば、もう誰の用でもない。手だけが空いて、また突っ立っている。
どかされて、拾って、運んでいる。
こちらへ向いている目は、一つもない。
用の切れ端が回ってくるあいだだけ、この場所の一部になっている。
立っているだけの人間は、この時間の広場にひとりしかいない。
充実度22%。
猫は、足元にいる。
兄は、幌を張った荷台のなかで眠っている。
荷を置いた側から、人が一人こちらへ来る。
歩幅が乱れない。誰にも呼ばれていない足どりだ。
入り口で一度も止まらずに、まっすぐ中へ入ってきた。
肩に何も抱えていない者は、この一角にひとりもいなかった。空の両手が、そのまま人の流れを割っていく。
割られたほうは、寄っただけだった。顔を上げる者はいない。荷を持ち直す肘が一つ、行き先から退いた。
誰も呼び止めない。呼び止める用が、その人には付いていない。
着いたら止むものだと、決めてかかっていた。
真っ直ぐ通り過ぎて、爆ぜたところへリゼが入っていく。
入っていく足を、誰も止めない。町の者は道をあけただけで、すぐに自分の用へ戻った。
この一角で、用を持たずに動いている足は一つしかない。その一つが、まっすぐ真ん中へ向かっていく。
真ん中から少し外れたあたりで、しゃがんだ。
膝を折る速さも、そこまで歩いてきた速さと同じだった。
指先が、石を一枚だけ触っている。爪の先で二度なぞって、手のひらは付けない。
背中のほうでは、掃く音がまだ続いている。
町の者が一人、しゃがんだ背中のほうへ何か言っている。
中身はこっちまで来ない。離れているせいでも、風のせいでもない。向けられていないだけだ。
近づけば聞こえる。三歩でいい。
三歩ぶん、こちらは減らさなかった。
届いたのは、三つぶんの音だけだった。俺の名前だ。
誰にも向けられていない声の途中に、それだけが混じって、また聞き取れない話へ戻っていった。
しゃがんだまま、リゼが短く返した。何と返したのかは、来ない。
話しかけたほうは、それきり離れていった。
見られてもいないのに、名前のほうだけ持っていかれている。
充実度41%。
しゃがんだまま、リゼが口を開いた。
「……ずっと、外側を探していました」
指が、縁をなぞって止まる。
こちらを見上げない。しゃがんだ背中の高さのまま、続きが来る。
背中の向こうを、荷を運ぶ足が二つ通り過ぎた。話は誰にも拾われない。
「……よそから来たものなら、そちらで見つかります」
声を張らない。早くもならない。
呪いの話になると、この人はもう少し速くなる。指も動くし、言葉のあいだが詰まる。
いまは、そうならない。
「……ミツルさんのは、」
言葉は、そこで切れた。
切れ方は、いつもと同じだ。ここから先を、この人が言ったためしがない。前にも、その前にも、同じところで止まった。
しゃがんだ背中は、続きを待つ形にもなっていない。こちらの返事を取りに来る目でもない。
しゃがんだ肩のあたりを、風が通っていった。
地面に落ちた影が、少しも形を変えない。
そっち側には、はじめから何も置いていなかったわけだ。
唾を飲んだ。
言葉が出るまでに、少し掛かった。しゃがんでいる相手より、こっちのほうが下を向いている。
続きは、俺が言うことになった。
前世で毎日となえていたものが、そのままの形でここに残っている。
文句のつけようがないくらい、はっきりと残っている。
「爆ぜろ、リア充」
声に出すと、拍子抜けするほど短い。
振り向く者は、一人もいない。町の用は、俺の口の中まで回ってこない。
言い終えてから、口に残った並びを確かめた。前世で覚えたとおりだ。
誰かに当たれと言った覚えなら、数えきれないほどある。外れたと決めつけた回数のほうが、もっと多い。
外れていなかった。
願いは、ひとつも外れていない。当たり所だけが違う。
全部きちんと届いて、全部こっちで受け止めていた。
口癖というのは、こんなに長く保つものらしい。
うしろのほうでは、数を読む声がまだ続いている。
猫は、足元から一歩も出ていない。
充実度41%。
立ち上がる気配がした。
「……ミツルさんの手癖です」
言い切って、リゼは荷のほうへ戻っていく。
足どりは、来たときと同じだ。慰めも詫びも、置いていかない。
離れていく背中に、こっちを避けた線は一本もない。歩く幅も、肩の高さも、来たときのままだ。
しゃがんでいたところには、何も残らなかった。
上を、荷を抱えた者が二人続けて通っていった。誰も足を止めない。
両手は空いたままだ。
宛先を書き間違えた覚えは、一度もない。
まず、人の集まっているほうへ目をやった。麻袋の山の向こうで、数を読む声と、それを数え返す声が行き来している。板を並べる手があり、並べた板を押さえる手がある。
あそこで手を挙げて名乗り出たところで、話を書き取る相手が座っているわけではない。
町から出ていくほうへ、目を移した。人の出入りが細くなって、その先は建物の角で切れている。角のところから戻ってくる者はいるが、こちらへ用のある者ではない。
あっちでもない。
二つとも外れた。
運ばれていく荷が、いくつも通り過ぎた。
まぶたを、いちど閉じて開けた。
あとは、言うだけだった。
充実度50%。
「……いちおう、俺が自首したほうがいいと思うんだが」




