ep062「見てもいない物を『あった』と言っただけで、呪いをしまう男は俺のも預かると言った」
通りへ出ると、こちらを見ている者が三人いた。
目が合ったほうが、そのままこちらを見ている。
「見てきてくださったそうで」
……疑われない。一つも。
言ったのは、軒の下で草を編んでいる男だった。
通りの土は、水を撒いたばかりで色が濃い。
俺が話したのは、井戸のところの娘にだけだ。
その娘にも、中は見ていないと先に言ってある。
それなのに、あとから言ったほうだけが、こうして通りを回っている。
訂正のつもりで口を開いた。
「あ、いえ、その、あれは」
「あの家のほうまで行かれたんでしょう。あそこまで行く方は、めったにありませんから」
そこから先は、道の話になった。
草が伸びていて歩きにくかったでしょう、という話だ。
俺の言いかけたほうは、どこへも行かないまま終わった。
もう一度、口を開く。
「あの、俺が見たのは、戸のところまでで」
「そうそう、あの道は途中から細くなりますでしょう」
また道の話に戻された。
布を抱えた女が、洗い場のほうから寄ってくる。
「ほんとうに、行ってくださったんですね」
「……まあ、はい」
「はい」
それで済んでしまった。
どうやって聞いたのかも、誰から聞いたのかも言わない。
三人目は何も言わずに、こちらを見たままだった。
少し先で、リゼが荷馬車のそばに立っている。こちらを見ていない。
猫は轅に座って、通りのほうへ顔を向けていた。
井戸のそばに、娘がいた。桶を持って、こちらに気づいて足を止める。
「あるって聞いたので。それで、いいです」
取りに行くとは言わない。困ってもいない。
水の面を覗いて、こぼれていないかだけ確かめている。
「町の外れまで、遠かったでしょう」
「まあ、それなりに」
「はい」
娘は桶を抱えて、また列のほうへ戻っていく。
誰も、出どころを確かめない。
俺が言ったから、あることになった。
こっちが言ったことだけが、先に町を歩いている。
充実度42%。
通りでも、あの音がしている。
誰も、そのほうを見ない。
荷馬車は通りに置いたままにした。幌はそのままだ。
誰にも、行ってきますとは言わずに通りを出る。
リゼが、先を歩いていた。
うしろでもなく、横でもない。俺より前だ。
振り返らないし、歩く速さも変わらない。
猫はリゼの肩で、鼻先だけ道の先へ向けている。
人の通りが減って、水の匂いが草の匂いになる。
上着の背中に風が入る。焦げたところは、風を止めてくれない。
歩いても、音のほうは同じところにいる。
道が細くなるあたりで、リゼが一度だけ足を止めた。止めて、また先に行く。
草の丈が伸びて、土の匂いが立つ。
道の両側は草で、そこから先は見えない。
日は高い。影が短い。
畑が終わって、道と草だけになった。
道の終わりに、家が一軒ある。
戸は、今日も開いていない。
戸が開いていないと、こっちの用のほうまで無くなった気になる。
声をかけると、戸が開いた。
出てきたのは、イーノだった。
あ、という顔をしない。前に来た者だと分かっているらしい。
「あ、どうも。イーノさん、また来ました」
「はい」
用件は訊かれない。いぶかりもされない。
「あの、頼まれたやつのことなんですけど」
「はい」
「俺、あれ、見てないんです。中まで見てないのに、あったって言っちゃって」
「はい」
「それが町のほうに、そのまま回ってて。すいません」
男は、返事の調子を変えなかった。
責めない。謝れとも言わない。驚いた顔もしない。
「では、どうしているか、お話ししましょうか」
断られると思っていた。前は、そこで終わっている。
「引き受けたものは、まず解きます」
「はい」
「解けたら、眠らせて、入れ物に移して、棚に置きます」
「……はい」
「置いたら、こちらで預かるだけです。使いませんし、お売りもしません」
「はい」
使わない、と言った。売らない、とも言った。
どっちも、訊く前に出てきた。
言い淀まない。もったいぶらない。
声はあいかわらず小さくて、こっちが半歩近づいている。
こっちは、さっきから、はい、しか言っていない。
言うことが無いわけではない。言うところが無い。
話の切れるところが、こっちの息継ぎに合っている。
黙っても、続きを待たれない。次のほうが来る。
待たれるより、そっちのほうが楽だった。
戸は開いたままだ。中へは入っていない。入れとも言われない。
男の背の向こうに、棚の端が見えた。
板が横に走っている。木の色は、どこの家でも見るやつだ。
上のほうに何か置いてあるが、形までは分からない。
棚は奥のほうへも続いているらしい。そこまでは見えない。
棚が、思っていたよりずっと普通だった。
「見せられるものが、一つだけあります」
男は内へ入って、すぐ戻ってきた。
持ってきたのは、空の入れ物だった。黒い。
「これは、まだどなたのものでもありませんので」
目の高さのところで止めて、こちらへ向けている。
新しくもないし、古くもない。傷も無い。
口のところに、蓋の跡みたいな段があった。
棚のほうは、それきり見えなくなった。男が半歩ずれただけだ。
リゼは、荷のほうも俺のほうも見なかった。
「……同じです」
それだけ言って、あとは黙る。
声の高さは変わらない。顔も動かない。
「え、同じって、リゼのやつと」
返事は無い。
男も、リゼのほうを見ない。入れ物を持ったまま立っている。
「置きに来られる方があると、一つずつ、奥へ動きます」
「奥」
「はい。いつ来られるかは、こちらでは分かりませんので」
いつ、が決まっていない。決めるのは、この男でもない。
こっちの都合でもない。
「置いて終わりなのねえ。転記もしないで」
猫は言うだけ言って、また顎をのせた。
断られたのは、まだ一つもない。
充実度98%。
訊けば、全部答えてくれる。それが、いまはいちばんまずい。
息を継いだところが、ちょうど空いた。
「あの。俺のって、たぶん、解けないやつなんですけど」
男は、持っている空の入れ物のほうを一度だけ見た。それだけだった。
戸の内側から、音がしている。近さのわりに、小さい。
「あ、俺、ちょっとそこまで行ってきます」
「はい」
「道の先なら、ここまでは届きません」
リゼが言った。それだけ言って、また前を向く。
家から離れるほうへ走った。
道は家で終わりだと思っていたが、その先へも続いていた。
道の先は、そのうち草に呑まれて、どこが道か分からなくなった。
振り返らずに走る。振り返ると、たいてい足が遅くなる。
走っているあいだ、さっきの話が頭の中で続いていた。
解いて、眠らせて、入れ物に移して、棚に置く。
順番だけは、もう覚えてしまった。
草が低くなって、土が固くなったところで足を止める。
振り返る。人はいない。家も、ずいぶん小さい。
それだけ確かめれば、あとはどうにでもなる。
息を吸って、止めた。
内側のほうが先にいっぱいになって、そのまま外へ出た。
爆ぜた。
充実度0%。
土が散って、草が寝た。
上着は、背中側がまた少し減っている。焦げの色が濃くなっただけとも言える。
袖の先は、まだ熱を持っていた。
耳が鳴っている。その裏で、まだあの音が拾える。
立ちくらみが一度きて、すぐ引いた。慣れというのも、たいがいだ。
道を戻る。
影が伸びていた。行きより、ずっと長い。
リゼは何も言わないし、歩く速さも変えない。
猫はリゼの肩で丸くなって、目だけ開けている。
草の匂いが濃くなっていた。
空が、少し色を変えはじめていた。
足の裏に、まだ土の感じが残っている。
家までは、行きより短く感じた。
家が見えてくる。
戸が開いていた。
イーノが、戸口に出ている。
中へ入るでもなく、こちらへ来るでもなく、近づくまで動かなかった。
「お待ちしていました」
待っていた、と言われた。
爆ぜた音は、ここまで届いたはずだ。
それでも、俺が戻ってくる前提で、そこにいたことになる。
こんなことで持ち直すのは、われながらどうかと思う。
「えーと、ちょっと、爆ぜてきただけなんで」
「はい」
「戻ってこないほうが、よかったですか」
「いえ」
それだけだった。なぜ訊いたのかは、訊かれない。
夕方の光が、戸の内まで入っている。棚の端が、さっきより見えた。
戸口の脇に、見たことのない荷が一つ置いてあった。
「解けないものでも、お預かりできます」
充実度17%。
……預かるって、俺のを。
「……はい。ええ、はい」




