ep060「敵のいない町で走って爆ぜた帰り、その呪い、置いていけますよと言われた」
飯が出てきた。
頼んでもいないのに、俺の前に置かれている。
湯気が、まっすぐ立っている。
出したほうは、もう向こうを向いていた。
出したのは、リゼではなかった。
通りの縁台に腰を落としただけだ。座って、息をついただけで、木の椀が目の前に置かれた。
麦と豆と、汁。匙が添えてある。
出した女は、こちらが椀に触れるより先に、もう戸口の内へ入っていく。
「あの、これ」
声は届いたはずだが、返ってきたのは背中だった。振り返りもしない。
戸の内で水を使う音がして、それきりになる。
飯が、俺の前にある。俺が食っていいやつか、これ。
汁は熱かった。豆は柔らかく煮てあって、麦は少し芯が残っている。
口に入れてから、ようやく腹が減っていたことに気がついた。
隣の縁台に、荷を背負った男が腰を下ろした。
下ろした、と思ったら椀が出た。男は驚かない。
「どうも」
それだけ言って食いはじめる。出したほうは、もう次の戸口へ向かっている。
誰にでもそうするのだ。
礼を言えば、笑う。笑って、そのまま向こうを向く。こちらが何か返す間がない。返す物もないのだが。
リゼは俺の隣にいる。同じ椀を前にして、匙を持って、何も言わない。
飯のことも、道のことも言わない。
荷馬車は通りの端に停めたままで、幌はそのままだ。
荷の上で白い猫が目だけを開けた。開けて、また閉じた。
通りの向こうへ、女が声を投げる。
「ミルヴォの井戸は、その角ですよ。冷たいから、汲んでいってくださいな」
誰に言ったのかは分からない。俺は訊かなかった。
充実度59%。
どこかで、何かを打つような音がしている。同じ間隔で、途切れずに続いている。
誰も気にしていない。
椀を返しに立った。
差し出すと、女は受け取って笑った。礼を言おうとしたときには、その顔がもう向こうを向いている。この町では、礼が間に合わない。
町を歩く。
人がいる。通りに水を撒いている者がいる。子どもが走っていく。畑から戻ってくる者がいる。
暮らしが立っていて、荒れているところが一つもない。
歩いているうちに、妙なことに気がついた。
この町には、呪いを持ったまま暮らしている者が、一人もいない。
訊いて回ったわけじゃない。向こうから出てくるのだ。
「うちの人も、置いてきました」
「あたしも置いてきましたよ」
声を低くしない。隠さない。悪く言う者が一人もいない。
「その、置いてきたっていうのは、どこに」
「あちらにいらっしゃいます」
それで話が終わる。
誰に訊いても、返ってくる言い方は二つだけだった。
ついでに、こっちの話もしてみた。
「あー……俺、『自爆魔道士』って呼ばれてまして」
「まあ。それは、ご立派に」
立派じゃない。そもそも伝わっていない。
もう一人に言ってみたら、首を傾げられた。
「じばく、というのは。お仕事の名ですか」
「まあ、仕事といえば仕事ですけど」
「精が出ますねえ」
その次の者は、話の途中で椀を出そうとした。
誰も俺を強い男だと思っていない。思っていないというより、そういう見方が最初から無い。
二つ名が、ここでは何の音でもない。
充実度37%。
井戸のそばで、娘が水を汲んでいた。
桶に水を落として、腕で額を拭って、こちらを見る。
「旅の方ですか」
「まあ、そんなとこ」
「わたしも置いてきましたよ。呪い」
汲むのをやめずに言う。
「戻ってきたのは、この町だとわたしだけですけど」
なんでもないことのように言って、桶を持ち直して、そのまま行ってしまった。
どの家も、戸が開いている。中に人がいる家と、いない家がある。
いない家も、荒れていない。
通りへ戻ったところで、袖を引かれた。
「まあ、これ」
上着の焦げ跡を見られている。
焦げているどころではない。前は形が残っているが、背中側はもう布と呼べるかどうかというところだ。
「座ってください。いま、手当てを」
「いや、これは怪我じゃなくて」
「気の毒に」
一人が言うと、隣の戸口からもう一人出てきた。
縁台に座らされる。椀がまた出てくる。
誰かが自分の上着を持ってきて、俺の前に置いた。
「これを」
「いいって。ほんとに、いい」
「遠慮なさらないで」
「遠慮じゃなくて。着てもまた焦げるんですって、これ」
「まあ。よく焦げなさるんですねえ」
うなずかれた。感心までされた。上着はまだ俺の前にある。
断ると、困った顔をする。困った顔をして、それでも置いていこうとする。押し返すのに息が要った。
誰も俺を英雄だとは言わない。強いとも言わない。
ただ、焦げた上着の男が通りに座っていることを、放っておかない。それだけだ。
上着が焦げているだけで、町ぜんぶが動く。
俺は何もしていない。何もしていないのに、次から次へと出てくる。
充実度98%。
……走る場所は、どっちだ。
首を巡らせる。通りの先で家が切れて、その向こうに草の色があった。あっちだ。
立つ。椀を縁台に置く。
「ちょっと外します」
言ったが、たぶん誰にも通じていない。
走った。
子どもが走っている脇は通らない。回り込む。
井戸のそばに人がいる。そこも避ける。
荷馬車から離れる方へ。戸の開いている家から離れる方へ。
風がどこから来ているかを、頬で確かめる。向かい風だ。煙は町へ行かない。
それだけを見て、足を出す。
家が切れる。踏むものが土に変わる。
草が膝の高さになって、そのうち背丈のあたりまで伸びているところに入った。
まだだ。まだ足りない。
爆風は誰を選ぶわけでもない。選ぶのは、俺のほうだ。
息が上がる。背中のほうで、町の音が薄くなっていく。
かわりに、あの音が近づいてきた。何かを打つ音。この先だ。外れの、もっと先のほうから鳴っている。
近づいているのに、大きくならない。さっきと同じ大きさで、同じ間隔で鳴っている。
振り返った。町が遠い。誰もこっちを見ていない。
草を踏んで、もう少しだけ先へ出る。
踏んだ草の丈を見る。土は乾いている。燃え移るものは無い。
膝を折って、身を低くする。低くするほど、飛ぶものは上へ行く。
位置を取る。守る者はいない。巻き込む者もいない。敵に至っては一人もいない。
――正しい。手順どおりだ。誰にも文句を言われない爆ぜ方だ。
文句を言う者も、見ている者も、いないのだが。
そして、爆ぜた。
視界が白くなる。音より先に、体が持っていかれた。
空と草が入れ替わる。背中から落ちて、口の中に土が入った。
上着がまた焦げた。草が焦げて、土が黒くなった。それだけだ。
充実度0%。
仰向けのまま、空を見る。煙が細く立って、ゆっくりほどけていく。
起き上がって町のほうを見た。
誰も出てこない。誰も走ってこない。煙のほうを見ている者が、一人もいない。
そして、あの音が、さっきとまったく同じ大きさで続いている。
通りへ戻る。
誰も逃げていない。誰も驚いていない。
椀を出した女は、また別の旅の者の前に椀を置いていた。
焦げて戻ってきた俺を見て、一人が言った。
「あら。座ってください」
――さっきと同じだ。何も変わっていない。
リゼは荷馬車のそばに立っていた。幌はそのままだ。
荷の上で、猫が尻尾の先だけ動かしている。
座らされたついでに、訊いてみた。
「その、置いてくってのは。何を、どこに」
「呪いを」
あっさり出てきた。
「引き受けてくださる方が、一人いらっしゃるんです」
「……一人」
「あちらにいらっしゃいます」
それだけだった。
名前も、顔かたちも、どんな者かも出てこない。町の者は、それで話が済んだ顔をしている。
猫のほうを見た。
「なあ、フェリ課長。呪いって、置いていけるもんなのか」
猫が、一度だけ耳をこちらへ向けた。
それから、体ごと娘のほうへ向いて、言った。
「……こっちだと、そういうの、取次が要るのよねえ」
娘が「はあ」と返事をする。猫はそのまま娘に何か話し続けている。
俺の質問はどこへ行った。
娘は相槌を打ちながら、桶を持ち直している。
呪いを一つ置いてきて、それきり、水を汲んで暮らしている。
「……そりゃ、いいな」
言ってから、何がいいのか分からなくなった。
娘がこちらを見る。焦げた上着を見て、それから俺の顔を見て、当たり前のことのように言った。
「――置いていけますよ。その呪い」
……置いていける。呪いを。置いて。
隣で、リゼの足が半歩、前に出た。
充実度36%。
「……なあ、リゼ。いま、お前のほうが先だったぞ」




