ep006「俺の呪いが、初めて役に立った」
「受けます」
俺が口を開くより早く、隣の解呪師が食い気味に言った。門番の親父が瞬きをする。俺も、瞬きをした。
――なあ。雇われてるのは、俺の方だよな?
「善は急げです。案内を。……ミツルさん、そんな顔をしない。呪いが待っています」
「呪いを待たせるなよ」
門をくぐると、世話役の初老の男が揉み手で駆けてきた。
「そ、その、御礼の方は」
「規定の解呪料と、諸経費を。前金は結構です」
「前金は……よろしいので」
「解けなければ、いただく理由がありませんので」
交渉が二往復で終わった。なお俺の給金は香のままである。
大通りの空は、見上げれば花綱で編まれていた。軒先の木の実細工が風に鳴る。胡桃菓子を焼く匂いと、祝い唄の稽古声。
その真ん中を、呪い屋の看板を掲げた荷馬車が進む。
「触れの返事が来たぞ!」
「呪い屋さんだ、呪い屋さんが来た」
沿道の人々が両手を合わせてくる。荷台の縁に座っているだけの俺まで、ついでのように拝まれている。
充実度10%。
「まだ何もしてないんだが!?」
膝の上の白猫が小声で返す。
「賞賛は小さく入るの。ついでの分もね」
案内に立ったのは若い男だった。指の節に細かい傷が散り、袖口に木の粉がついている。
「テオといいます。胡桃細工を……その、花婿です」
憔悴という言葉が服を着て歩いているような顔だった。
「いつからだ」
「五日前です。……気づいたのは、そのあとなんですけど」
テオが足元に目を落とす。
「クララはもともと、いやと言えない性分で。何を頼まれても、はい、はいって笑うんです」
「……だから最初の一日は、誰も呪いだなんて思わなかった」
角を曲がると、花綱の一番賑やかな家の前に出た。
戸が、内側から開く。
通された居間に、その娘は座っていた。
やつれている。頬の線が細くなり、目の下に薄い影。それでも顔を上げたときの目には、気立ての良さがそのまま残っていた。
「初めまして。解呪師のリゼット・グリモアです」
「はい」
「こちらは、護衛のミツルさん」
「はい」
声だけ聞けば、行儀のいい返事だ。
「えー……と。呪いに、心当たりは」
「はい」
「あるのか!?」
「はい」
「いや待て、どっちだ!?」
「はい」
情報量が、ゼロだった。
「あんた、尋問の才能ないわね」
「質問が悪いのは分かってる!」
クララが申し訳なさそうに眉を下げる。俺の訊き方が下手なせいで、呪われている側が恐縮している。
立ち上がりかけた俺の袖を、細い指が掴んだ。
顔を上げたクララの口が動く。
「はい」
違う。言いたいのは、それじゃない。それでも指の力だけは、痛いくらいに本物だった。
15%。
「呪われた花嫁の必死の手までカウントするな、俺の主観!」
……いや。必死なのは本当だ。掴む力の分だけ、この子は伝えたいものを抱えている。
腹の底が、静かに熱を持った。
リゼットが羊皮紙とペンを差し出した。
「書いてください。呪いに、心当たりはありますか」
クララがペンを取る。震える手が、紙の上を走った。
――はい。
自分で書いた文字を見て、クララの肩が跳ねた。首を振ろうとする。振りかけた首が、途中で頷きに変わる。
誰も、何も言わなかった。
目だけが、否と言っていた。
「……そういうことなんです」
壁際でテオが拳を握った。
「祝言の誓いで、クララは『はい』と言います。言えます。誓いの返事が『はい』なのは、分かってるんです。でも――」
声が掠れる。
「呪いに言わされた『はい』で夫婦になるのだけは、嫌なんです」
クララが顔を上げ、テオを見た。テオも、クララを見返す。
……眩しいな、おい。俺には地雷だが。
リゼットの筆が動く。カルテの隅に問診不能と書きつける音だけが、部屋に落ちた。
◇
「では、問いません。観ます」
香が焚かれた。細い煙がクララの周りで一度曲がり、輪を描いて崩れる。
リゼットは瞳を覗き、手首を取り、脈を数え、そのたびに筆を走らせた。昨夜の問診とは別人の速さだった。
「ミツルさんは離れてください。観察の邪魔です」
「邪魔!?」
すれ違いざま、耳元で小さく。
「……加算因子です」
「聞こえてるからな」
部屋の隅に追いやられ、膝を抱えて座る。13%。
「下がった! 邪魔者扱いで、下がった!」
「減るところがちゃんと減って偉いわね」
小声の白猫が、容赦ない。
「……俺、邪魔らしいので」
誰にともなく、自嘲が漏れる。
顔を上げると、クララがこちらを見ていた。違う、というふうに慌てて口が開く。
「はい」
天使みたいに優しい声で、俺の駄目さが肯定された。
次の瞬間、クララの顔から血の気が引いた。両手で口を押さえる。
この部屋の誰よりも先に、この子自身が青ざめている。
――俺は身構えていた。優しい声には、俺のガバガバな判定器がよく反応する。はずだった。
13%。
1%も、動かない。
呪具を取りに来た体で、リゼットが隅へ寄る。
「いま、動きませんでしたね」
「……なんで分かる」
「身構えて、拍子抜けした顔をしました」
俺は声を落とした。
「この『はい』、中身が空だ」
「さっきは、袖で上がったのでしょう。いまは言葉で、動かない」
リゼットの目に、光が差す。
「手は正直で、言葉は空。――呪いは、言葉だけを乗っ取っています」
「俺の主観、言葉の中身にだけ精密すぎないか」
「あんたのゲージ、頭で割り引けるほど賢くないわよ。想いにしか反応しないの」
白猫が尻尾を一度打った。俺は膝を抱えたまま、少しだけ胸を張る。
「なあフェリ課長。俺の呪い、初めて人の役に立ったぞ」
「自爆はいつも役に立ってるじゃない」
「あれは俺の労働だ。呪い単体では初勝利なんだよ」
「良かったわねえ。査定には書けないけど」
リゼットが立ち上がり、部屋の中央へ戻った。
「診断を申し上げます」
テオが息を呑む。
「これは、『はい』しか言えない呪いではありません。――『いいえ』を、封じる呪いです」
声も、筆も、首の動きも。否の形をとったものが、片端から肯定に変えられる。
逃げ道は、最初から一つもない。
「術理は付与型。想いを器に結晶させて、相手の傍に置く呪いです。器が在る限り、呪いは続きます」
「じゃあ」
「器を見つけて解けば、落ちます。……おそらく、同じ屋根の下にあるはずです」
テオがはじかれたように顔を上げた。
「解ける、んですか」
「これは、この土地の理で組まれた呪詛です」
リゼットが、ちらりとこちらを見た。
「――私の術が、通る呪いです」
「……よかったな。俺のは通らないのに」
「僻まない僻まない」
俺は白猫を小突いた。
「なあ課長。あんた一応、神様だろ。誰がやったか分かんないのか」
「現地の呪詛は現地の管轄。私が手を出すと監査が入るのよ」
「役所か」
◇
「では、器を探します」
リゼットがテオに向き直った。
「発症は五日前。念のため、倍を見ます。――この十日で、クララさんの身の回りに増えた物は」
テオが、答えに詰まった。
隣室の戸が開く。
籠。包み。細工物。腰の高さまで積み上がった祝いの品が、床を埋めていた。
色紙の花。麦藁の輪。胡桃の殻を磨いた飾り。町中から届いたのだと、テオが掠れた声で言う。
どれもこれも、幸福の形をしていた。
「候補、無数だな」
「一つずつ検分ね。……残業だわ」
俺は山の半分を一抱えにして居間へ運んだ。籠が二十ばかり、腕の中で軋む。
テオが口を開けたまま固まった。
「……護衛の方って、そんなに力が」
「護衛なので」
「祝言まで、あと三日――」
「二日と半日です」
几帳面な訂正が、やけに重く落ちた。
窓の外はもう夕暮れで、花綱の下を祝いの笑い声が行き交っている。
リゼットは品の山に手を置き、静かに言った。
「この呪いは、事故でも祟りでもありません。人の手で、意図を持って、かけられたものです」
遠くで、また誰かの笑い声が弾ける。
その明るさと似ても似つかない冷たさが、背筋を撫でた。
「――この町の誰かが、花嫁の『いいえ』を、封じたがっています」




