ep005「黒歴史を語ったら、呪いが下がった」
「――一生、と言ったか。今」
「言いました」灰の舞う野原で、少女は瞬きひとつしなかった。「研究対象に対する、誠意の表明です」
誠意の重さが求婚のそれなんだよ。灰の中で固まる俺の足元で、白猫があくびをした。
「……一生は長い。せめて、呪いが解けるまでにしてくれ」
「では、解けるまで。……解けたら、更新の相談をさせてください」
「更新前提か!?」
値切ったつもりが、契約期間の話にすり替わっている。交渉ごとで勝った記憶が、前世から一度もない。
足元の白猫――俺の担当女神が、尻尾で脛を叩いてきた。
「乗りなさい、ミツルくん。解呪の専門家が向こうから来るのよ。こんな好条件の案件、ないわ」
「課長、俺は案件じゃない」
リゼットが指を一本立てる。
「先に、こちらの提供を申し上げます。荷馬車の足。呪いの解析。それから、仕入れの伝手」
「伝手?」
「行商には、流れてくるものがあります。渡り人の遺物、記録――そういう筋を、私は知っています」
思った以上に大きい話だった。俺がこの世界を歩く理由そのものが、いま向こうから差し出されている。ただ、少女は言い切る前に一度だけ目を伏せた。
「先にお伝えします。私の術は、おそらく通りません。あなたの呪いは、この世界の理の外にある。ですから、解くのではなく――前例を探します」
できないことをできないと言う奴を、俺は信用することにしている。
「こっちの取り分は」
「護衛の労働と、研究データを」
「給金は」
「魔除けの香で。月に六束、上等品を」
「また香か!」
焚けば俺の給料が煙になる。無一文の未来は、まるで晴れない。それでも俺は手を差し出した。リゼットが握り返す。乾いた、完璧に事務的な握手だった。
充実度12%。
「事務の握手だぞ!? カウントするな!」
「ハゼルに戻る理由は消えました。仕入れの続きです」
抗議を華麗に流して、少女は西の空を見た。日はもう半分沈んでいる。
「今夜はここで野営を。研究第一回を始めます」
焚き火が爆ぜる。荷台から下ろされた羊皮紙の上を、リゼットの筆が滑っていく。図式と数値がびっしり並んだそれは、どう見てもカルテだった。
「では、発症時期から」
俺は話した。この世界に落ちてきた日から、右上にこの数字があること。別の世界から来た人間で、渡り人と呼ばれるらしいこと。
「渡り人。……伝承の側の人でしたか」
「そこ、驚くところじゃないのか」
「驚くのは、あとでまとめてします」
驚かない少女に、俺のほうが驚いている。
「数字は0から100まである。見えるのは、俺と、この猫だけだ」
「使い魔経由の共有視界ですか」
「……まあ、そんなところよ」
白猫は否定も肯定もしないまま、毛づくろいに戻った。
「恋愛方面が大きく上がる。人望や友情が中くらい。賞賛は小さい。女の子と二人きりで話す時間も、じわじわ積む」
「上限に達すると」
「爆ぜる。爆ぜると0に戻る」
「リセット可能。……素晴らしい」
「素晴らしくはない」
筆の速度が上がった。呪いの話になると、この子は声の温度まで変わる。
「それと、恋人ができた場合は数字が関係ないらしい。成立した瞬間、即100だと」
「即時起爆。加算とは別枠。……興味深い」
感心されている場合ではない。右上が、さっきから14%になっている。
「おい、呪いの説明をしてるだけで呪いが進むんだが!?」
「二人きりの会話の累積、でしたね」
「猫がいるだろ! そこに一匹!」
「あら。私、人数に入れてもらえないの?」
「猫は人数に入らないのかよ、俺の主観!」
16%。判定器が俺の頭の中にある以上、文句を言う相手も俺しかいない。
「では、次を。発症以前の恋愛歴を」
「……ない」
「もう一度聞きます」
「ないと言っている!」
カルテの中央に、大きく「なし」と書かれた。文字の大きさに悪意はない。ないからこそ効く。そこから先は尋問だった。臨床的に正確な質問ほど失礼になると、俺は生まれて初めて知った。
昼飯をいつも校舎の階段の踊り場で食っていたこと。誘われてもいない飲み会のために、土曜の予定を空けていたこと。卒業アルバムの寄せ書きの、余白の広さのこと。リゼットの筆は一度も止まらない。フェリ課長は途中から遠い目で火を見ていた。
――ふと、右上を見る。
9%。
「……嘘だろ。黒歴史を語ったら、呪いが下がった」
惨めさ。屈辱。孤独。減算条件の一覧を、俺は自分の口で端から踏み抜いていた。
リゼットが顔を上げる。目が、灰の野原のときの光を取り戻していた。
「有効な減算手段の確立。大発見です。もっと語りましょう」
「ね? 私の路地裏飯処方、正しかったでしょ」
「課長のドヤ顔に学術的裏付けが付くな!?」
語るほどに下がっていく。7%。5%。呪いには効く。効くが、心に悪い。
翌朝。街道を行く荷馬車の御者台で揺られていると、目の前に木の椀が差し出された。
「多く作りすぎました」
豆と燻し肉のスープだった。断る理由もないので受け取って、一口飲む。塩気が体に染みた。
8%。他人のちょっとした親切ひとつで、俺のゲージは律儀に戻る。
「いま、上がりましたね」
顔を上げると、リゼットがこちらを見ていた。
「なんで分かるんだよ。数値は見えないはずだろ」
「口元が緩みました」
「見るな」
少女は膝の上のカルテを閉じ、正面に向き直る。
「整理します。最も危険な因子は、恋仲の成立。加算では、ありません――数値を無視して、即時に、起爆します」
しばらく、車輪の音だけが続いた。
「……つまりミツルさんは、絶対に、恋をしてはいけません」
「改めて他人に言われると刺さるな!?」
昼過ぎ、街道の両側が胡桃並木の緑陰に変わった。葉の影が縞になって顔の上を流れていく。並木の切れ目の先に、石積みの門と白い壁が見えた。
近づくほど、飾りが増えていく。軒から軒へ渡された花綱。門柱に吊るされた木の実細工が、風で軽やかに鳴っている。
道端で誰かが誰かを呼び、笑い声が返る。そのたびに町全体が、浮ついた音を立てた。
「……幸福が服を着て歩いてるな、この町」
「祝言が近いようですね」
「なあ。ここ、俺には地雷原では?」
リゼットは町を眺めたまま、淡々と答えた。
「祝宴は危険です。人望と賞賛の加算が見込まれます」
参謀がいるというのは、こういうことか。開示した翌日にはもう役に立っている。
「ちなみに、宿代は香で払えるのか」
「払えません」
「即答!?」
門の手前で、槍を持った門番が荷馬車を止めた――かと思えば、側板の白い文字を二度見して、目を見開いた。
グリモア呪具店。
「呪い屋か!? あんたら、呪い屋なのか!」
男は槍を放り出しかけて駆け寄ってくる。俺の顔などまるで見ていない。噂の《カタストロフ》様より、今日は看板のほうが有名らしい。
「ここ数日、方々に触れを回してたんだ。解呪師を探して、って」
門番は荷馬車の縁を掴み、拝むように顔を上げた。
「呪い屋さん、頼む。祝言は三日後なんだ――うちの町の花嫁が、『はい』しか言えなくなっちまった」
浮かれた音が、すっと遠のいた。
隣で、リゼットの目が――灰の野原で俺を見たときと同じ色に、輝いた。




