ep004「命の恩人の俺より、呪いの方がモテている」
「グリモア呪具店、ねえ……」
呪いに詳しいという行商の屋号を反芻しながら、俺は夕暮れの街道を歩いていた。充実度74%。ハゼルの見送りの余熱が、まだ下がらない。
「――あんた、噂の《カタストロフ》様じゃねえか!?」
荷を担いだ商人が道端で振り返り、拝むように手を合わせた。
「今朝の市場で見たぜ、あの爆発! まさかお姿を拝めるとは」
「人違いだ」
「またまた、ご謙遜を!」
76%。
言っておくが、俺は歩いているだけだ。人類最強の体で歩くと、今朝ハゼルを発った連中を片っ端から追い越してしまう。噂の足より、俺の足が速い。
次に追いついた巡礼帰りの一家は、すれ違いざまに一斉に道を空けて頭を垂れてきた。何かの儀式かと思った。
「あっ、あの人だよ! 自爆魔道士様!」
「拝ませてくだせえ、ばあちゃんの腰にご利益を」
「俺は道祖神じゃない!」
84%。……そのあとも追い越すたび拝まれ、88%。91%。
足元を歩く白猫が、尻尾を揺らして笑う。
「人徳って怖いわねえ」
「俺は歩いてるだけだが!?」
「歩いてるだけで九割積むの、あなたくらいよ」
もう誰にも会いたくない。二度と。誰とも。
そう心に誓った直後、前方の林の向こうから、狼の遠吠えと馬の悲鳴が同時に上がった。
街道の曲がりを抜けた先に、一台の荷馬車が止まっていた。
周りを回っているのは狼型の魔物だ。犬にしては背が高く、目が赤い。数は五、六頭。
馬は繋がれたまま耳を伏せ、幌は端が裂けている。その側板に、白い文字で屋号。
グリモア呪具店。
「……探してた店が、狼に齧られてる!?」
荷馬車の前に立っているのは、呪具を吊るした干し場が歩いているような格好の少女だった。裾の札が風に鳴り、足元の香炉から青白い煙が細く上がっている。狼はその煙の輪の内側へ踏み込めずにいた。
少女は俺を見て、顔色ひとつ変えずに言った。
「あと四分で切れます。逃げてください、旅の方。巻き添えは商売に響くので」
残りを秒で数えたうえ、他人の心配まで済ませている。
前世なら、足がすくんで動けなかった場面だ。
今度も、体のほうが先に動いた。
煙の輪をまたいで、掌を横に払う。
一頭目が藪の奥へ転がっていった。二頭目は裏拳。跳んできた三頭目を叩き落とし、ついでに四頭目へぶつける。灰色の毛玉が四つ、順に飛んでいく。
残りは尻尾を巻いて林へ引いた。
少女は香炉を拾い上げ、埃を払って向き直る。
「ありがとうございます。荷が無事で何よりです」
完璧に事務的だった。声の温度が室温だ。
そして視界の右上の数字は。
――上がらない!?
91%のまま、1%たりとも動かない。
助かった。心の底から助かった。棒読みで礼を言う女の子など、俺の危機管理上は最高の相手だ。
……なのに、なぜかうっすら負けた気がする。
考える暇はなかった。林の奥で、遠吠えが幾重にも重なる。
街道の両側の斜面から、灰色の背中が湧いてきた。十、二十、まだ増える。さっきのは見張りだったらしい。
繋がれた馬が甲高くいななき、前脚を跳ね上げた。荷台の縁にいた少女の体が、ぐらりと外へ投げ出される。
考えるより先に腕が伸びていた。
落ちてくる軽い体を横抱きに受け止め、二歩で荷馬車の陰へ運ぶ。
充実度98%。
「待て待て、今のはレスキューだ! カウントするな!」
判定は俺の主観だと聞いている。だが俺の主観が俺を裏切るのはやめてほしい。
「というかお前、そこで止めるの好きだな!?」
三度目である。もはや俺の持ちネタか何かか。
下ろしてやると、少女は乱れた外套も直さずに馬の首へ手を伸ばした。二度撫でて、短く囁く。馬は鼻を鳴らし、脚を止めた。
それから、こちらを見上げて言う。
「私に構わず、荷を」
「人間より商品が先か!」
「荷は私の代わりに稼ぎませんので」
理屈が通っているのが腹立たしい。
香炉の煙は、もう糸のように細い。四分はとっくに過ぎている。
俺は荷馬車と少女を背にして立った。
飛びかかる一頭を横殴りに払い、次を蹴り上げ、回り込んだ三頭目の鼻先へ拳を突き出す。爪が服をかすめ、また裂けた。それでも一歩も動かない。動けば後ろが齧られる。
そのとき、背中のほうで小さな声がした。
「……すごい」
抑揚が、あった。
鉄面皮に、ひびが一本入る音だった。
100%。
「そこで上がるのかよ!?」
体の芯が熱に変わりはじめる。あと数十秒で、俺はこの場で爆ぜる。荷馬車ごと。少女ごと。
――だったら、まとめて連れて行けばいい。
俺は群れの厚いほうへ駆け出した。
逃げる獲物には全部が食いつく。数十頭ぶんの牙が、揃って背中を追ってきた。
街道を外れ、刈り跡だけの野原の只中で足を止める。振り返れば、灰色が一斉に跳んだ。密集。上等だ。
「――爆ぜろ、俺」
閃光。轟音。
野原の草が根こそぎ舞い上がり、世界が白く弾けた。
音が引いていく。
立っているのは俺だけだった。焦げているのは、やっぱり服だけだ。
灰が雪みたいに舞っていた。
街道のほうから足音が近づいてくる。逃げるでも、拝むでもない、まっすぐな足音。
灰の降る中を、外套の少女が歩いてきた。怯えの色はどこにもない。無表情のまま、目だけが爛々と光っている。
そして立ち止まった。
「――世界で一番、きれいな呪いです」
……呪い。
この世界に来て二日。俺の爆発を魔法と呼ばなかった人間は、初めてだった。
「無詠唱。広範囲。術者無傷。魔法では説明がつきません」
少女は爆心の灰を指先ですくった。
「呪いなら、つきます」
言い切ってから、頭を下げる。
「リゼット・グリモア。グリモア呪具店の店主です」
名乗られた。聞く前に。
三度目でようやく名前を聞けた子がいたのを思うと、世の中は不公平だ。
「昨日、ハゼルの門で大きな爆発があったと、行く先で聞きました。魔法にしては筋が悪い、と。それで引き返してきました」
足元の白猫が、興味ありげに前へ出る。リゼットは視線を落とし、まばたきをひとつした。
「使い魔ですか。良い毛艶です」
「……まあ、そんなところよ」
白猫は尻尾で自分の背を撫でた。褒められた箇所を強調している。
リゼットが、また俺を見た。というより、俺の胸のあたりを。
「一点だけ確認を。術式の刻印は体表ですか、それとも」
「いや、そういうのは見当たらない」
「ではもっと深い。骨か、魂の側。……興味深い呪いです。解剖したいくらい。……あ、比喩です。八割ほど」
「二割は本気なんだよな!?」
さっきまで室温だった声が、呪いの話題になった途端に沸いている。自分でも気づいたのか、こほんと咳払いをして鉄面皮に戻った。
俺は白猫に小声で聞いた。
「……なあフェリ課長。俺、命の恩人だよな? なんで俺より呪いの方がモテてるんだ」
「よかったじゃない。ゲージ、0%のままよ」
右上を見る。爆発でリセットされた0%が、微動だにしていない。
命の恩人としての評価、ゼロ。
リゼットは荷馬車へ戻り、木箱から掌ほどの包みを差し出してきた。
「謝礼です。魔除けの香、三束。上等品です」
「金銭のほうは」
「うちは物々交換が基本ですので」
無一文が、魔除けの香を手に入れた。魔除けが要るのは、たぶん俺の隣にいる側なんだが。
服は今日も焦げた。三度目だ。服の予算はとっくに死んでいる。
灰の舞う中、少女は無表情のまま一歩踏み込んで、俺の胸元をまっすぐ指差した。
「その呪い――私に、一生研究させてください」




