ep003「頼むから、礼を言わないでくれ。俺が爆ぜる」
「多分、てなんだ!?」
夜の軒先に俺の魂のツッコミが響いたが、膝の上の白猫は毛づくろいをやめなかった。
「多分は多分よ。あなたの呪い、この世界の解呪術じゃ解けないの。――持ち込み品だから」
「持ち込み品」
「この世界の解呪は、この世界の呪詛のためにあるの。魂の循環の外から来たものは、様式がまるで違う。呪符も聖水も、たぶん全部すべるわ」
神殿を片っ端から回る計画が、口に出す前に消えた。
「じゃあ、何なら効くんだ」
「手がかりはふたつ。ひとつは、あなたより前に渡ってきた人たちの遺物と記録。古いのが大陸のあちこちに転がってるわ」
「もうひとつは」
「うちの資料庫」
「神界に資料あるなら最初から見せろ!?」
「業務外なのよねえ、それ」
こともなげに言って、白猫は前足を舐めた。
「まあ、業務外でちょっと見てきてあげる。期待はしないでね」
どちらにせよ、石段に座っていて向こうから来る話ではない。
「……この町に居ても解けない。なら、行くしかないだろ」
言ってしまうと、思ったより肚が据わった。
金はない。装備もない。服はもう服の形をしていない。それでも、行き先のある無一文は、ただの無一文よりましだ。
「ただし発つ前に、露店の弁償と詫びだ」
「無一文でどうやって弁償するの」
「……頭を下げる。全力で」
翌朝の市場は、昨日の騒ぎなど忘れた顔で賑わっていた。
果物の甘い匂い、呼び込みの声、日よけ布のはためく音。石畳の隅にだけ、丸く黒い焦げ跡が残っている。俺の初日の落とし前だ。
露店はすぐに見つかった。折れた台を継ぎ木で直した店先で、あの少女が籠を並べ直している。
「あっ、ミツルさん!」
「昨日は台を壊して悪かった。弁償する。……と言いたいが、持ち合わせがない。働いて返す。何日でもいい」
「そんな、逆です! 助けてもらったのは私のほうで」
両手をぶんぶんと振る。潤んだ目を見た瞬間、視界の端の数字が一段上がった。慌てて話を変える。
「じゃあ、名前を教えてくれ。二回も聞きそびれてる」
「はい。私、ティ……」
市場の喧噪が、すっと引いた。
紙の束で掌を打つ、乾いた音がしたからだ。
人垣が割れて、恰幅のいい男が歩いてくる。仕立てのいい上着に、脂の浮いた笑み。小脇に証文の束、後ろに用心棒が三人。
「期日は今日だよ、お嬢さん」
少女の顔から色が引いた。
「ガルドーさん、あと十日……薬を買ったら、どうしても足りなくて」
「お父上の薬代を都合してやったのは私だ。利子も判子も、帳面の上ではぜんぶ正しい」
証文を一枚めくり、男はうたうように読み上げた。店を畳んで台と品を引き渡すこと。足りぬぶんは、娘が住み込みで働いて返すこと。
誰も動かない。正しいから、止められない。
店の奥に、畳んだ毛布と薬包の紙が見えた。父親は臥せっていて、ここにはいない。
「そういえば昨日、うちの若いのが二人ばかり空を飛んだそうだね」
なるほど。露店に絡んでいたならず者は、この男の取り立て屋か。
ガルドーは俺を一瞥し、鼻で笑った。噂の『自爆魔道士』とやらを与太話だと決めている顔だ。
「おい、片づけろ」
用心棒が露店の台を蹴った。籠が跳ね、果物が石畳に散らばる。赤いのがひとつ、ぐしゃりと潰れた。
前世なら俯いて通り過ぎた場面だ。俯いて、家に帰ってから壁を殴った。
今度も、体のほうが先に動いた。
掌を、下から一発。
用心棒は屋根の高さまで浮き上がり、日よけ布を巻き込みながら向こうの通りへ落ちていった。白目である。
市場が、割れた。
「うおおおおっ!」
「英雄だ! 昨日の英雄が来てるぞ!」
やめろ。やめてくれ。
視界の右上で、数字が階段を上がりはじめる。
充実度53%。
散らばった果物の真ん中で、少女が大きく息を吸った。
「ティナです! 私の名前、ティナっていうんです!」
三度目の正直は、怒鳴り声だった。
76%。
涙でぐしゃぐしゃの顔で、それでもまっすぐ俺を見て、ティナは続けた。
「私、ミツルさんのことが――」
甲高い指笛が、その続きを吹き飛ばした。
98%。
指を口から抜いたガルドーの顔から、色が失せている。
屋根まで飛んだ用心棒と、与太話だと切り捨てた噂が、頭の中でようやく一本に繋がったらしい。
それでも逃げない。ここで退けば、この町での面子も商売も終わる。
門の方角で、地鳴りが起きた。
武装した一団は門で衛兵に止められる。だから外に待たせていたわけだ――十数人の傭兵が門を蹴破り、市場へ雪崩れ込んでくる。
人生で初めて、借金取りの増援に感謝した。
98%を抱えて逃げ回れば、いずれどこかで勝手に爆ぜる。だが的が向こうから群れて来るなら、話は別だ。
俺はガルドーの襟首を掴んで、荷物みたいに小脇へ抱えた。
「なっ、何をする! 放せ!」
「お前は主賓だ」
群衆と反対の方へ、門の外へ、全力で駆けた。
背後から傭兵が食いついてくる。雇い主を担がれて黙っている雇われはいない。
街道に出て、振り返る。土煙の中、十数人がひと塊で突っ込んできた。密集。上等だ。
市場のほうから、遠く声が追いかけてくる。
「自爆魔道士だ!」
「やっちまえー!」
人類最強の耳が、また余計な仕事をする。
100%。
体の芯が、根こそぎ熱に変わる。
俺は主賓を足元へ転がし、迫る一団のど真ん中で仁王立ちになった。
「――爆ぜろ、俺」
閃光。轟音。
街道の土が高く舞い上がり、世界が白く弾けた。
煙が薄れる。焦げているのは、やっぱり服だけだ。
灰が雪みたいに舞っていた。その中に、黒く縮れた紙の切れ端が混じって落ちてくる。
証文だ。利子も判子も、帳面ごと灰になった。
白目の傭兵と、その真ん中で伸びているガルドーを、駆けつけた衛兵が手際よく縄で括っていく。門を蹴破られた時点で、詰所はもう動いていたらしい。
「余罪は山盛りですよ、この男は」
衛兵の一人は燃えかすを一枚つまみ上げ、肩をすくめた。
事件終了。ゲージは0%。ここまでは完璧だった。
「ミツルさーん!」
街道を、市場の連中が土煙を上げて走ってくる。先頭はティナだ。
「ありがとうございます! 本当に、本当にありがとうございます!」
「助かったよ、あんたのおかげだ!」
「うちの果物、持ってってくれ!」
0%だった数字が、目の前でぐんぐん上がっていく。19%。34%。47%。
「頼むから、それ以上礼を言わないでくれ! 俺が爆ぜる!」
群衆がどっと笑った。またしても、褒められたと解釈されたらしい。
「見たか、《終末の爆炎》だ!」
「カタストロフ……」
誰かが叫び、誰かが復唱する。技の名前まで勝手に決まった。訂正はもう諦めている。
夕方の街道。西日が長く伸びて、ハゼルの門が赤く染まっていた。
ティナが小さな革袋を差し出してくる。
「これ、少しだけですけど……お礼です」
「いらない。台の弁償と相殺だ」
差し引きゼロ。どころか、焦げた服代がまだ赤字だ。
「あの、ミツルさん。私……」
言いかけた声の温度で、続きの見当がついた。視界の右上の数字も、同意見らしい。
「その先は言うな。物理的に危ない」
ティナは目を丸くして、それから笑った。涙の跡の残る顔で、きれいに笑った。
「じゃあ、このお礼は貸しにしておきます。いつか爆発しなくなった日に、まとめて返しに来てください」
……敵わない。借金取りを吹き飛ばした翌日に、貸しを作られた。
歩き出した背中に、市場の連中の声が飛んでくる。達者でな、また来いよ、英雄。
61%。
「見送りで上がるのやめてくれ」
足元の白猫が、尻尾で俺の脛を叩いた。
「見てきたわよ、業務外で」
「早いな。査定のほうは」
「知らないわ。……呪いに詳しい行商が、ちょうど次の町へ向かってるらしいわよ。大陸中の呪具を扱ってる変わり者――」
白猫は尻尾で街道の先を指した。
「屋号は確か、グリモア呪具店」
呪いを売る店で、呪いを解いてもらう。
ろくな話じゃない。……だから、当たりの気がした。




