ep055「町の全員に迎えられて爆ぜると、吹き飛ばした物まで返ってきた」
最後まで言う前に、返ってきた。
言葉ではなかった。
知らない男の手が、目の前に出ている。
その上に、俺の物ではない物が載っていた。
「落としましたよ」
「いや、俺のじゃ――」
男は疑わない。俺の手を取って、その上へ渡してしまった。渡したあとは、もう次の用のほうを向いている。
渡されたものは、おさまりが悪い。どこを持てばいいのかも分からないまま、両手で受けている。
リゼは馬のわきに立ったままだ。俺の訊いたことには、何も返ってこない。訊き直す間もなかった。
白猫は荷の上で目だけ動かした。それきり、口を開かない。
手の上のものを見る。俺のではない。誰のかも分からない。
男が歩きだす。すれ違うときに、頭だけ下げた。
「おかえりなさい」
次に通った者も、同じことを言った。その次も言った。こちらを見てもいない者まで言う。
両手をふさいだまま行く者が、顔だけこちらへ向けて言った。小さい子は、言うだけ言って先へ行った。
「……それ、俺に言ってるのか」
「この町じゃ、みんなに言うんですよ」
答えた者は手を止めなかった。何かを抱えたまま、道の向こうへ行く。
俺に向いていたわけではない。誰に向いていたわけでもなかった。
それが分かってから、もう一度言われた。
道を行く者を見た。全員、何かを持っている。手ぶらの者が一人もいない。
布でくるんだもの。柄だけが外に出ているもの。持ち方はばらばらだ。何なのか分からないものを、そのまま抱えている者もいる。
荷馬車のわきを通った者が、こちらへ言った。
「ヒルンドで落とした物は、だいたい返ってきますから」
訊いてはいない。返事も待たれなかった。担いだものの位置を直しながら、そのまま行く。
……さっき、俺の家みたいに言わなかったか、この人。
充実度55%。
道の向こうで、さっきの物が別の手へ渡った。持っていた者が、通りかかった者へ差し出す。差し出されたほうは受け取って、そのまま行った。
その物を、目で追った。
受け取った者は少し歩いて、また別の者へ差し出した。二人目も断らない。断る理由がないという顔だった。
中身をあらためもしない。どこから来た物かも訊かない。差し出されたら受け取る。それだけの動きが、道のあちこちで同時に起きている。
「持ち主の分からない物は、見つけた者が次の者へ渡すんです」
こちらが訊く前に、そばの者が言った。手は止めていない。
「それで三度、人の手を渡っても名乗り出る人がいなければ、その物は最後に手にした人のものになります」
「……そういう決まりなのか」
「決まりっていうか。そういうことになってるんです」
「その三度ってのは、誰が数えてるんだ」
「誰も」
なんでもないことのように返ってきた。数える者はいない。それでも、そういうことになっている。
「なんでそんな決まりが――」
白猫は答えなかった。荷の上から、そばに立っていた者のほうへ首を向ける。
「ねえ、そこの。この人が訊いてるんだけど」
「さあ。誰も困ってないので」
答えは、その者の口から出てきた。
「……そういうの、うちにもあるのよ。時効っていうんだけど」
「いま、何の話をした」
「時効の話」
こちらの訊いたことには、何も返っていない。
道の向こうを、誰かが指した。
「困ったら、あの人に持っていくんです」
指されたほうに、男が立っていた。よく笑う人だった。人が来るたびに何かを渡して、渡された者が頭を下げていく。下げられたほうは、そのたびに笑って手を振る。
その手は、いつも空いている。渡したそばから、次の者が来る。
礼を言われている数が、この道で誰よりも多い。
その輪から外れたところに、娘が一人いた。
何も持っていない。この町だと、それは目につく。
物が娘の前を通っていく。手から手へ渡っていく。誰も、この娘には差し出さない。娘も、誰にも差し出さない。
除け者にされているわけではなかった。話しかける者もいる。ただ、輪の内側にいないだけだ。
手の中の物を、娘のほうへ差し出してみた。この町のやり方が、まだよく分かっていない。
娘は受け取らなかった。手も出さない。
「……別に。私のじゃないです」
それきり、何も言わない。
娘の向こうから、また声がした。
「おかえりなさい」
顔を上げた。俺に言ったのではない。すぐそばの者に言ったのでもない。誰も、それを聞いた顔をしていなかった。言われた者も、言った者も。
リゼがこちらを見た。何も言わない。
充実度36%。
……返す気だけは、この町、異常に強いな。
通りかかった者が、頭だけ下げていった。手は止まらない。用は済ませたままだ。
次の者も同じだった。その次も同じだ。三人続いた。
充実度45%。
娘の目が、道の向こうへ向いた。一度だけだった。さっき指されたのと、同じほうだ。何を見たのかは、こちらからは分からない。
「すみません、ちょっと手を貸してもらえますか」
道の反対側から呼ばれた。三人がかりで、動かないものがある。三人とも同じところへ手を掛けて、同じ側へ力を入れていた。動く気配がない。
「一人では無理で。手が足りないんです」
三人が場所を空けた。俺は空いたところへ手を掛けた。
掛けて、そのまま動かした。
一動作で済んだ。
三人は、手を掛けた形のままでいる。
声が止まった。
それから、礼が返ってきた。一人ではない。道にいた者が、みんな顔を上げている。
こちらを見ていなかった者まで見ている。手を止めた者もいた。この町で、手を止める人間を初めて見た。
抱えていたものを片手へ持ち替えて、空いたほうの手をこちらへ上げた者がいる。それを見て、別の者も同じことをした。
「おかえりなさい」
今度は、はっきりこちらを向いていた。道の端から端まで、同じ言葉が返ってくる。
充実度98%。
「そこまで上がると、もう間に合わないと思うのよね」
白猫が荷の上から言った。
間に合わせる。逃げればいいだけだ。走って、離れて、誰もいないところで済ませる。何度もやってきた。そこだけは得意なんだ。
一歩、下がった。
手が出た。
「落としましたよ」
受け取った。
もう一歩。横から別の手が出る。
「これ、あなたのじゃないですか」
受け取った。
下がる先にも、人がいる。こちらに用があるわけではない。通りかかった、そのついでという手つきだった。
「これも、たぶん」
手が先に出ていた。
誰も走っていない。誰も俺の前に立っていない。道が塞がれることもない。用を済ませながら、手だけがこちらへ出てくる。
一歩下がるたびに、手の中が増える。
……待て、逃げてるんだよ俺は。
三歩目で、視界の端に娘がいた。
手が伸びていた。差し出されている物の一つへ、まっすぐ伸びて、途中で止まる。
指が開いたまま、その形で動かない。
止まった手は、そのまま下がった。
娘はこちらを見ていない。誰のほうも見ていなかった。
見た。それだけだった。
背中から上がってきた。速い。
手の中はいっぱいで、下がる先もない。
道の真ん中で、爆ぜた。
飛んだのは物だけだった。人は誰も飛ばない。手を出していた者は、その手をもう引いていて、次の用のほうへ動いている。
布がほどけて、中身が別々に飛んだ。柄の出ていたものが、道の先まで転がっていく。
上着がまた焦げた。焦げない外套のほうは無事だ。
充実度0%。
静かになった。
誰も怒らなかった。
咎める声が出ない。顔を寄せてくる者もいない。
こちらへ向いていた顔が、一つずつ、元の用のほうへ向いていく。
「……悪い」
それだけ言った。返事はなかった。
散らばった物へ、手が出た。一つ目が手に取られて、次の手へ渡る。渡された者がまた渡す。手から手へ動きだして、道が元の調子になっていく。
俺の手の中にあった物まで、返ってきた。吹き飛ばした側なのに、まとめて差し出される。
「落としましたよ」
「これ、あなたのじゃないですか」
……頼むから、俺の分は返さなくていい。
そこへ、あとから音が返ってきた。
どん、と一つ。間があって、また一つ。同じ音が、あちこちから、別々に届く。
最後の一つは、ずいぶん経ってから来た。
出したのは一度きりだ。返ってきたほうが多かった。
リゼは荷馬車のそばから動いていない。白猫は荷の上にいる。どちらも何も言わない。
あの男が来た。散らばった物の間を歩いて、通る者ごとに何かを渡していく。渡された者は頭を下げていく。男は笑ったままだ。慌ててもいない。
爆ぜたばかりの道を、いつもの用の続きみたいに歩いている。
娘は、少し離れたところに立っていた。何も持っていない。誰も、この娘には差し出さない。
男が娘のほうを向いた。手の上のものは、そのままだ。
娘の顔が下がる。
娘は、何も言わなかった。
「あと一度で、三度目です」
男の手の上に、一つだけ、まだどの手にも渡っていない。
充実度30%。
「……その子のだ。俺が見てた」




