ep047「来るなと言われた日に行き、頭を下げてから爆ぜた」
来るなと言われた。だから、来た。
石段の下に、町ぜんぶの荷が積んである。鐘が、一度鳴った。
落ちてくるなら、下で受ければいい。そのつもりで、そこに立っていた。
鐘は、それきりだった。
代わりに崖が鳴りはじめた。きし、きし、と、あちこちで一斉に。昨日まで一本だった音が、今日は数えられない。
荷は列になっていた。石段の下から、下の道の先まで続いている。どれにも布がかかっていて、形だけが並んでいた。
どういう順で上がるのかは、誰も言わない。そういうことになっているらしい。
遠くで一度だけ、《カタストロフ》様、と呼ぶ声がした。
振り返らなかった。
娘は、こっちを見ない。
掌に唾をつけて、綱を握って、引いている。それだけだ。
充実度4%が、24%になる。
リゼの荷が、籠に載った。
幌の下は、いつのまにか積み替えられていた。荷台の端に、外したぶんが寄せてある。籠は思ったより浅くて、入ったのは、そのうちのいくらかだけだ。
「……籠に載るぶんだけ、選びました」
理由は言わなかった。俺も訊かなかった。
肩の上で、白猫が伸びをした。
「言っとくけど、私、今日は非番だから。ええ、非番。書類上そうなってるの」
「……誰も訊いてない」
籠が上がっていく。崖の面から少し離れて、まっすぐだ。首が痛くなるあたりで、まだ半分だった。
――受けられる高さじゃない。
落ちたら、下の道じゃない。崖の裾だ。
俺は石段のほうを見た。それから、足をかけた。
内側で、預かりものの振り子は動かないままだ。
石段では、降りてくる者とばかりすれ違った。上の町は、人が少なかった。みんな下にいる。
昨日はあれだけ止められたのに、今日は誰も前に立たない。道の端に寄って、通していく。行き先が分かっているような寄り方だった。
……止めてくれよ、今日ぐらい。
充実度24%が、60%になる。
嬉しくない。それでも上がる。
突き当たりの欄干に、上げ切った籠が留めてあった。掛け金に綱を一回りさせたやつが、昨日より増えている。
その足元に、割れた荷がそのままあった。誰も片づけていない。
男は、そこに立っていた。綱を握ったまま。手は結び目のところにある。
俺は足を止めて、頭を下げた。割れた荷の横だった。
顎が胸につくところまで下げて、そこで止めた。目に入るのは、自分の靴の先と、割れ口からこぼれた土だけだ。
何も言わなかった。言うことは、はじめから持ってきていない。
どれくらいそうしていたのか、自分では分からない。
顔を上げたとき、手は結び目から離れていた。
うなずきもしない。口も開かない。それでも、離れていた。
そして、その手が下の道のほうへ上がった。肩より高く、まっすぐに。
何の合図なのか、俺には分からなかった。
「……あら。上がったわね、手が」
下で、音が一つだけ変わった。
町の綱は、まだ全部鳴っている。そのなかで、一本だけ違った。きし、きし、ではない。こすれて伸びていく音だ。
石段を三段ずつ降りた。降りきる前に、下の道が見えた。
いちばん端の綱だ。娘の指が、開いている。
合図のとおりだった。放したのだ。
籠が落ちはじめる。綱が逆へ走って、鉤のところで高い音になった。掌のなかを、太いものが滑っていくのが見えた。
娘が、走っている綱を掴み直した。
体が前へ引かれる。踵が土をこすって、線が二本残った。肘が伸びきって、手が持っていかれかける。
止まった。
籠は、少し落ちて、そこにいた。崖の面で一度ぶつかって、それきり動かない。
誰も動かなかった。列のほうも、石段のほうも、見ているだけだ。
俺は綱に手を伸ばした。
触れる前に、止めた。伸ばしたぶんだけ、引き戻した。
それから、下の道に向かって言った。
「――誰か。そいつの綱、一緒に持ってくれ」
一拍あった。
列のほうで、荷を置く音がした。
最初に来たのは、昨日、俺の前に立った男だった。
何も言わずに娘の後ろへ入る。掌に唾をつけてから握った。娘と同じやり方だった。
それから二人。四人。肩がぶつかるくらいの間隔で並んで、順に手をかけていく。
後ろの男が、そのまた後ろの肩に手を置いた。それだけで、次が入った。
綱が、止まった。
娘の踵が、土から離れた。きしむ音が戻ってくる。上げるときの音だ。
充実度60%が、98%になる。
「充実度98%。……俺、何もしてないんだが」
「してないわねえ。口だけで98%よ」
石段を駆け上がった。手には何もない。
上げの日で、みんな下にいる。突き当たりまで、誰ともすれ違わなかった。
そこまで来て、はじめて息が上がっていることに気がついた。
欄干は崖の縁にある。下の道は、ずっと下だ。
男は逃げなかった。走りもしない。手は、結び目から離れなかった。
見ているのは綱と、下の道だけだ。俺のほうは見ない。
息を吸って、止めた。
「――爆ぜろ、俺」
欄干が、根元から割れた。
掛け金も、結び目も、そこに立っていた男も。
声はしなかった。最後まで、一言もなかった。白目のまま、町の奥のほうへ飛んでいった。
耳が塞がって、戻るまでに間があった。
留めてあった籠が、いっせいに降りはじめた。綱は繋がったままだ。並んで垂れていたやつが、順に崖の面を下りていく。
下の道には、いま、握っている手がある。
いくつもの手が同時に引かれて、それから踏ん張った。
落ちなかった。降りてきた。
上がるときだけ鳴るはずのものが、下りながら鳴っていた。一本ではない。町ぜんぶが鳴っていた。
充実度98%が、0%になる。
上着の、焦げていたところが、また焦げた。
欄干のあったところは、土が出ていた。割れたやつも、なくなっていた。
夜になっても、下の道は鳴っていた。
灯りは石段の下に集まっている。籠の影が、上がったり下りたりを繰り返していた。
降りてきた籠が道に並んで、並んだそばから、また上がっていく。下で引く手があって、上で受け取る手がある。両方に人が立っていた。
リゼは荷台のそばで、結び目をほどいていた。籠に載ったぶんも、載らなかったぶんも、いまは同じところにある。
俺の顔を見て、それから、また手元に戻った。何も訊かれなかった。
肩の上で、白猫が鼻を鳴らした。
「働き者の町ねえ。私は非番だけど」
娘のところへ行った。綱は、朝と同じ手のなかにある。
手は、止まらなかった。
掌に唾をつけて、握り直す。朝と同じ順番だった。
「……当分、終わんないから」
それだけだった。こっちは見なかった。
充実度0%が、7%になる。
下の道を外れた。昨日、爆ぜたところだ。草も土も、焦げたままだった。
その焦げが、四角く、削り取られていた。
「……誰だ、これ」




