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世界最強の自爆魔道士は、今日も報われない ―幸せになると爆発します―  作者: かるたっくす


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ep045「綱を放す仕事を代わってやる、と言った。代われる仕事じゃなかった」


 どなたのお許しで上げなさった、と訊かれた。

 夜のあいだ、ずっと考えていた。

「……お許しって、どこで貰えるんだ」


 肩の上の白猫が、片耳だけこちらへ倒した。

「窓口じゃないの」

「窓口」


「そういえば聞いてよ、ミツルくん。あなたの呪いの件、窓口で三回突き返されたのよ」

 白猫は前足を舐めてから、心底うんざりした声で続けた。

「存在しない人の呪いは、存在しないことになるんですって。記録の上で、あなた、どこにも属していないの」

「……ふうん」


 朝は、上の町のほうが先に明るくなる。崖の縁から白くなっていって、下の道はまだ薄暗い。

 どこかで、きし、と鳴った。少し置いて、また、きし。町のあちこちで、綱が滑車を通りはじめる。


 鳴らないのが、一本だけあった。

 石段の下、いちばん端の綱だ。空の籠が鉤に掛かったまま、誰も引いていない。昨日の夕方と同じ形のまま、そこにある。


「ちょっと。聞いてる? 三回よ、三回」

「聞いてる」


 猫は、俺の顔を見ていた。

 俺は、鳴らない綱のほうを見ていた。

 白猫は、それきり黙った。


 焦げたままの上着の内側で、預かった振り子がかたりと鳴った。

 荷馬車の幌は下ろされたままで、リゼは荷を一つも解いていない。すれ違いざま、袖の裂けたところを一度だけ引っ張られた。

「……そのうち縫います」

 言ったのは、それだけだった。


 下の道で上がるのを待っていた男が、一人だけ立ち上がった。背負い縄を肩に掛けたまま、二歩こちらへ来て、止まる。

「あんた。……また、上げてくれるのか」


 喉のあたりが、妙に軽くなった。この町の人間に、初めて頼まれた。

 充実度9%が、22%になる。


 男は、来た二歩を、そのまま自分で戻した。

「……いや。やめとこう」

「なんでだ」


「綱元のお許しがないと、あんた、この道に立てなくなる」

 脅している声ではなかった。教えてくれている声だった。


 俺は石段を上がった。今日は、手に何も持っていない。


 上がりきると、道が急に狭くなった。軒が低い。荷が上がらない町だからか、大きな物が一つもない。

 すれ違った女に、いきなり訊かれた。


「あんた、どこから上がってきたね」

「……下から」

「そうかい」


 それで終わりだった。名前は訊かれなかった。この町では、誰も訊かなかった。


 道の突き当たりに、欄干があった。

 男が一人、そこに立っている。綱を握ったまま。


 上げ切った籠の綱が、欄干の掛け金に一回りさせて結んであった。

 男の手は、その結び目のところを押さえている。押さえたまま、離さない。


 前を行く町の者が、欄干の手前で一度足を止めた。軽く頭を下げて、それから通っていく。

 次に来た者も、同じことをした。誰も口には出さない。みんな、そうしていた。


 俺は、そのまま通った。

「……あれが、ロヴィスさんだ」

 後ろで、誰かが小さく言った。


 欄干のところで足を止めて、俺は言った。

「下の道の荷、俺が上げても構わないか」


 男は下の道を見ていた。こちらは見ない。

「力なら、ある。人よりは、ある。金は無いから、働きで返す」

「わたくしは、何も頂きません」


 丁寧なのに、語尾が短い。降りてくる気のない喋り方だった。

 差し出せるものが、そこで尽きた。

 充実度22%が、13%まで落ちる。


「……じゃあ、何を出せばいいんだ」

「あなた様は、まだ、どなたにも頭を下げておられない」

「……順番なら、待つ」


 男は、答えなかった。


 手を見た。綱を握って何年になるのか知らないが、掌に胼胝が一つもない。

 欄干のほうは木が減っていた。何年ぶんの綱がここを通ったのかは、この減り方だけが知っている。


「なんであんたが、それを握ってるんだ」

 返ってこなかった。黙ったままだった。


 言い方を変えて、もう一度訊いた。やっぱり黙っていた。

 理屈が返ってくるなら、こっちも返せる。返ってこないと、当てる先がない。


 指が、動いた。

 結び目が、指一本ぶん送られた。


 きし、ではなかった。

 ずる、と鳴った。


 欄干の向こうで綱が滑って、崖下のほうで、何かが落ちる音がした。石段からは、だいぶ離れたあたりだ。

 男は何も言わなかった。俺を見もしなかった。手は、また止まっている。


 背を向けてしばらく歩いてから、肩の上で白猫が言った。

「ねえミツルくん、私、次に生まれてくるならあれがいいわ」

「……綱を握る役か」

「握ってるだけで一日が終わるのよ? 私なんか、爪を研ぐ暇もなく働いてきたのに」


 降りてみたが、誰も騒いでいなかった。


 夕方になると、綱はもう、どこも鳴らない。上げるのは仕事で、落とすのは事故だ。この時刻に鳴っていたら、そっちのほうがおかしい。

 いちばん端の綱は、朝から一度も鳴っていない。


 その前に、娘が立っていた。

 肩の上で、白猫が丸くなって眠っている。朝から一言も喋っていない。


「昨日の、余計なことって」

 娘は綱を見たままだった。

「……あんた、まだいたんだ」

「理由、聞いてない」


 少し間があって、娘は肩をすくめた。愚痴をこぼすときの喋り方だった。

「引く仕事がないと、放す仕事が回ってくるの」


「……放す」

「上から言われたら、下で持ってる者が手を開くの。落ちたら事故でしょ。誰も引いてなかったことになるんだから」


 綱の擦り切れているところを、娘は指でなぞった。

 擦り切れているのは、下の道の側の一箇所だけだった。いつも同じところを握っているからだろう。


「なんで、あんたなんだよ」

「引く仕事がないと回ってくるって、いま言ったでしょ」

「そうじゃなくて。なんで綱なんか引いてるんだ」

「気がついたら引いてた。ここじゃ、みんなそう」


 言葉のほうが先に出た。

「代わってやる」


 娘の手は、綱から離れなかった。

「代われないよ。綱は、この町の者の手じゃないと」


 一拍あった。


「あんたが担げばいい、って話でもないの」

「……なんでだよ。俺が全部担げば、誰も困らないだろ」

「そしたら、あたしの仕事が、なくなるだけだから」


 口が動いた。音にならなかった。

 もう一度動かして、それも音にならなかった。


「わたしは、放す。分かっていて、放す」


 気がついたら、しゃべっていた。

「……俺、前に、十四年ぐらい」

 何を言い出すんだと自分でも思ったが、止まらなかった。


「幸せそうなやつを見るたびに、心の中で呪ってた。片端から、一人残らず、毎日だ。十四年、そればっかりやってた」


 娘は何も言わなかった。

「口には出してない。手も出してない。だから誰も落ちてない。……それだけなんだ、俺は」


 綱を握る手が、ほんの少し緩んだ。

「あんたは、手で放してる。俺は、心の中で、全部落としてた」


 娘が、顔を上げた。


 その顔から、少しだけ力が抜けた。目のあたりに張っていたものが、そこだけほどけた。

 昨日から見ていたはずなのに、この娘の顔を見たのは、それが初めてだった。


 充実度13%が、6%になる。


 ……下がった。

 下がったのに、なんで、すっきりしないんだ。


 日が落ちた。下の道から先に暗くなっていく。

 崖の上のほうで、まだ、きし、きし、と鳴っていた。何事もなかったように鳴っていた。


 荷馬車の陰で、リゼが一度だけ顔を上げた。それきり、何も言わない。俺も、何も言わなかった。


 娘が、空の籠を鉤に掛けた。掛けてから、一度、下へ引いて確かめる。

 その掌には、胼胝があった。綱と同じところが、硬くなっている。


「明後日だよ」

 娘が言った。掌に唾をつけて、綱を握り直しながら。


「上げの日。町ぜんぶの荷が、下に集まる」

「……明後日は、朝から日暮れまで、ずっとこれ」


 訊いてもいないのに、向こうから来た。昨日は、謝っても返ってこなかったのに。

 充実度6%が、33%になった。


 ――集まる。ぜんぶ、下に。

 俺は、崖を見上げた。上の町には、まだ光が残っている。

「……あと、二日か」


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