ep042「偽者に『本物だ』と紹介された俺、町の真ん中で幸せになって、そいつごと消し飛ばした」
「なんでもいい。俺を、褒めてくれ」
朝いちばんの掛茶屋の前で、俺は見も知らぬ相手に頭を下げていた。
……昨日、頼み事を断られたばかりの男が、翌朝これである。
相手は水桶を提げた男だった。少し困った顔で「はあ」と言って、桶を持ち直し、掛茶屋の裏へ回っていく。
頭を下げすぎたと思って、中途半端に戻す。
次の男には、荷を持ってやった。
「助かります」
井戸では、汲んだ桶を運んでやった。
「ありがとうございます」
道の反対側では、縁台の脚の高さを揃えている二人がいた。端を持ち上げてやると、片方が顔を上げた。
「おお、すいません」
この町の人は、本当に親切である。
礼は言われる。名前は、訊かれない。
充実度11%。
動かない。
「あら。今日は上げに行ってるのに、動かないのねえ」
足もとで白い猫が言った。
「……うるさい」
下げる方法なら二十通り知ってる。
上げる方法を、俺は一つも知らない。
縁台は、ゆうべのうちに並べ終わっていた。道の端から木戸のほうへ、砂がずっと続いている。
踏んでも音がしない。まだ湿っているのだ。
リゼが、その上を靴の先でなぞった。
「……朝は、鳴りませんね」
木戸のほうで、声が上がった。
「あの方が、いらっしゃいました」
木戸を入ってすぐの、並木の下だった。
人はまだこっちまで来ていない。集まりはじめているのは、もっと奥の、いちばん広いところだ。
並木のこっち側は静かだった。奥のざわめきが、水の音みたいに遠い。
少し離れたところで、砂が撒き足されている。さら、と乾いた音がした。
白い外套が、木漏れ日の下で立ち止まる。
「自爆魔道士様」
俺を見て、嬉しそうに笑った。
「またお目にかかれました」
隠しもしない。訂正もしない。声の高さまで、あの日のままだった。
……この男は、俺がどんな顔でここに立ってるか、たぶん考えたこともない。
「今日は、みなさんの前でお見せしますので」
言い方は、これから土産でも配る人のそれだった。
俺は拳を握った。
握って、開いた。
……あの子の顔が浮かんだ。それだけだ。
充実度4%。
「あら。朝からあんなに頭を下げて回ったのに、逆戻りねえ」
足もとの白いのが、尻尾を立てた。
「……黙ってろ」
リゼが、外套の裾のあたりを一度だけ見た。
「……よく仕立ててあります」
「ありがとうございます」
白い外套の男は、褒められた子どもみたいに裾を軽く持ち上げてみせた。それから、リゼにも丁寧に頭を下げて、俺のほうへ向き直る。
「よろしければ、ご一緒に」
……並ぶ?
この男は、俺を騙してるんじゃない。
本気で、俺と並べると思っている。
断る言葉を、探していた。
言い返す前に一拍黙るのは、俺の癖だ。
……その一拍が、夕方まで続いた。
木戸の内側は、人で埋まっていた。
砂は、いちばん広いところまで撒いてある。縁台の上にまで人が乗って、砂の内側だけが、ぽっかり空いていた。
その内側に、俺は白い外套と並んで立たされている。
……俺のほうを見ている奴は、一人もいない。
肩車された子どもが、指をさす。指の先は、俺の隣だ。
ヤンが袖から包みを出した。指が、慣れた形に動く。
迷いがない。何度もやってきた手つきだ。
そのとき、人垣が割れた。
あの子が、布に包んだものを抱えたまま、一歩出てきた。
「――その方に、助けていただきました。昨日、この町で」
声は震えていなかった。
指だけが、包みの結び目を握りつぶしていた。
充実度51%。
町がざわついた。隣の者と顔を見合わせる者、俺のほうへ首を伸ばす者。前のほうにいた男が言った。
「……あの、どちらさんで」
……訊く相手が、逆だ。
この町の誰も、隣の男には訊かなかった。
一度も。
ヤンが、にこにこしたまま答えた。
「自爆魔道士様です」
町が、また黙った。
息を吸う音が、あちこちで揃って聞こえた。
「――本物の、自爆魔道士様です」
充実度98%。
……いま、俺を褒めたの、こいつか。
町じゅうの顔が、いっせいにこっちを向いた。
ざり、と砂が鳴った。
肩の上の子どもが、身を乗り出す。
……朝からずっと、誰にも訊かれなかった。
その呼び名を、この男が町に配っている。
人垣のどこかで、誰かが言った。
「……《終末の爆炎》様だ」
充実度100%。
……その呼び方、まだ生きてたのか。
訊いたのは、一つだけだ。
「魔物を倒したあと、もう一度撃つのは、なんでだ」
笑顔のまま、答えが返ってきた。
「一度で終わってしまうと、みなさん、あっけないお顔をなさるので」
誰も、何も言わなかった。
笑う者も、うなずく者もいない。さっきまで前へ出ていた体が、少しずつ後ろへ引いていく。
縁台の上で、誰かが座り直した。板が、一度だけ鳴った。
ヤンが、包みに火を移そうとした。
その腕を掴んだ。
掴んだまま、歩き出す。町に背を向けて、砂の上を、人からいちばん遠い端まで。
抵抗はなかった。引きずられながら、この男はまだ笑っている。俺の足が砂を擦る音だけが、後ろまで届いていた。
途中で足を止めかけて、やめた。
縁台の影が、まだ届いている。
もう十歩。
影の外へ出て、そこからさらに、砂の切れるところまで。
端まで来て、手を離した。
「――その火は、要らない」
「……はい?」
「終わりは、俺が告げる」
息を吸った。
「――爆ぜろ、俺」
閃光。土煙。
砂が全部飛んで、空の縁台が二つ倒れた。
それだけだった。
充実度0%。
歓声は、上がらなかった。
拍手も、悲鳴もない。落ちてきた砂が屋根を叩く音だけが、長く続いた。
耳の奥で細い音が鳴っている。膝に手をついて、立った。
土煙が薄くなると、砂の上に、焦げた白い外套が落ちていた。
俺の外套は、焦げていない。
その隣で、白いのが起き上がった。顔が真っ黒で、目だけが白い。
「……やはり、本物の方は違いますね」
「真似すんな」
人垣が割れて、そのまま見えなくなった。
誰も追わなかった。誰も引き止めなかった。
町の者が、倒れた縁台を起こしはじめた。木の脚が、砂を擦る。
掛茶屋のほうを見た。
あの子が、布に包んだものを抱えたまま、立っていた。
日暮れ。
砂を掃き集める音がしていた。
竹箒が重い。穂先が地面に食い込んで、一掃きごとに手首へ来る。
木戸の札の前に、布に包んだものを抱えた人が、何人か立っていた。
しばらくして、誰も何も言わないまま、それぞれ抱えたまま帰っていった。
掛茶屋の屋根には、町の者が二人登っていた。半分だけ残っていた葦簀を、端から張っている。
「そっち、押さえててもらえますか」
屋根の上から、俺に言った。
……この町で、初めて用を頼まれた。
押さえた。それだけの話だ。
二人が降りてくるのを待っているあいだに、あの子が縁台に布包みを置いた。
「……これは、お納めください」
「いや、俺は」
「壊したものは、ご自分で直すお人なんでしょう」
「……俺は、何も壊してない」
「はい。だから、直していただいた分です」
「……ミツルくん、それ、受け取りなさい」
「うるさい」
受け取った。結び目が、丁寧すぎるほど丁寧だった。
「……間宮、充さん」
あの子が、深く頭を下げた。ゆうべと、同じ深さだった。
充実度21%。
「あの方は、どちらへ行かれるんでしょう」
俺は答えなかった。
分かれ道の前で、リゼが片方を長く見ていた。
「……こちらで」
理由は言わなかった。俺も訊かなかった。
木戸の掲示板を通ると、人相書きが剥がされていた。四隅に、紙の切れ端だけが残っている。
「あんた、名前は」
木戸のところで、呼び止められた。
この人に呼び止められるのは、二度目だ。
充実度23%。
……訊かれただけで、もう上がってる。
一拍、黙った。
それから、この世界で初めて、自分から名乗った。
「――自爆魔道士だ」




