ep040「俺の名前で集めた金で直るはずの屋根を、なぜか俺が自腹で直している」
朝いちばんに、俺は他人の家の屋根に登っていた。
焼けた葦簀を外して、新しいのを張る。誰にも頼まれていない。葦簀は、俺が自分で買った。
……俺の名前で集めた金で直るはずのものを、なんで俺が自腹で直してるんだ。
煤の匂いは、もう薄い。掲示板の紙だけが、まだ湿っていた。木箱の口から、はみ出した紙の角が見えている。
外した葦簀は、手で割れるほど脆くなっていた。焦げた縁を落として、下の骨組みを剥き出しにする。黒い粉が指について、なかなか落ちない。
焦げた梁が一本、たわんでいる。
端に手をかけて、持ち上げた。片手だ。屋根板が一度きしんで、足の下が沈む。膝を割って、そこで止める。
空いたほうで葦簀の端を通し、縄を回して縛った。梁を戻す。
汗は出ない。息も上がらない。
充実度31%。昨日の数字が、朝になっても一つも落ちていない。
屋根の上は見晴らしがいい。いいから、よく見えた。
同じ色の焦げが、そこらじゅうの屋根にある。一つも直っていない。
抜けたところから朝の光が家の中まで落ちている家が、木戸のほうまで並んでいた。
軒下のあちこちに人が座って、みんな下を向いている。屋根に登っている者は、俺のほかにいない。
新しい葦簀の色は、俺が今張ったところにしかなかった。
下でフェリが大きく欠伸をした。屋根には登ってこない。
「あと二日ですね」
リゼが、日の高さを見上げてそれだけ言う。
返事はしなかった。手だけ動かす。
木戸のほうから、列の音が流れてくる。人の声に混じって、かさ、と紙の落ちる音がした。
「およしになってください」
下からの声で、手が止まった。
見下ろせば、マレンが両手を前で合わせて立っている。睨んでいるわけではない。怒っている顔ですらなかった。
「……あの方に、申し訳が立ちません」
一度だけ、頭を下げられた。
手を合わせたまま、動かない。俺が降りるまで、そこをどく気がないらしい。
昨日は助けさせてもらえなかった。今日は勝手にやったら、止められた。
言い返す言葉を探して、やめた。
梯子には手をかけずに、そのまま飛び降りる。
膝が沈んで、土がへこんだ。それで終わりだった。
地面を踏んだ音のあとで、町の者が息を呑む音がした。
息を呑んだきり、誰も何も言わない。
それだけだ。
充実度27%。
半分だけ新しい葦簀が、屋根の上に残っている。
直しかけで放り出すのが、いちばん間抜けだった。
「じゃあ誰が直すんだ」
近くにいた男が、当たり前のような顔で答えた。
「じきに名代様が、屋根を葺く者を手配してくださいますよ」
その顔に、嘘をついている気配はどこにもない。
「その『じき』、いつからだ」
「……先だってから」
昼。町なかを一回りした。
どの家も、軒下に座って自分の家の葦簀を編んでいる。
年寄りが一人、割った葦を膝に並べていた。一本取っては通し、端を折って押さえ、また一本取る。乾いた葉の擦れる音だけが続く。
編み上がった一枚は、もう軒に立てかけてあった。
通りかかった俺に、目だけで会釈をする。手は止まらない。
誰も急いでいない。誰も怒っていない。
「みんな真面目ねえ。私だったら催促するけど」
「猫が言うな」
遠くで、かさ、と音がした。
町の奥に、屋根を葺くのを生業にしている家がある。戸口の脇には、まだ結わえたままの葦簀の束が積んであった。
男は、俺の顔を見るなり手を打った。
「ああ。朝、屋根に登ってなさった方ですね」
それから、少し間があった。
「……あの、どちらさんで」
顔は覚えられている。名前だけが、どこにもない。
「焼けた屋根、いくつ頼まれてる」
「うちには、まだ話が来ておりません」
束を指で叩く音が、乾いていた。
「……じゃあ、これまで焼けた分は誰が直したんだ」
男は、ふしぎそうな顔をした。
「みんな、自分で直しました」
俺が黙っていると、男は言い足した。
「あの方は、お忙しいお人ですから」
費えは納めた。屋根は自分で直した。
取ったぶんを、誰も返してもらっていない。
なのに誰も、返せと言わない。
戸口を出ると、隣の家でも同じ音がしていた。
昼過ぎ、別に回っていたリゼが戻ってきた。手に紙が数枚ある。
「借りてきました。名代様が置いていかれた、受け取りの書き付けです」
「……よく貸してくれたな」
「私は騙っていませんので」
「刺さるんだよそれ」
軒先の光に、一枚ずつかざしていく。紙が薄くて、裏から字が透けた。
「この書き付けは、みな同じ手です」
言ってから、間があった。
「木戸の札と、同じ手」
紙を下ろす。
「この町の御用向きを、一つの手が回しています」
充実度22%。
夕方、町を出た。
昨日の焼け跡は、並木の下にそのまま残っていた。轍に、黒い粒が散っている。焦げた布の匂いが薄く漂う。
通りかかった荷方に、リゼが短く訊いた。
「昨日の火は、どのあたりまで」
「その轍の手前までですよ。すぐ消えました」
荷方は荷車を押して行ってしまった。値も、礼も、いらない訊き方だった。
リゼがしゃがんで、指の腹で焦げをなぞる。
「焦げが、面ではなく点で残っています」
指を上げて、そのまま外へ滑らせた。
「中心から外へ、粒が飛んでいます」
「……それで」
「魔法ではありません。燃える粉です」
立ち上がって、指の煤を払う。
「まとめて置いて、火を移すだけ」
「……あれ、手品か」
「芸です」
昨日の音が耳に戻ってきた。軽くて、乾いていて、俺のとは似ていない音。あれが鳴った瞬間に、終わったことになった。
「じゃああいつ、魔道士ですらないのか」
「あなたもです」
「やめろ」
風が来て、焦げた布切れが足元まで転がってきた。リゼがそれを拾い上げる。
「これは、売れます」
「は?」
「『自爆魔道士様の、爆心の焦げ』として。街道で、そう触れて回っている者がいます」
「……俺、生きてるぞ」
「ええ」
布切れを西日にかざしたまま、リゼが少し目を細めた。
「それなのに、どの市にも出ません」
薄い布が、光を通している。
「出物の話だけが回って、物が一度も出ない」
布切れを袋にしまう。
「誰かが、出る前に買っています」
「あら。じゃあ私の抜け毛も売れるかしら」
「その毛、掃除してるの俺だぞ」
充実度19%。
夜。
木戸の内側は暗い。灯りは掲示板の脇に一つだけで、木箱だけが白く浮いて見える。
少し離れた壁際に立って、それを眺めていた。
「今日、一度も上がってないわねえ」
「知ってる」
足音がして、あの子が木箱の前に来た。
紙を一枚、両手で入れる。それから箱の縁を一度だけ撫でて、掛茶屋のほうへ帰っていった。
かさ、と音がした。
しばらく、誰も来なかった。
次に目を上げたとき、木箱の前に人が立っていた。
足音は聞こえなかった。頭巾をかぶった男が、背中をこちらに向けている。
男が箱に手を入れて、紙を抜いた。
その音が、入れる音とまったく同じに聞こえた。
紙を灯りに近づけて、読んでいる。
読み終えて、男は手をこすり合わせた。
……どこかで見た。
紙を懐にしまうと、男はその足で掛茶屋の戸口へ寄っていった。
俺は壁から離れて、一歩出た。
戸が開いた。
あの子が出てきて、布に包んだものを、男の手に直に渡す。
あの子が、深く頭を下げていた。
俺の足は、そこで止まった。
充実度19%。
「――なあ猫。あいつを殴ったら、この町の恩人がいなくなるんだよな」
「そうねえ。あと、あなたが乱暴者になるわね」
「……正しいほうって、どっちだ」




