ep039「魔物を殴り倒した手柄を偽者に持っていかれた俺、そいつにだけ本物だと信じてもらえた」
朝いちばんに、俺は自分の名前の前に並んだ。
木戸の脇の札の下に木箱が据えてあって、町の人が順に紙を入れていく。『自爆魔道士様 御用向き承り所』。列の最後尾が俺だ。
……幸せになる第一歩が行列って、どうなんだ。
充実度12%。昨日から一つも動いていない。
……幸せになると宣言した男の、翌朝の数字がこれだ。
掲示板の紙が夜露で波打っていた。足元に落葉が吹き溜まり、轍に薄く霜が残っている。
隣でリゼが、列と俺を順に見た。
「並ぶ必要、ありますか」
「……ある。順番は大事だ」
肩から降りた白猫が、木箱の縁に前脚をかけて中を覗く。
「なによ。紙ばっかりじゃない。お金は?」
前に並んでいた町の男が、事もなげに答えた。
「見舞金は、名代様が直に」
「……その名代、誰か見たことあるのか」
男が、後ろの女と顔を見合わせる。
「……そういえば」
それきりだった。誰も答えられないのに、誰も困っていない。
順番が来た。木箱の係が、俺のほうへ紙と筆を差し出す。
「御用向きは」
……ない。
自分の名前の窓口に、自分の用事がひとつもない。
列を抜けて、街道沿いを歩いた。
木戸の内側に掛茶屋がある。葦簀の端が黒く焦げて、屋根の縁も舐められていた。奥で母親が湯を沸かし、その足元を小さいのが二人、走り回っている。
湯の匂いに、焦げた葦簀の匂いが混じっていた。
マレンは縁台を拭いていた。焦げたところを、何度も、力を入れて。
「手伝おうか」
布を持つ手が止まる。それから、済まなそうに、一度だけ頭を下げられた。
「自爆魔道士様のお名前を騙る方に、お手伝いいただくわけには」
昨日は助けても上がらなかった。今日は助けさせてもらえない。
前に進んでるのか、これは。
木戸のほうが騒がしくなった。街道に魔物が出た、という触れが回っている。
木戸へ向かう俺の脇を、町の男が走り抜けていった。
「街道の見回りは、あの方がなさっていますから。じきに駆けつけてくださいますよ」
……俺はここにいるんだが。
走った。
木戸を出ると、並木の続く街道だ。
途中の荷寄せ場に荷車が数台、路肩へ寄せて止めてあった。荷方たちは車の陰に固まって、そこから先へ出てこない。
その先に、一頭。
毛を逆立てた獣が、荷の匂いを嗅ぎ回っていた。
足の位置を一度だけ決めて、殴る。
飛んだ。轍を二つ跨いだ先に落ちて、それきり動かなくなった。
誰も、声を出さなかった。
陰から誰も出てこない。近づいてもこない。遠巻きに、力のある兄ちゃんだ、という顔が並んでいるだけだ。
……この顔は昨日も見た。
魔物は転がったままだ。それでも、終わったことにはならないらしい。
そのとき、後ろから明るい音がした。
軽くて、乾いている。俺のとは似ていない音だ。
倒れているそいつの向こう側で、火が大きく開いた。開いた火は、そのまま街道のほうへ流れていく。
それで、ようやく終わりが宣言された。
歓声は、そのあとで起きた。
俺の背中側で、半拍遅れて。
手を叩く音が混じって、後ろから前へ抜けていく。
流れた火が、路肩の荷を舐めた。麻布が焦げ、細い煙が上がる。焼けた匂いが並木の下に残った。
荷方が駆け出して、荷を叩いて火を落とす。それから煤のついた手を払って、頭を下げた。
焼いた相手にだ。
誰も怒っていない。
リゼが荷方の輪に混じって、話を聞いている。値はつけない。ただ、聞いている。
肩の白猫も、めずらしく黙ったままだ。
上がる、と思った。
上がらなかった。
「――あの」
振り向いた先に、男が立っていた。
白い外套。新しい。折り目がまだ生きている。
若い。それ以外に、目につくところがない。
男は俺の外套に目を止めて、深く頭を下げた。荷方にも町の者にも、一度として下げていない頭だ。
「その外套。渡り人のものですね」
「……焦げないんでしょう」
答えなかった。
一拍おいて、男の目が俺の拳へ落ちる。
「――ああ。やっぱり。本物の方だ」
町の誰にも通らなかった一点が、こいつにだけ通った。
「ヤンと申します」
あっさり名乗る。隠す気がまるでない。
「お目にかかれて光栄です、自爆魔道士様」
「お前が名乗ってんだろそれ!」
「いえ。わたしは、あなたの真似をしているだけです」
笑顔が崩れない。悪びれもしない。
「人相書きは、わたしが描かせました。……お顔を存じませんでしたので」
それから、俺の顔をあらためて眺めた。
「……似ておりませんでしたね」
返す言葉が浮かばなかった。
「町に本当のこと言えよ」
「言ったことがあります」
「え」
「わたしは自爆魔道士ではありません、と。……ご謙遜だと思われました。ですから、やめました」
……俺と、同じ理由だ。
「じゃあ、なんで二度目を撃つ」
ヤンは、心底ふしぎそうに首をかしげた。
「一度で終わってしまうと、みなさん、あっけないお顔をなさるので」
頭の隅に、縁台を拭いていた手が浮かんだ。
「焼けた家の飯はどうなる」
「……はい?」
考えたことがない顔だった。
怒りもしない。言い訳もしない。問いの意味そのものが分からないという顔で、こちらを見ている。
「後始末の費えは、みなさんが納得して納めてくださっているものです」
殴っていい。殴れば、英雄様に因縁をつけた乱暴者ができあがるだけだ。
握った拳を、開いた。
そこで、数字が目に入った。
充実度38%。
「あら」
肩の上で、猫が短く言う。
上がっている。
この町で俺を俺だと認めた、たった一人。そいつに褒められて、俺の数字が上がってる。
ヤンが、もう一度、深く頭を下げた。
「三日後、またこの町へ参ります」
顔を上げて、笑う。
「どうか、見ていてください」
背を向けて、行く。
呼び止めようと、一歩出た。
その前を荷方たちが割って入った。ヤンを囲んで、口々に礼を言いはじめる。
足が止まった。
町へ戻る道に、焼けた荷の匂いが残っていた。
日が傾いて、並木の影が街道を横切っている。
リゼが、前を向いたまま口を開いた。
「あの火は、魔物ではなく、道のほうを向いていました」
少し、間があった。
「町から、見える向きです」
それだけ言って、あとは黙る。
三日後まで、こいつを抱えていたくない。
木戸をくぐって、人通りのない路地に入った。壁に背を預けて、袋から木の実を出す。
ひとりで齧る。誰にも見られない場所で、味もしないものを、黙って。いつもの手だ。
乾いた皮が、噛むたびに口の中で鳴る。それだけだ。
充実度31%。
……七つ。
七つしか落ちない。
「下げる気、ないでしょ」
「うるさい」
返品ができれば、いちばん早いんだが。
「なあ。その数字、そもそも誰が付けたんだよ」
猫が、一拍、黙った。
「……なんでもないわ。お腹すいた」
答えを待たずに、俺は歩き出した。
「――あいつにもらった数字で爆発するのだけは、嫌だ」
「贅沢になったわねえ。昨日は爆ぜたくて泣いてたくせに」
「泣いてない」
充実度31%。日が落ちても、一つも落ちなかった。




