ep032「本を返しに恩人の町へ戻ったら、俺の爆心地が名所になっていた」
川を渡って半日、栗の毬が転がる街道の先に、半月ぶりの門が見えた。
前に来たときは、この門を見ただけで数字が振り切れた。今日は四十二から動かない。慣れというのは、ありがたいものだ。
――そう思ったのは、門をくぐるまでだった。
内側で誰かが、俺の名前を呼んだ。呼ばれ慣れていないほうの名前だった。
「《カタストロフ》様だ! 《カタストロフ》様がお戻りだぞ!」
動かないと言った端から、数字が動いた。
門の外に並んでいたはずの市が、内側まで溢れていた。両側に台が出て、品数も声も倍になっている。「本物の出る町」と墨で書いた看板の下で、木槌が新しい店の釘を打っていた。
荷馬車は市の外れへ寄せるしかない。馬を柱に繋ぐ。焼き栗の匂いが、革と紙の匂いに混ざって流れてくる。
台の一つに、焦げた布の切れ端が並んでいた。
値札がついていた。
俺の服より高かった。
俺の服だった。
隣で呪い屋が真顔で財布に手を伸ばしたので、腕を掴んだ。
「やめろ。それ、俺だ」
「原価の分かっている仕入れは強いですよ」
「強くない。買うな。売るな」
その隣は小袋に詰めた土だった。爆ぜ跡の土、と札にある。走ってきた子供が両手を広げて「ばーん」とやって、駆け抜けていった。
……なあ、それ、俺だぞ。
訂正しようとして、やめた。前に一度やったことがある。話が三倍こじれた。
「《カタストロフ》様、これ持っていってくだせえ」
「うちに泊まってくだせえよ。銭はいらねえ」
「いや、宿は」
言い終わる前に焼き栗を握らされ、片方は口に入れられた。背中を叩かれる。名を呼ばれる。手が触れるたび、数字が一段ずつ上がる。
呪い屋は値札の桁を眺めて、目を細めていた。
「半月で、ここまで上がりますか」
「何がだ」
「値が」
それだけ言って、次の台へ移る。理由は言わなかった。
「呪い屋の姐さんじゃねえか! 教会をやり込めた」
「その節はどうも。呪具が入り用でしたら、荷は市の外れに」
称賛を、その場で商売に変換している。こういうことが、俺にはできない。
外套の内側で、白い頭が身じろぎした。
「人が多いわ。毛が乱れる」
「出てこないのか、課長」
「出ないわよ。混雑手当が出ないもの」
礼と歓声の輪がじわじわ閉じてくる。
充実度88%。
……おい待て。まだ挨拶もしてないぞ。
背中を叩かれ、栗を握らされ、名を呼ばれ続けて、輪はさらに膨らんだ。
充実度98%。
……九十八。町に入って、まだ百歩も歩いてないぞ。
人目のない場所を探した。半月前ならいくらでもあった広場の外れは、石畳を敷き直されて荷車が三台停まっている。
残るのは、門を出た先の空き地だけだ。
俺が最初にこの町で爆ぜた場所。俺だけが内心で爆心地と呼んでいて、町の連中は爆ぜ跡と呼んでいる。
そこは、名所になっていた。土手には見物の人が並び、下には露店まで出ている。
人目のない場所は、この町にもう一つも残っていない。
仕方なく真ん中まで歩いていって、空を見上げた。
町衆の動きは、速かった。誰も逃げない。慣れた手つきで土手へ上がり、輪をつくって、そこで足を止める。
止まった位置に、線があった。草が焦げて色の変わっている縁だ。半月前、俺の爆風がちょうど届いたところ。
この町は、俺の爆発の届く距離を実測して、そこに境を引いていた。避難ではない。見物の陣形だった。
名乗りもいらない。口上もいらない。名所のど真ん中で、名所の由来を再演するだけだ。
息を吸って、俺は爆ぜた。
煙が晴れると、拍手が起きた。歓声と、口笛と、もう一度俺の名前。
充実度0%。
服はまた駄目になった。外套だけが、いつも通り焦げていない。
拍手はやまない。やまないので、数字がまた上がりはじめた。
……下げた端から上げるな。
「値がつきますね、これも」
「言うな」
門をくぐって町へ戻る道すがら、通りの角に人の列が見えた。荷を抱えた町の連中が、十人ばかり並んでいる。
……あれ、なんの列だ。
辿っていくと、見覚えのある家の前に出た。日が傾いて、通りの片側だけが赤い。
文庫番の家だ。
蔵の戸が、閉まっていた。
半月前、この家の当主は中身をぜんぶ持っていかれた空の蔵を、それでも毎日開けていた。風を入れるのが仕事だと言って。
中身が戻ったいま、戸は閉まっている。
軒下には包みが積んであった。下のほうは埃をかぶり、いちばん上のは新しい。断って、断って、それでも置かれていった数だ。
戸口では、タニアが声を張っている最中だった。
「何度来ても同じだって言ってるでしょ! うちは売らない!」
「はい。承知しております」
相手は落ち着いた身なりの男で、深く頭を下げた。顔色がぴくりとも動かない。
「また、うかがいます」
新しい包みを軒下に置く。それから帰りぎわに足を止めて、俺の外套を見た。
「失礼ですが、それは渡り人の……お売りになりませんか」
「売らない」
自分でも驚くくらい早く出た。
……俺は、他人には何でもくれてやる男のはずなんだが。
男はもう一度だけ頭を下げて、去っていった。
タニアが振り返る。開口一番だった。
「遅い」
「いま着いた」
「半月かかってる」
「川が止まってた」
それから、蔵の戸を親指で指した。
「席は空けてある。……今、そこに知らない人間が座りたがってるだけ」
戸の脇に、当主が立っていた。半月前より、背中が丸く見える。
「おお。お戻りでしたか」
「爺さん。なんで蔵を閉めてるんだ」
「開けると、覗きに来ますのでな」
当主は戸に寄って、隙間を指先で撫でた。
「風入れは、もう毎日はできませんな。……湿っておりますな」
それの何が問題なのか、俺には半分しか分からなかった。
袖を引かれた。呪い屋が小声で言う。
「紙と革です。風を通さないと、黴が来ます」
「来ると、どうなる」
「読めなくなります」
開けると覗かれる。だから開けない。開けなければ風が入らない。
守り手が守るほど、守りたい物が黴びていく。
「買い手ですわい」
当主が言った。
「渡り人の物を集めておられる御方がおりましてな。あの手代は、その使いで」
「役人か」
「いいえ。役所は、もう来ませんわい」
解呪局の主任は、本庁の監査に引かれていったきりだと聞いている。
「じゃあ、何を根拠に居座ってるんだ」
「銭ですわい」
奪いに来るのではない、と当主は言った。買いに来るのだ。
値は正当。むしろ高い。断られても脅さない。声も荒げない。頭を下げて帰って、また来る。
「あなた方より、私のほうがこの本を守れます。……そう仰るそうで」
殴る相手が、また、いない。
しかも、湿った戸の前で聞くと、その言い分は正しく聞こえてしまう。
「半月で、ここまで上がりますか」
呪い屋が市の方角へ目をやって言った。門の内側の話ではなかった。
「本物が一冊出た町だと知れ渡ったんです。それまでは、九割が鍋の蓋でしたから」
「一冊出ると、どうなる」
「贋物ばかりの棚に本物が一つ混じったと分かれば、棚ぜんぶに値がつきます。この町の物、ぜんぶに」
当主が蔵の戸に手をかけた。
「今夜は、ここで休んでいってくだされ」
蔵の一番いい席の約束が、こういう形でだけ、半分果たされた。
充実度35%。
「ときに、あの書は」
俺は荷を解いた。
蔵の中は行灯ひとつだった。棚には帳が戻り、封蝋の箱が戻り、半月前は空だった場所が埋まっている。埋まっているのに、空気が重い。紙と革と、その奥にかすかな黴の匂い。
俺は手記を両手で差し出した。
「返しに来た」
当主は、それを見た。
受け取らなかった。
「いま、この蔵に戻すのは、この書のためになりませんな」
「爺さんの家の物だろ」
「読める御方が持っておるのが、いちばん安全ですわい」
差し出した手が、そのまま宙に残った。
半月前にも、ほとんど同じ言葉を、同じ人から聞いた。あのときは、貸すための言葉だった。
川を渡って、半日歩いて、ここまで来て、まだ返せない。
手を下ろすまでに、少し時間がかかった。
戸が開いて、タニアが入ってきた。包みを一つ抱えている。
「置いてった。あと、言伝」
覚えた通りに、平らな声で言った。
「旦那様は、四日後にこの町を発たれます。買い付けは、その日まで。それまでに、お返事を」
脅しの言葉は、一つもなかった。
四日経てば、この町から渡り人の物がまとめて出ていく。売る家は売って、売らない家だけが残る。
市の棚は、もう空きはじめていた。
……四日後。俺の旅は、どうしてこう、いつも日が切ってあるんだ。
膝の上で白猫が欠伸をした。
「ねえミツルくん。この町の物に値がついたのは、いつからだと思う?」
「……半月前だ」
「そうね。町の名を上げた男が、ひとりいるものねえ」
蔵の外で、また誰かが俺の名前を呼んでいる。呼ばれ慣れていないほうの名前だ。
――充実度15%。
呼ばれるたびに、少しずつ、下がっていく。




