ep027「娘を助けたら町ぐるみで避けられて、爆発せずに済んだらしい」
「掘った先に、何が埋まってても、掘るのか」と訊かれて、掘るに決まってんだろ、と答えた。
答えた男は、二日経っても何ひとつ掘っていない。
街道の荷台で、数字とにらめっこをしているだけだ。充実度74%。誰も助けていない。飯は胡桃だ。
「……なあ。この目盛り、壊れてないか?」
「壊れてはいないかと」
御者台の鉄面皮が、手綱も持ち替えずに答えた。
「旅程二日ぶんの累積かと。仕様どおりです」
「仕様どおりで片づけるな。俺は二日、板の上に座ってただけだぞ」
「座っていても、日は経ちますので」
肩の白猫が欠伸をした。
「有給も溜まるし、それも溜まるのよ。働かなくても溜まるものって、案外多いの」
「溜まって困るのが俺だけなのは、なんでだ」
行き先は、ゆうべ決めた。カスタン――栗の町だ。
荷の底に、布で包んだ手記がある。借り物だ。次に寄ったら返す約束の一冊。
返したら、読めなくなる本を、返しに行く。
……それでも返す。借りたものは返す。それだけの話だ。
「ミツルさん。山道より、街道を回るほうが早いです。二日ほど。峠をひとつ越えます」
「峠に名前は」
「ピニョ。松の実の町です。松の実は、高く売れます」
「……高く売れるものは、高く買うことになってるんだよな」
「なりますね」
俺の全財産は胡桃十二個である。
昼を回ると、道の両脇が松林になった。どの幹にも、V字の傷が背丈まで並んでいる。
傷だらけの木で食っている町らしい。
日が傾くころ、坂の下から匂いが登ってきた。甘くて、苦い。松脂を煮ている匂いだ。
門はもう見えている。荷馬車を降りて、坂を下りかけた、そのときだった。
視界の隅で、目盛りが跳ねた。
――充実度98%。
……間に合え。
◇
林の中へ走り込んで、三歩で足が止まった。
落ち葉だ。踝が沈むほど積もっている。ここで焚けば山が焼ける。山が焼ければ、町も焼ける。
枝をかき分けて斜面を下り、石の多い窪地を見つけた。
足で落ち葉を蹴って地面を出す。垂れた枝はないか、乾いた草は残っていないか。
――よし。
爆ぜた。
0%。
煙が薄れるまで待って、爆心の縁でくすぶる木っ端を片端から踏み消す。外套は焦げない。煤だけが黒くついた。
最後にもう一度、地面へ手をかざす。熱は残っていない。
火の始末は、終わりだ。
顔を上げると、薪を背負った男が立っていた。
煙と、焦げ跡と、俺を、順番に見た。
「……あんた、厄憑きかい」
――これが、この町の第一声だった。
よその町なら、ここで自爆魔道士だの《カタストロフ》様だのと間違われる。
ピニョは、外の話を入れない町だった。厄はよそから来ることになっているので、噂も持ち込ませない。
門をくぐると、町は明るかった。辻ごとにかがり火、軒に松明。
明るいのに、人の目だけが暗い。
どの戸口にも、札を剥がした跡が重なっていた。糊の跡の上に、また糊の跡。何重にも。
表通りの角で、小石が飛んだ。
飛んだ先に、火挟みを提げた娘が立っていた。
「ノエラ!」
誰かが叫んだ。呼びかけではない。近づくな、の意味だ。
声は娘にではなく、そばを通りかけた子供へ向いていた。
娘は避けなかった。走りもしないし、声も上げない。火挟みを持ち替えただけだ。
投げているのは子供だ。後ろに親が立っている。止めない。
……殴る相手が、いない。
娘の前に立って、飛んでくるものを片端から受けた。肩と背中に当たって、足元へ落ちる。痛くもない。
人類最強の肉体の、いちばん情けない使い道だった。
やがて石が尽きて、人が引いた。
で、そのあとが問題だ。
礼の輪が、来ない。
代わりに、町ぜんぶが一歩下がった。
「宿は」
「三軒とも、今日はやっていないそうです」
「三軒ともか」
店は品を出さない。台に積まれた松の実を指して銅貨を置いたら、首を横に振って板戸を閉められた。
……買えないのは知っていた。売ってもらえないのは初めてだ。
数字はゼロのまま、びくとも動かない。人を助けて一度も動かなかったのは、初めてだった。
いや、待て。
おい。
ここ、俺にとっての楽園では?
モテると爆発する男が、絶対にモテない町に来たんだぞ。
歓迎されない。感謝されない。近寄られもしない。爆ぜる要素が、ひとつもない。
「下がりようもないわね。もう底なんだもの」
肩の上で白猫が言った。底で暮らせる町。最高じゃないか。
――そう思った次の瞬間に、気づいてしまった。
この楽園に、あの娘は三年住んでいる。
娘は火挟みを提げ直して、こちらを見もせずに言った。
「うち、来る? どうせ、誰も来ないから」
歩き出してから、前を向いたまま付け足す。
「さっきは、ありがとう」
――充実度5%。
町ぜんぶに拒まれてもぴくりともしなかった数字が、だ。
町外れの小屋の前で、娘は足を止めた。火挟みの先で戸板の札をつまみ、めくるように剥がす。
「毎月、こうなの。……気にしないで」
◇
小屋の真ん中で、火が焚いてあった。
消してはいけない火なのだという。町の火はここから分けて持っていく。だから火番。
剥がした札は、板の上に置かれた。墨で描いた渦のような形だ。
「誰かが病むでしょ。怪我をするでしょ。畑が駄目な年もあるでしょ」
ノエラは火の前に膝を抱えて座った。
「そういうとき、呪詛師さんに頼むの。厄を移してもらう。……移す先は、いつもうち」
「いつも、って」
「三年前に山が焼けて、うちだけ帰ってきたから。火を持ってきた娘、って呼ばれてる」
リゼットが札を手に取り、火に近づけて指でなぞった。声は小さかった。
「……札は本物です。粗い仕事ですが、確かに、呪詛の手癖があります」
そして無言で札を畳み、荷へ入れようとした。
「おい、待て。それは人の家の戸に貼ってあったやつだ」
名残惜しそうに板へ戻した。この呪い屋は、こういうときだけ動きが速い。
ノエラは火を見たまま言った。
「怖いだけだと思う。誰かのせいにしないと、次はうちの番かもしれないでしょ」
「……あんたは、もうその番だろ」
「うん。だから、みんな安心する」
安心する、とこの娘は言った。
「それに、うちが火を守ってるのは、ほんとうだから」
腹が立った。町にも立ったが、それより――受け入れているその顔にだ。
受け入れるな。
言いかけて、飲み込んだ。
自分の呪いを掘る掘ると言って、二日も荷台で数字を眺めていた男が、言えた口か。
ノエラが顔を上げた。
「あんたも、なんか背負ってるんでしょ」
……答えられなかった。
呪われている、とは言える。誰にかけられたのかが、言えない。
ノエラは何も言わなかった。火掻き棒で常火の芯を起こすと、火の粉がひとかたまり上がって、それきりだった。
数字は動かない。5%のまま、視界の隅に貼りついている。
――そのとき、戸の隙間が明るくなった。
かがり火より近い明るさだ。松明が、坂を登ってくる。
◇
戸の外に、松明の列が並んだ。
先頭の男が、小屋へ声を投げる。
「三日後は火祭りだ。山の厄を焼く。――今年は、器を送る」
器。
人ひとりを、そう呼ぶのか。
ノエラは火掻き棒を置いた。驚かない。三年で、驚かなくなったんだろう。
男が俺を上から下まで見た。悪人の顔ではなかった。困っている顔だった。
「送っちまえば、器がいなくなる。……あんたも呪われてるんだろう? なら、もう一つくらい、構わないだろう」
「……構うに決まってんだろ」
誰が満室の宿に、追加で客を入れる。
「厄ってのは、遠くへやるもんだ」
男は松明を掲げ直した。
……遠くへやる。誰にも届かない場所から、他人の不幸を願う。
どこかで聞いた話だな、それ。
どこで聞いたのかは、思い出せなかった。
肩の白猫が、実に楽しそうに言った。
「厄を移せる相手がいるって、羨ましいわねえ。――あんたのは、どこにも行きたがらないものねえ」
……うるさい。誰のせいだと思ってるんだ。
松明が坂を下りていく。
ノエラは戸を閉め、常火に薪を一本足した。明日も明後日も絶やさない、という手つきで。
――充実度5%。この町にいる限り、俺は絶対に爆発しない。
三日後だ。移させてやる気はない。
三日後までに、この町の厄を、全部俺が引き受ける方法を考える。




