ep025「掘り出す銭が惜しいと言うから、タダで爆発してやった」
まだ暗いうちに、坑口の灯りが一つ増えた。二つ増えた。
ゆうべ土嚢を積まれた坑の前に、痩せた坑夫が、賄いの娘が、腰の曲がった年寄りが、鶴嘴を担いで集まってくる。
――埋め戻される日に、こっちが先に掘る。
俺の自爆じゃ、坑は開けられない。開けた瞬間、中の兄貴も、証拠も、まとめて吹き飛ぶ。だからこれだけは、この町の手でやるしかない仕事だ。
――と、腕をまくったところで、年寄りの坑夫が俺を指差した。
「兄ちゃん。そこの岩、担げるか」
「担げる」
担げる。人類最強の肉体である。膝で持ち上げて、言われた場所へ運ぶ。
「そっちは触るな。支えが落ちる」
「……はい」
人類最強の肉体、本日の役職、荷物持ち。
肩の白猫が、灯りの列を眺めて欠伸をした。
「全社総出の休日出勤ね。……うちだと、こういう日は弁当が出るのよ」
「出るぞ。あとで」
半月塞がっていた坑が、なんで半日で開くんだ。訊くと、年寄りは鼻で笑った。
「銭がなかったんじゃねえ。出す気がなかっただけだ」
……なるほど。
あの男が半月惜しみ続けた「掘り出す銭」は、最初からタダでそこに立っていた。鶴嘴を担いで。
目盛りは24%。就職五日目の朝である。勤め先は、今日なくなる予定だ。
東の稜線が白んだころ、坂の下から人影が上がってきた。手にあるのは、鶴嘴ではない。帳面だ。
◇
領主の使いは、坑口の三歩手前で足を止め、帳面を開いた。
「本日、坑口に立った者の日当は引く。切符は止める。持ち場を離れた者はノルマ割れ、深坑送りとする。――以上、領主様の御達しだ」
暴力じゃない。数字だ。
掘るほど借りが増える切符――この町を縛ってきた鎖を、そのまま人質に取る一手。
最初に動いたのは、若い坑夫だった。懐から切符の束を出して、地面に放る。
二人目が放った。三人目が放った。紙が朝の風でめくれていく。
「そんなもんで、飯が食えるか」
ハンナが賄いの鍋を坑口の脇に据えた。湯気が上がる。
「今日の飯は、あたしが出す。だから掘りな」
――47%。
……上がるよな。そりゃ上がる。
使いが引き返して半刻もしないうちに、坂の下からゴズが上がってきた。包帯である。頭にぐるぐる巻きの。後ろに私兵が六人。
昨日、同じ顔ぶれで同じことをして、まとめて黒焦げになった連中だ。
……学習能力の話を、してもいいか。
「よそ者。どけと言ったろうが」
「言われたぞ。昨日も」
掌底を鳩尾へ。二人目は肩ごと、三人目は襟ごと、捨て石の山へ。
骨は折らない。今日の俺の仕事は、掘る手を守ることだけだ。
ゴズが包帯ごと目を回したところで、年寄りの声が飛んだ。
「終わったか。なら楔を抜け! 組み直すぞ」
ゆうべ埋めるために打たれた楔を、今日は開けるために抜く。
言われた岩を、言われた順に、言われた場所へ。汗が石の粉と混ざって、腕が灰色になった。
順番と支保。腕力の出番は、その中にしかない。
昼前、年寄りが手を上げた。
「止めろ」
鶴嘴が止まる。誰も喋らない。年寄りが岩肌を槌の柄で三度叩いた。
全員が、耳を澄ました。
風の音。鍋が、ぱちりと鳴る音。
――こつん。
岩の向こうから、音が返ってきた。
誰かが息を呑んで、次の瞬間、坑口は鶴嘴の音でいっぱいになった。
最後の岩が抜けたのは、日が高くなってからだ。
埃で真っ白な男が、坑夫たちの腕に支えられて出てきた。痩せて、光に目を細めて、それでも自分の足で立った。
奥に湧き水と空洞があった、と誰かが言った。
ハンナが、名前も呼べずに膝をついた。
半月ぶりの第一声は、こうだった。
「……ハンナ。飯は、食ったか」
……おい。
この兄妹、揃って自分のことを後回しにしやがる。
ああ、なんだ。俺と、同じ側の人間か。
――68%。
歓声の中で、俺は開いた穴の奥を見た。
灯りが届いた岩肌に、赤があった。柘榴石の脈だ。厚く、深く、まだ誰の手も入っていない赤。
帳面の上では、とっくに枯れているはずの坑に。
リゼットは輪の外にいた。救出には目もくれず、手は秤と帳面の上に置いたままだ。
「……出ましたね。物が」
歓声の輪が、そこで割れた。
帳面と算盤を抱えた痩せた男が、坑口に立っていた。
◇
ヴェインである。石の粉の上に、あの男の足跡が初めてついた。
引きずり出したのは離反でも、私兵の敗北でもない。坑が開いた。それだけだ。
数字にならないものが、数字の外に出てしまった。
「……検分の前に、無許可の掘削とは」
声を上げたのは、年寄りの坑夫だった。
「その坑の石は、俺が四十年担いできた。目方も色も、この手が覚えてらぁ。枯れた坑の石じゃねえ」
ハンナが分銅を掲げた。
「あたしの秤、細工がしてあった。石が軽く出るように」
リゼットが、帳面の頁を指で押さえた。
「この秤で量れば、どんな坑も枯れます。――枯れさせていたのは、坑ではなく、秤です」
物と、帳と、時。三つが、町じゅうの目の前で一本に繋がった。
つまり、枯れてない坑を枯れたことにして、上納をごまかして懐に入れてた。ばれる前に、証拠ごと埋める気だった。
男は、帳面を閉じなかった。
「掘り出しの費用は、その男の切符から引く。三十人ぶんの日当も、追って計上する」
生きて出てきた人間に、値札を貼った。
「お前たちは、明日から誰の切符で飯を食う?」
誰も答えなかった。答えたのは、値札を貼られた当人だった。
埃で白い男が、光に目を細めたまま、口を開いた。
「……あの坑は、枯れてない。俺は、この目で見た」
風が止まった。
半月、その底にいた男が言った。穴から出てきたのは、証拠であり、証人だった。
ヴェインが、顔を上げた。
帳面の上でしか人を見なかった男が、初めて。怒ってもいない。命乞いでもない。ただ、世界の桁が合わなくなった人間の顔だった。
次の瞬間、坑口が歓声に呑まれた。
ハンナが泣きながら笑っていた。兄貴が、こっちに向き直って、深く、深く頭を下げた。
充実度98%。
……就職五日目。皆勤の俺のゲージだけが、いまだに定時上がりを知らない。
今日はこらえる手札がない。中二の夏は、ゆうべ使い切った。
ヴェインの襟首をつかんだ。
「借りるぞ」
「離せ。損害は、算定して――」
答えずに走る。ズリ山を回り込み、人のいない荒れ地まで、全力で。
下ろして、息を吸う。
「あんた、掘り出す銭が惜しいって言ったな」
帳面を抱えたままの男が、こっちを見上げた。
「――安心しろ。俺の爆発は、タダだ」
――爆ぜろ、俺。
白い光。轟音。灰。
0%。
斜面では、黒焦げの男が白目を剥いて伸びていた。息はしている。俺の爆発は、そこだけは律儀だ。
足元で、帳面と算盤が煤にまみれていた。風に頁がめくれて、めくれて――どこにも書かれていない坑が、いま、開いている。
◇
夕方の選鉱場。
坑夫の寄り合いが、ヴェインとゴズを縛って預かった。役人は呼んでいない。呼ぶ必要がない。
「坑は、開けたままにしとく」
年寄りが言った。
「番は交代でやらぁ。脈も帳面も、そのまま検分の役人に見てもらう」
肩の白猫が、尻尾を一振りした。
「あとは、あの男が自分で呼んだお客が来るだけよ。締め切りまで自分で決めてあったんだから、たいした段取りだわ」
卓では、ハンナが細工を外した秤で、兄貴の担いだ石を量り直していた。
皿が沈む。分銅を足す。もう一つ足す。
「……ほら見な。この石が、軽いわけないんだ」
数字が、初めて人の側で働いた音がした。
坑夫たちが礼に石の袋を出しかけたので、押し返した。掘り当てた脈は、検分が済むまで一粒も動かせない。
「礼は、検分が済んでからでいい」
白猫が、肩の上で鼻を鳴らす。
「それ、たぶん一生言い続けるわよ」
宝の山の上で、今日も一文無しである。
山道の入り口まで、ハンナが見送りに来た。兄貴も年寄りも坑夫たちもついてきて、湿っぽさは鍋の湯気ほども残らない。
「あたしさ。きのう、言いかけたこと……」
ハンナが、口の端を曲げた。
「……やめとく。どうせあんた、また走って行くんでしょ」
返す言葉がない。事実だ。
「次に来たら、賄いを食わせてやる。腹いっぱい。……ちゃんと、あんたの分も勘定に入れとくから」
勘定、か。
人ひとりを勘定に入れなかった男は、今ごろ縄の中だ。
――26%。
山道を下りる荷馬車の上で、俺は五日ぶりに、あの手記を開いた。この五日、俺はずっと、他人の坑ばかり掘っていた気がする。
白猫が膝に乗って、欠伸まじりに言った。
「ねえミツルくん。あんた――自分の呪い、掘るの忘れてない?」
……うるさい。掘る順番は、俺が決める。




