ep024「助けたい坑は開けられないのに、娘に惚れられて爆ぜた」
「明日、あの坑を埋める」――ゆうべ白猫が言い当てたことは、朝日が昇るころには、町を回る布告になっていた。
三番坑の支坑、明日をもって閉塞。人足は日の出に坑口へ集まるべし。
選鉱場の裏手で、俺は年寄りの坑夫とハンナを相手に、明日の段取りを詰めていた。私兵をどう遠ざけ、崩れた支保をどう組み直し、どの順で兄貴の坑を掘り開けるか。
――俺の自爆じゃ、坑は開けられない。開けた瞬間、中の兄貴も、隠された証拠も、まとめて吹き飛ぶ。だからこれだけは、この町の手でやるしかない仕事だ。
「人ひとり抜ける穴だけなら、三十人で一日だ」
年寄りが、枝で地面に線を引いた。
「先に息の道を開ける。水と飯は、それから細く送ればいい」
「人はあたしが集める。声をかければ、三十は出る。……あんたが、私兵をどうにかしてくれるなら」
「そっちは俺の担当だ」
肩の白猫が、あくび混じりに言う。
「いい部署を思い出したわ。監査の前の晩に、倉の紙を燃やす部署。あそこだけは、なぜか残業代がちゃんと出るのよね」
「その職場、今すぐ潰れた方がいい」
人足を銭で抱き込んで、明日を一日ずらす手も浮かんだ。浮かんだだけだ。全財産が麻袋いっぱいの木の実では、買収の相場にすら届かない。
力技でもなく、銭でもなく、三十人の腕で開ける。道はそれしかない。
……就職四日目の朝である。勤め先は、明日なくなる予定だ。
枝の線を踏み消したところで、ハンナが顔を上げた。坑の方が、騒がしい。
◇
昼過ぎの坑口には、荷車が三台ついていた。
土嚢。角材。捨て石。ゆうべ見た「埋める道具」が、そのまま並んでいる。外の雇われの人足が石を担ぎ、私兵が支保の根方に楔を当てて、槌を振り上げていた。
「明日じゃなかったのか」
「明日、詰める。今日は口を固める」
ゴズが顎をしゃくった。
「領主様の言いつけだ。よそ者は下がってろ」
坑口の天幕の卓に、あの痩せた男の姿はない。帳場で珠を弾いているんだろう。ここまで降りてくるのは、数字だけだ。
坑口の一角だけが、妙に掃き清められていた。検分の役人に見せる用の顔である。その隣では、山でいちばんの石を吐いた穴が、宝ごと埋められようとしている。
……この町の算術は、足し算のところで壊れている。
年寄りの坑夫が、槌の前に割って入った。
「そこに楔を打つな! 支保はまだ生きてる。抜いたら、中の空洞ごと落ちらぁ」
「落ちて構わん。詰めるんだからな」
「中に人がいるんだぞ!」
肩を突かれて、年寄りが捨て石の上へ尻から転がった。昨日、四十年の目で石を語った男だ。人足たちの手が止まる。誰も、目を合わせない。
その静けさを踏み割って、細い影が前へ出た。ハンナだった。石の粉で白くなった手に、選鉱場の分銅を握りしめている。
「その坑は……兄さんの坑は、埋めさせない!」
「どけ、小娘」
私兵の腕が上がった。
――そこから先は、考えていない。
気づいたときには、間に体をねじ込んでいた。振り下ろされた腕を内側から流し、掌底を鳩尾へ。二人目は肩ごと、三人目は襟をつかんで一緒に。三人まとめて鉱滓の山へ放り込むと、粉煙が上がって、山がずるりと崩れた。
骨は折っていない。俺は加減が下手な男だが、拳だけは別だ。
「悪いな。うちの依頼人だ」
ゴズが唾を吐いた。
「よそ者が、領主様の坑に手を出すか」
「手を出してるのは、どっちだ」
坑夫たちの目が、いっせいにこっちを向いていた。誰かが小声で言う。《カタストロフ》様だ、と。
――58%。
拝むな。まだ石ひとつ、掘り出しちゃいない。
リゼットが、飛んだ楔を一本拾い上げ、眉を寄せた。
「……早すぎます。順番が、おかしい」
ハンナが、こっちを見ていた。
◇
礼でも、泣き顔でもなかった。
「なんで、あんたばっかり」
声が掠れている。分銅を握った手が、下がらない。
「よそ者のあんたが、あたしの兄さんのために、そこまで――」
握った分銅が、かちりと鳴った。
充実度98%。
待て。待て待て待て。ここは坑口の前だぞ。三歩先に、兄貴の埋まった岩がある。
奥歯を噛んだ。前世の抽斗を、いちばん開けたくないところから引き出す。
――中二の夏。自作の呪文を書き溜めた大学ノートを、電車の網棚に置き忘れた。
「『滅界の右腕・終焉解放』……こちらの記述、お客様のもので間違いありませんか」
遺失物の窓口。持ち主を確かめるために、あの人はあれを開き、赤ペンの補足まで、最後まで笑わずに読み上げてくれた。
88%。
焼け石に一滴。それでも、走るぶんの猶予にはなった。
癖で、拳が坑口を向いた。塞いだ岩を睨む。この向こうに、半月ぶんの静けさがある。
握りかけて――止めた。
だめだ。俺の爆発に、向きも加減もない。ここで爆ぜれば、岩の向こうの兄貴も、脈も、明日の三十人ぶんの仕事も、まとめて灰になる。
いちばん開けたい穴だけが、俺の手では開けられない。
……だが。
この坑を埋めに来た手なら、話は別だ。そっちは、遠慮なく吹き飛ばしていい。
ゴズの襟首をつかんだ。
「借りるぞ、その襟」
「は、放せ、この――」
引きずって、坑口から剥がす。しがみついた私兵が二人、そのままおまけでついてきた。
「え、ちょっと、あんた、どこ行くの!?」
ハンナの声が背中で遠ざかる。答えない。答えたら、止まってしまう。
ズリ山を回り込み、人のいない荒れ地まで、全力。
位置取り。息を吸う。
――白い光が立って、音が遅れて追いついてきた。
灰が、雪みたいに降ってくる。私兵が白目を剥いて宙を舞い、坑口に積み上がっていた土嚢が紐ごと破れて散った。捨て石の荷車が横倒しになる。楔も槌も、どこかへ飛んでいった。
そして。
坑は、びくともしていない。
崩れた岩は、朝と同じ形のまま、同じ静けさで塞がっている。
当たり前だ。俺が開けたいのは、そこなんだから。
0%。
仰向けに落ちた空が、やけに広い。外套は焦げていない。焦げない布のありがたみというのは、焦がす機会が来て初めて分かるものらしい。袖から先は、いつも通り短くなっていたが。
ズリ山の斜面では、ゴズが黒焦げのまま大の字になっていた。白目。息はしている。俺の爆発は、そこだけは律儀だ。
……止めたのは、埋め戻しだけだ。坑は、一寸も開いていない。
◇
坑口へ戻ると、坑夫たちが散った土嚢を蹴り分けて、道を作っていた。誰も片付けようとはしない。明日は、こっちが掘る側だからだ。
リゼットが破れた土嚢の口をつまんで、砂を落とした。
「腑に落ちたことがあります」
「言え」
「前倒しの埋め戻し。……隠すものがなければ、価値のない枯れ坑を、検分の前に慌てて潰す理由がありません」
肩の白猫が、尻尾を一振りした。
「墓穴ってのはね、たいてい自分で、急いで掘るものなのよ」
……そういうことか。あの男は今日、証拠を消しに来た。その慌てぶりそのものが、消したい何かがある証拠になった。
しかも決め手は、紙じゃない。帳面はいくらでも焼けるが、坑の中の脈は焼けない。
「開ければ、出るんだな」
「出ます。掘った跡も、残った脈も。……帳面が嘘だということは、石そのものが言います」
救う相手と、暴く証拠が、同じ一つの穴に埋まっている。
白猫が、坑口の暗がりに目を細めた。
「――明日、あの坑を、向こうが埋める前に開けなさい。兄さんも、証拠も、いっぺんに出るわ」
塞いだ岩の向こうは、静かなままだ。夜が明ければ、あの静けさに手が届く。
目盛りは12%。爆ぜたあとにしては、腹の底が少しだけ暖かい。
……就職四日目の夜。勤め先が消える日に、誰より早く出勤する予定が、たった今、決まった。




