ep023「呪われた坑の底に、領主の隠したい鉱脈が埋まっていたらしい」
ゆうべの疑問が、朝になっても喉に引っかかっていた。銭を惜しむ男が、なぜ銭をかけて坑を埋めるのか。
リゼットは荷馬車の床に帳面を広げ、俺は殊勝な新入り鉱夫の顔で、もう一度あの町の底へ降りる支度をしていた。
昨日は「助けられない」と分かった坑だ。今日はせめて、「なぜ助けさせないのか」を暴いてやる。
「攻め手は二つだ。ひとつ、あの男が隠してるモンを、物で挙げる」
「もうひとつは」
「あの坑を、どうやって開けるか」
言ってから、自分の拳を見た。使えない手札が一枚、握ったままになっている。
「爆ぜるのは、なしですね」
「なしだ。俺の爆発に、向きも加減もない」
岩を吹き飛ばせば、岩の向こうも同じだけ吹き飛ぶ。ゆうべ気づいて、ゆうべ諦めた。
「上納、ねえ」
肩の白猫が、あくび混じりに言う。
「神界にもあるわよぉ。上へ納める分。で、たまに上から検分が来るの。帳面のきれいな年ほど、裏がひどいのよね」
「監査される側の台詞だな、それ」
「されたわよぉ。七回」
通ったのか、と訊くのはやめておいた。
銭で口を割らせる手も浮かんだ。浮かんだだけだ。俺の全財産は麻袋いっぱいの木の実で、切符も貨幣も持たないよそ者は、この町では蚊帳の外である。
リゼットが帳面を閉じ、荷台から降りた。
「まず、秤からです」
◇
選鉱場は、山肌に張りついた掘っ立て小屋だった。筵の上に石が広げられ、女や子どもが等級ごとに分けていく。粉が舞って、みんなの睫毛が白い。
ハンナの持ち場は、いちばん奥の秤の前だった。籠を載せ、目方を量り、札を切る。手が止まらない。
「あんた、ほんとに来たんだ」
「請け負ったからな」
リゼットは挨拶もそこそこに、秤の前へしゃがみ込んだ。皿を持ち上げ、裏をのぞく。分銅をひとつずつ掌に載せ、目を閉じる。
竿の支点に指を這わせたところで、動きが止まった。
「ハンナさん。この秤で量った石は、あなたの見立てより、いつも軽く出ませんか」
ハンナの手が、初めて止まった。
「……合わないと思ってた。あたしの勘が鈍ったんだって、ずっと」
「勘は鈍っていません」
リゼットは分銅を筵に置き、静かに言った。
「この秤は、石を軽くするための秤です。――町を痩せさせるためではなく、帳面を痩せさせるための」
小屋の中が、しんとした。
やがてリゼットは選鉱場の帳面をめくり、一行を指で押さえる。
「三番坑の支坑。枯渇につき閉塞。……ハンナさん、これは」
「兄さんの坑」
ハンナが、分銅を握ったまま言った。
「枯れてなんか、いなかった」
筵の端で、年寄りの坑夫が顔を上げた。
「あの日な。あいつが最後に担いで上がってきた石は、この山で四十年見た中でも、いちばんの上物だった」
選鉱の娘が、籠を抱えたまま頷く。
「あたし、あの籠を受け取ったもの。腕にきた。あんな重い籠、あれっきり」
――痩せた手が、いちばん良い石を担いでいた。
帳面は、坑を「無かったこと」にできる。だが、その石を担いだ手の記憶までは消せない。
あの坑は、枯れて閉じたんじゃない。町いちばんの脈を掘り当てて、そこで崩れたんだ。救えない現場だと思っていた場所が、隠された宝の在り処に化けた。
「呪われた坑じゃ、ないのかい」
年寄りの問いに、リゼットは首を振った。
「支保を惜しんだ坑が崩れた。それだけです。呪いの仕業ではありません。――もっと即物的な、算術の話です」
視界の隅の目盛りが、35%から40%へ滑った。誰も俺を拝んじゃいないのに上がるのは、こういう時だ。
外が、急に騒がしくなった。戸口から誰かが叫ぶ。
「領主さまが来なさる! 検分の支度を検めに!」
◇
小屋の裏手、籠を積み上げた日陰に回った。年寄りの坑夫とハンナが、黙ってついてくる。
リゼットは帳面を小脇に挟み、指を二本立てた。声が、いつもより一段低い。
「上納は、掘った量で決まります。少なく量れば、納める分も減る」
「差額は、まるっとあの男の懐ね」
白猫が尻尾を一振りした。
「で、検分。王家の役人が来て、帳面と山を突き合わせるの。掘った跡は残るわよ。石の出た穴は、嘘がつけないもの」
――だから、埋めるのか。
背中が冷えた。塞がったままの坑は、証拠だ。開ければ、あの脈をどれだけ掘ったかが丸ごと露わになる。検分の前に埋め戻してしまえば、最初から何も無かった坑になる。
「宝ごと、無かったことに」
リゼットが頷いた。
「銭を惜しむ男が銭をかけて坑を潰す理由は、それです」
そこまで並べて、気づいた。
あの坑を開ければ、兄貴が出てくる。同時に、あの男の悪事も出てくる。救う相手と、暴く証拠が、同じひとつの穴に埋まっている。
――一粒で二度おいしい。
握りかけた拳を、止めた。だめだ。俺の爆発は無差別だ。開けた瞬間、証拠も兄貴も、まとめて吹き飛ぶ。
この坑だけは、俺ひとりでは開けられない。
人足を銭で抱き込む手も一瞬考えたが、買収の相場が木の実で何個かは知らない。たぶん足りない。
「……なら、人の手で掘るしかないな」
年寄りの坑夫が、顎の白いのを撫でた。
「あの岩なら、上から順に落として、支保を組み直しながらだ。三十人いれば、二日で抜ける」
「できるのか」
「この山で四十年掘ってる。……領主様の私兵さえいなけりゃ、な」
俺ひとりの力じゃ救えないものが、町の手でなら開く。くそ。俺の呪いより、この人たちの腕の方がよっぽど頼りになる。
坑口の天幕の下では、卓に向かった痩せた男が何か言っていた。顔は上げない。切れ切れに届くのは数字だけだ。人が桁で動いていく音がする。
ハンナが、分銅を握りしめていた。石の粉で白くなった、細い手だ。
「あたしの兄さんが担いだ石は、この町でいちばんいい石だった」
顔が上がる。目は、今日も乾いている。
「――それだけは、譲れない」
数字で全部消せると思っている男が、いちばん消せないのが、この手の記憶だ。
目盛りが44%。爆ぜる当てもないのに、また少し重くなった。
◇
日が傾く頃、荷馬車へ戻る道で足が止まった。
坑口の前に、荷が積み上がっていた。土嚢。角材。捨て石を山と載せた荷車。
見慣れない顔の人足が十人ばかり、外の雇われらしい身なりで煙草を吸っている。坑口をのぞく者は、ひとりもいない。中に何が埋まっているかなど、知らずに済む連中だ。
鶴嘴も、鑿も、そこには一本もない。
――掘る道具じゃない。埋める道具だ。
三十人で二日、と年寄りは言った。掘るには腕と勘がいる。埋めるには、どちらもいらない。
リゼットが眉を寄せた。
「早い。検分は、まだ先のはずです」
肩の白猫が、尻尾を一振りした。
「決まってるでしょ。あんたがうろついてるのに気づいたのよ。あの男も、同じ坑を狙ってる。――掘り出す前に、埋める気よ」
目盛りが45%で止まった。上がるだけ上がって、使い道がない。
……就職三日目にして、締め切りが前倒しになった。




