ep021「悪党を一人殴っただけで、町いちばんの希望にされて爆ぜた」
「あんたが『かけ直す』相手は、案外近くにいるかもしれないわよ」
フェリ課長のあの言い方が、カスタンを出て二日経っても喉から抜けない。
近く、ねえ。誰だよ、それは。
……考えても腹は膨れない。俺は黙って山道を登った。
転生二十二日目の昼。峠を越えた先の窪地に、町がへばりついていた。
「グラナです」
御者台のリゼットが手綱を緩める。
「柘榴石の里ですね。割れて弾ける実の名を持つ石です」
……よりによって、爆ぜる石の町か。
坂を下ると、匂いが変わった。栗を焼く甘い煙のカスタンとは別物だ。乾いた石と、鉄の匂い。
町の真ん中に、屋根だけの広い作業場があった。選鉱場、というらしい。
台の上に、深紅の石が山になっている。日が差すと、石の中で小さな火が燃えて見えた。
その山を、篩を振る女たちが選り分けていく。じゃり、じゃり、と乾いた音が鳴る。着ているものは、どれも継ぎだらけだ。
宝の赤と、人の灰色。掘るほど痩せる町を、俺は初めて目で見た。
子供の声がしない。笑い声もしない。宝石の産地で、いちばん足りないのは音だった。
肩の白猫が、心底うんざりした声を出す。
「見なさいよあの人の詰め方。休憩の割り振りもなし、換気の記録も取ってないでしょうねえ。神界なら是正勧告が三枚は飛ぶわ」
「町を役所の目でしか見られないのか、あんたは」
「労務環境ってね、その土地の性根が一番よく出るのよ」
リゼットは荷を検めて、干した木の実の袋をひとつ抜いた。
「山あいでは乾物が少し売れます。胡桃を、いくらか」
「在庫の九割が胡桃なんだが」
視界の隅の目盛りは38%のまま動かない。誰にも優しくされていないのに、ゼロにも戻らない。この数字は今日も無断で出勤している。
――そのときだった。選鉱場のど真ん中で、声が弾けた。
「今週の目方はこれで合ってる! 秤を疑うなら、あんたが選ってみなさいよ!」
◇
篩が台に叩きつけられていた。
声の主は、前掛けをした娘だった。指先が石の粉で白い。その正面に、剣を吊った男が三人。
「等級が足りてねえと言ってるんだ。今週の切符は半分だな」
「先週も同じことを言ったわね。じゃあ聞くけど、この石の等級、あんた見分けられるの」
娘は台から石を二つ摘み上げ、男の鼻先に並べた。
「こっちは筋が走ってる。こっちは芯まで澄んでる。値が三倍違う。それを選り分けてるのはあたしたちよ。秤の目より、あたしの指のほうが正確」
秤の前に並んだ鉱夫たちは、誰ひとり顔を上げなかった。
「ハンナ姉ぇ、もういいって……もういいから」
選鉱の女が袖を引く。ハンナと呼ばれた娘は、その手を振り払った。
「よくない。今週の飯が減るのよ」
私兵の一人が、腕を振り上げた。
――気づいたら、体が動いていた。
伸びた腕の下をくぐり、掌を鳩尾に当てて押す。男が鉱滓の山へ背中から突っ込んだ。
二人目は仲間の足に絡んで自分で転ぶ。三人目は二人を見比べ、自分から同じ山に尻もちをついた。
掌ひとつ。爆発なし。――ここまでは、いつも通りの流れだった。
問題は、ここからだ。
ハンナが篩を持ったまま、口を半分開けて固まっている。
――40%。
次に、秤の前でうなだれていた鉱夫が、顔を上げた。一人が上げると、隣も上げた。下がっていたカンテラが、いくつも持ち上がる。
――60%。
篩を置いた選鉱の女たちが、こちらへ寄ってきた。誰かが俺の袖をつかむ。誰かが、その場で手を合わせた。
「旦那、旦那、あんた魔道士様かい」
「《カタストロフ》様って、あの噂の……」
「そんな噂、この山までは半分も届いちゃいないよ。いいから拝みな」
――85%。
そして、広場の奥。黒い坑口の暗がりから、声が湧いた。
「うちの人を出してくれ」
「兄ちゃんが、まだ中にいるんだ」
「坑を――坑を、開けてくれ」
――充実度98%。
荷馬車の脇で、リゼットが小さく言った。
「……ミツルさん。いま、上がりましたね」
見えていないのに当てるな。
待て。待て待て待て。押すな。拝むな。
「俺はまだ何も解決してないぞ!?」
誰も聞いちゃいない。希望に飢えた町だった。悪党を一人のしただけの通りすがりに、町ぜんぶの祈りが波になって乗ってきた。
こんな上がり方があるか。惚れられてもいない。優しくもされていない。ただ縋られただけで満タンだ。
人垣を割って外へ出る。町外れに、捨て石を積み上げた山があった。ズリ山、というやつだろう。
人はいない。木もない。風下でもない。二十二日で、位置取りだけは職人の域に達している。
「ちょっと行ってくる」
「いってらっしゃい」
リゼットは荷を数えたまま、そう言った。完全に日課の扱いである。
ゴミ出しの顔で、俺は息を吐いた。
轟音。土煙。捨て石の山が、盛大に一段低くなった。
充実度0%。
裾を確かめる。焦げていない。この町でようやく焦がす機会が来たというのに、外套は涼しい顔で煤だけをつけている。
……ありがたみが、いまだに分からん。
煤を払って戻ると、ハンナが腕を組んで待っていた。
「あんた……何なの、ほんとに」
「通りすがりだ」
「通りすがりが山をひとつ低くするわけないでしょ」
目盛りが10%まで戻った。呆れられただけで上がるんじゃない。
◇
日が傾いて、選鉱場の軒下に大鍋がかかった。
ハンナは喋りながらも手を止めない。芋を刻み、粉を練り、湯を足す。この町の鉱夫の胃袋が、まるごとこの鍋にぶら下がっているらしい。
「この山はね、ぜんぶ領主様のものなの」
匙が鍋の底をこする。
「掘るのも、選るのも、量るのも、向こうの決めた通り。ノルマを割った者と、逆らった者は――深坑に送られる」
「深坑」
「町の奥の、いちばん深い坑。落盤続きで、みんな『呪われた深坑』って呼んでる。坑木がしょっちゅう軋むのよ。軋むのは崩れる前触れ。それでも掘れと言われたら、掘るしかないの」
荷を降ろす手を止めて、リゼットが坑口の方角を一度だけ見た。小声で言う。
「……呪詛の匂いはしません。ただの――人災です」
ハンナは聞こえたそぶりも見せず、鍋をかき混ぜた。
「半月前ね。うちの兄ちゃんが、そこで生き埋めになった」
湯気が、ゆらりと横に流れた。
「掘り出してくれって、町中で頼みに行ったわ。返ってきた言葉は一言。掘り出す銭が惜しい、って。それで坑口を塞いで、それきり」
……銭が惜しい。人がまだ中にいるのに、だ。
「知ってる? この町で一番いい着物を着てるのは、掘ってない奴だけよ」
ハンナは笑って、火を強めた。
「泣かないんだな」
訊いてから、しまったと思った。ハンナの手は止まらなかった。
「泣く暇があったら、皆に飯を食わせなきゃいけないから」
何でもないことのように言う。鍋から次々に椀を配って、自分の分だけは、いつまでも取らない。
……ああ、そうかよ。
自分のことを、後回しにする奴か。
……俺と、同じだ。
喉の奥が、ちりっとした。かけ直す相手は、案外近くにいる。
――うるさい。いまはそれどころじゃない。
目の前に、坑がある。中に、人がいる。
目盛りが少し上がって15%。惚れたわけじゃない。他人の顔をした自分を、見せられただけだ。
日が落ちきった頃、鉱滓を蹴散らす足音が、いくつも重なって近づいてきた。
◇
軒の灯りの外に、松明の火がのぞいた。
昼に転がした三人と、その後ろに立つ男が一人。椀を持つ手が、いっせいに下りた。
男は俺を上から下まで、舐めるように見た。それから、嗤った。
「――気に入らねえな、よそ者」
ハンナが前へ出ようとするのを、腕で止める。
「ちょうどいい。この町の坑は、掘り手がいくらでも要るんだ」
顎で、暗い坑口を示す。
「明日から、お前も掘れ。逃げられると思うなよ」
松明が遠ざかっていく。誰も、何も言わなかった。
ハンナの指が前掛けを握りしめている。その先の暗がりで、坑口がまだ口を開けていた。
……待て。
俺は悪党を一人殴っただけだぞ。なんで鉱夫の内定もらってるんだ。
肩に飛び乗った白猫が、尻尾を一振りして、実に楽しそうに言った。
「よかったじゃない。就職先、案外近くにあったわねえ」
……その言い方、本当にやめてくれ。




