ep019「『規則ですので』の男を、規則ごと吹き飛ばした」
浄火は今日だ。
焼かれるはずの本物は、ゆうべのうちに蔵を出て、市場裏の納屋で値札を待っている。
荷馬車の朝。俺はゆうべのことを白状した。
「あの敷き写しの字、読めたんだ。――前世の、俺の国の字だった」
リゼットは驚かなかった。渡り人だってことは、とっくに知られている。
筆を止めもせず、研究者の顔で頷く。
「では、本物が戻れば。あなたには、全部読める」
……そういうことになる。
敷き写しは形だけだ。拾えたのは、題の一語きり。
今日取り返すのは、文庫番の宝であり――俺の呪いの、手がかりでもある。
別々に担いでいた荷が、一本の縄で括られた。
「弾は揃っています」
膝の上で、リゼットが束を順に叩く。受理の控え。処分の目録の写し。封蝋の欠け片。表紙の敷き写し。
「帳の原本は爺さんが抱えて会場入りだ。納屋の場所も割れてる」
「探す段は終わりました。あとは撃つ順番だけです」
御者台の白猫が、耳だけ向けた。
「ゆうべの火柱ね、町じゃ『魔道士様の夜稽古』ってことになってるわよ」
「稽古で川原をひとつ焦がす男がいてたまるか」
財布の中身はあいかわらず木の実だ。目盛りは一桁のまま。決意で上がる呪いなら、俺はとっくに死んでいる。
坂の上から、笛の音が降ってきた。
◇
浄火の広場は、祭りで沸いていた。
櫓に飾り紐。焚かれた香。押し合う町衆。その真ん中に、薪が山と積まれている。
白い手袋が、封のままの箱を薪の前へひとつずつ並べていた。
「では、時刻ですので」
オルデンは今日も愛想がない。
その前へ、リゼットが一枚の紙を掲げた。
「浄火の前に、異議を受理いただきました。――開封のうえの、確認を」
受理の控え。あの男が規則どおりに寄越した紙が、規則どおりに開封を強いる。
白い手袋が、半拍だけ止まった。
「……規則ですので」
封が、解かれた。
目録をリゼットが読み上げ、タニアが箱の中を数えていく。娘の声が、途中で低くなった。
「……十一点、足りないわ」
どよめきの上から、リゼットが敷き写しを掲げる。
「文庫番の家に伝わる、手記の表紙の写しです」
箱の書へ、一冊ずつ当てていく。ふちの形。留め具の位置。どれとも重ならない。
「この形の書は、この箱にありません」
焼くはずの物が、焼く箱の中に無い。
俺は爺さんの背を押した。震える手が、卓へ古い帳を置く。
「蔵の中身は、代々この帳に。……検められたのは蔵でしてな。帳では、ありませんでした」
その隣へ、リゼットが泥のついた封蝋の欠け片を並べた。
拓に重ね、指の腹で角度を合わせる。潰れた花の縁が、線の上へぴたりと落ちた。
「蔵の封が、ゆうべ、市場裏の路地に落ちていました」
広場が静まる。
封を扱えるのは権限を持つ者だけだ。
封のままの荷が、夜の路地を歩いた。降ろした先の納屋も、もう割れている。
オルデンは顔色ひとつ変えなかった。
「――書類の不備は、審理で」
今日はその手が効かない。受理の控えも目録も帳も封蝋も、全部あんたの規則が味方した側の紙だ。
規則で身を守ってきた男が、規則で裸にされていた。
従士たちが、主任から一歩離れる。搬出の夜、こいつらは詰所にいた。
「――主任。身柄と証拠は、本庁へ回します。規則ですので」
広場が、割れた。
◇
守り神様を焼くと言って、本物を売っていた。
罵声が飛ぶ。そのぶんだけ、歓声がこちらへ返ってくる。
「《カタストロフ》様だ!」
「文庫番の宝を取り返してくださったぞ!」
肩を叩かれ、手を握られ、子どもに袖を引かれ、婆さんに拝まれた。
町じゅうが祭りで手を止めているのに、俺の目盛りだけは今日も無断で出勤している。
タニアが人垣を割って出てきた。頬が上気している。
「……あんた、ほんとにやったのね」
「揃えたのはリゼと爺さんだ。俺は突っ立ってただけだよ」
「突っ立ってる奴を、あたしは呼びに行ったりしない」
その後ろで、爺さんが深く辞儀をした。腰の折れる音が聞こえそうな、深い辞儀だった。
背中が熱い。祭りの熱じゃない。
充実度98%。
こらえる手札はもう無い。黒歴史はゆうべ、川原で使い切った。
だから、こらえない。
俺はオルデンの襟首を掴んで走った。
「何を――」
「歩きながら聞け」
人垣を抜け、櫓を抜け、蔵の裏を抜けて、草しか生えていない広場の外れまで。
振り返る。薪も櫓も蔵も町衆も、全部うしろだ。
祭りの笛が、風の切れ間にだけ届く。ここには誰もいない。
白い手袋が、初めて俺の手を振り払おうとした。
「――手荒な真似は、規則に反します」
「そうか」
振り払われかけた襟を握り直す。
「規則、規則って、あんたはずっと言ってたな」
その目がようやく俺を見た。値踏みの目じゃない。厄介な物を見る目だ。
「――なら、これも規則だ。悪党は、爆ぜる」
何度も飲み込んで、そのたび胸の底へ沈めてきた台詞だった。
息を吸う。
「――爆ぜろ、俺」
閃光。轟音。
草が寝て、土が舞い上がって、祭りの笛が一瞬止まった。
仰向けに落ちた俺の視界の端で、黒焦げの主任が白目を剥いて転がっている。焦げた襟。煙の立つ肩。
その足元に、白い手袋が片方だけ落ちて、煤にまみれていた。
商品を傷めない男が扱った、最後の商品があれだ。
0%。世界が、静かだ。
遠くで、割れるような歓声が上がった。町はまた無詠唱の大爆発を目撃したことになる。
従士が二人がかりで主任を担ぎ上げ、本庁への坂を下っていった。
◇
納屋は、その日のうちに差し押さえられた。
藁と黴の匂いの中から出た荷箱が、封のまま、空の蔵へ帰っていく。
爺さんは震える手で、虫干しの布を広げた。
「……ひと月、風を入れて待った甲斐が、ありましたわい」
毎朝、空の蔵に風を入れ続けた手だ。
俺は、初めて本物の手記を開いた。
昼の光が、頁を白く焼いている。
誰にも読めない、渡り人の字。
俺にだけ、読める。
――先に、同じ国から来た者がいた。
その男も、この世界の術では解けない呪いを負っていた。訪ね歩いた術者は、みな首を振ったとある。
最後に、こうある。
「この呪いは、術では解けぬ。想いの結晶ゆえ、かけ直すよりほかに、道はない」
……かけ直す。
呪いってのは、かけ直せるのか。
頁は、そこで終わっていた。
閉じて返そうとすると、爺さんは首を振った。
「読める御方が持っとる方が、この書も本望ですわい。――次に来る日に、返しに来なされ」
礼だといって、古い外套を押しつけられた。
「渡り人の遺品ですが、焦げも汚れもつかん妙な布でしてな」
……ずっと探していた物は、この蔵の中にあった。
門の外で、タニアが待っていた。
「ゆうべの返事、まだ聞いてないんだけど」
やめてくれ。それを言われると、爆ぜる。
娘は俺の顔を見て、けっと笑った。
「……冗談よ」
腰に手を当てて、胸を張る。
「次にこの町に来たら、蔵の一番いい席、取っといてあげる。異国の字が読める客なんて、うちにはあんたしかいないんだから」
荷馬車が門を抜けた。手を振る影が、街道の砂に紛れて小さくなる。
目盛りは二十いくつ。見送りの余熱ぶんだけ、まだ温い。
膝の上の手記を、指で叩く。
「解くには、かけ直すしかない」。手記は、そう言っていた。
……なあフェリ課長。この呪い、いったい誰が、俺に「かけ直せ」なんて言ってるんだ。
白猫は前足を舐めて、実にどうでもよさそうに欠伸をした。
「さあ? ――でも、心当たりのない呪いなんて、この世にひとつもないものよ」




