ep018「爆発厳禁の張り込みなのに、充実度98%」
転生十八日目の朝。俺は人生で初めて、泥棒を「待つ」側に回った。
「取り返しに行かないのか」と聞いたら、リゼットは首を振った。
「今夜、荷に触れた方が――盗人に、なるので」
接収は合法。封緘は規則。浄火の公示も済んでいる。
「書類は全部あちらの味方です。今夜こちらが荷に手をかければ、明日の朝には盗人が二人と、猫が一匹」
「猫は数えなくていいのよ」
押さえるのは物じゃない。現物が蔵を出る瞬間と、持って帰れる物証。清算は明日、火の前でやる。
「詰んでいるのは向こうです。まだ気づいていないだけで」
浄火は明日。だが荷物は、火なんか待たない。
◇
昼前、文庫番の家。卓の上に帳が三冊。
爺さんは、原本を貸さなかった。
「原本は、わしの頭と一緒に留守番ですわい」
リゼットの筆が走る。封蝋の拓、品目、控えの写し。行商の筆まめは、この日のためにあったらしい。
写しの一枚が、全員の前に置かれた。潰れた花のような刻印――蔵の封蝋の拓だ。
「これと同じ印を、今夜は探します」
タニアが身を乗り出し、印を睨みつける。まばたきが少ない。
束の下から、爺さんが古い紙を一葉抜いた。なぞり書きの妙な形が並んでいる。
「異国の字は、わしらには絵と同じでしてな」
「お借りします。明日、火の前で本物の表紙を見分けるのに要りますので」
リゼットは広げもせず、写しの束に挟んだ。読めない書は、形で見分けるしかない。
配置が決まる。蔵裏の辻に俺とタニアと白猫。リゼットは荷馬車で待ち、持ち帰った物を受ける。
張り込みに元手は要らない。俺向きの仕事だ。
宵。広場の櫓に灯が入り、飾り紐が夜風に鳴る。薪と祭具の荷が、夜通し動く。
荷車が風景に紛れる、唯一の夜だ。
◇
蔵裏の辻は、暗かった。
祭りの明かりは坂の上で止まり、こちらへは音だけが落ちてくる。轍。笛。誰かの笑い声。
木戸と裏口の両方が見える物陰にしゃがみ、提灯も持たずに待つ。
「あんた、足しびれてない?」
「しびれてる」
「あたしも」
小声だから、顔が近い。近いから、囁きになる。囁くから、また近づく。
膝の上では白猫が丸くなり、俺の腹で暖を取る。
目盛りが、上がっていく。
張り込みだぞ!? 惨めの側の仕事だろ、これは!?
「言っとくけど、猫は頭数に入らないのよ、あの呪い」
「じゃあ何で上がってるんですかね」
「隣の子でしょ」
……身も蓋もない。
「あんた、さっきから猫と喋ってない?」
「呪具屋の使い魔だ。喋る」
「ふうん」
タニアは一拍で納得した。この世界の適応力、恐るべし。
「ま、今夜の私の取り柄は肉球ひとつぶんね。夜目が利くもの」
「数千年勤めた女神の、最大の貢献が猫であることか」
「褒められてる気がしないのよね、それ」
六十いくつ。張り込みで、六十いくつ。
夜半。
裏口の錠が、内側から開いた。
絞った提灯の輪が、じわりと路地へ滲む。輪の中に、白い手袋が浮かんだ。
人足が四人。声は出さない。手の合図だけで、荷箱が肩から肩へ渡っていく。
封は、切られていなかった。
「――丁重に。傷が付けば、値が下がります」
規則の声が、値段の話をしていた。
タニアの拳が膝の上で固くなる。俺はその肩を押さえた。
箱は薪の山の下へ納まり、荷車は轍の音の川に紛れていく。
「どこ行くと思う」
「市場の裏。あのへん、納屋ばっかりよ」
土地勘、頼りにしてる。
影を伝って、荷車を追った。
◇
遺物市の裏手。板壁の納屋。
戸口の前に提灯がひとつ置かれ、橙の輪の中を荷箱が渡っていく。板の隙間から灯が細く漏れる。藁と黴の匂い。数えられるのは、影の数だけだ。
六つ目の箱の角が、戸口の柱を噛んだ。
鈍い音。何かが泥の上に落ちた。
人足は気づかない。提灯を持った男が、箱を追って中へ消える。
路地が、暗くなった。
隣で、息を呑む音。泥に小さく光るのは、潰れた花――朝、タニアが目に焼きつけた印だ。
止める間もない。その暗さへ、娘が飛び出した。
泥に膝をつき、指先でそれをつまみ上げ――戸口の奥で、灯が向きを変えた。
考えるより先に、腕が伸びていた。タニアごと壁の影へ引き倒す。
提灯の輪が、俺たちの足先の泥まで伸びてくる。
息を止める。
腕の中に、娘の背中。髪。首筋の熱。心臓の音が、どちらのものか分からない。
88%。
まずい。
俺の呪いが、俺の呪いの手がかりを灰にしようとしている。
二十歩先は紙の山だ。ここで爆ぜたら、任務も手記も、爺さんが毎朝風を入れてきた蔵の中身も、灰になる。
娘の指の隙間から、潰れた花がのぞいている。
その顔を、間近で見てしまった。
「……なんで、あんたはそこまでするのよ」
息だけでできた囁きが、耳のすぐ下で鳴った。
目盛りが跳ねる。充実度98%。爆発まで、あと2%。
しかも、待てない。提灯が去るまでこの体勢は続く。密着も心音も二人きりの時間も、全部が加算だ。待つほど上がる。
声を出す危険を取ってでも、今すぐ下げるしかない。
俺は口を、娘の耳から少し離した。
「中学二年の秋。俺は、自分の右手に名前をつけていた」
「……は?」
「卒業文集の『将来の夢』の欄に、世界の理を書き換える者、と書いた。担任は花丸をくれた。あれは慈悲だった」
「あんた、いま、何の話……?」
娘の声から、熱が少し抜けた。
俺の腹の底からも、何かが抜けていく。羞恥という名の、冷却水だ。
86%。
焼け石に一滴。だが、足りた。
提灯の輪が遠ざかる。戸が閉まり、閂の落ちる音。人足の足音が散っていく。
俺たちは影のまま、路地を戻る。
「それ、俺が持つ」
「却下」
「却下よ」
娘と猫に、同時に言われた。
「あんたの懐、今夜この町でいちばん燃えるでしょ」
……ごもっともです。
欠け片はタニアの手の中に納まった。世界で一番燃えやすい保管庫は、今夜も無職である。
◇
帰り道。
距離を取ろうと半歩ぶん外へ寄る。タニアは、なぜかその半歩を詰めてくる。
目盛りが、また上がりはじめた。
「……勘違いしないでよね。今夜だけよ」
「ああ」
「……でも、あたし、あんたのこと――」
98%。
言い終わる前に、俺は走り出していた。
「え、ちょっ、なんで走るのよ!?」
川原まで全力。無人を確認。位置取り。
夜空に火柱が一本立って、俺は仰向けに落ちた。町からは、遠雷ひとつに聞こえただろう。
袖がまた焦げている。俺の服は、いつも肘から先が短くなる。
0%。世界が、静かだ。
あとで聞いた話では、取り残された娘に、白猫はこう言ったらしい。
「求愛の返事よ。あれで照れてるの」
◇
荷馬車まで戻ると、タニアがリゼットの掌へ欠け片を載せているところだった。
「……ばかみたい」
笑って、そう言った。誰に向けた言葉かは、聞かないでおく。
娘は振り返らずに、夜道を帰っていった。
幌の中。行灯の下で、リゼットが欠け片を紙の上に置く。
拓の刻印に重ね、指の腹で転がすように角度を合わせる。乾いた紙の音が、二度。
欠けた花の縁が、線の上へぴたりと落ちた。
「一致です」
「……本物だな」
「蔵の封が、夜道に落ちていました。――言い逃れの余地を数えるのは、今夜から向こうの番です」
「明日は」
「火の前で、箱を開けさせます」
「よく持ち帰りました」と付け足して、リゼットは写しの束を畳みはじめた。
目盛りは8%。労いの一言ぶんだけ上がって、それきり。人並みの体温である。
畳まれていく紙の、一番下。
行灯の光が、その一葉を舐めた。
なぞり書きの、文字とも模様ともつかない形。
俺はこの町の看板ひとつ読めない。麦粉屋と酒屋の区別もつかない男だ。
なのに。
「……日記」
声が、出ていた。
……読める。誰にも読めないはずの、渡り人の字。それは――前世の、俺の国の字だった。
リゼットが、静かにこちらを見ていた。
「ミツルさん。いま――読みましたね?」




