ep017「焼かれるはずの本物に、もう値札がついていたらしい」
転生十七日目の朝。荷馬車の中で、リゼットが無言で手のひらを差し出していた。
「カルテを返してください。あなたの懐は、世界で一番燃えやすい保管庫なので」
……言われてみればそうだった。俺は、爆ぜる男だった。
十五日ぶんの観察記録が、うやうやしく文箱へ収まっていく。国宝の返還式である。中身は非リア充の日録だが。
「これで所在は片づきました。あとは、宿題がふたつ」
浄火は明後日。そして、昨夜この毛玉が置いていった見立てだ。
膝の上の白猫が、あくびの途中で言う。
「値踏みが本当なら――売り物と、売り先があるはずよ」
攻め手は二つ。正面から、リゼットが同業の作法で査定に口を挟む。裏から、文庫番の帳と、焼かれる物の目録を突き合わせる。
目盛りは30%。緊張では上がらないのが、この呪いの不親切なところだ。
幌の隙間の先、坂の上に漆喰の白壁が見えた。
「今度は、こっちから出向く番だ」
◇
解呪局の出先は、白い壁と板張りの受付でできていた。封蝋の匂い。奥の暗がりには、布をかけられた荷の影。
数えるなと言われた気がしたので、数えた。
従士の誰何に、リゼットが懐から鑑札を出す。
「行商の解呪師、グリモア呪具店です。私の鑑札は、昨日あなたがたが検めて、確かめてくださいましたね」
逆用である。
奥から、白い手袋が現れた。
「……昨日の呪具屋殿ですか。ご用件は」
「接収物の査定について、異議を申し立てます」
注文を取る店員の声と、変わらない。
「鑑札を持つ解呪師は、『危険』の査定に異議を申し立てられます。申し立てはその場で受理。私は品を実見のうえ鑑定書を書き、審理までに添える。――そういう建付けかと」
「その通りです」
……あっさり認めた。認めたうえで、白い手袋の指が組まれる。
「査定済みの品は、すべて封緘されております。開封は浄火の朝、火にくべる直前の確認のみ。――規則ですので」
実見できなければ、鑑定書は書けない。
「では、審理の日取りを」
「受理はいたします。日程は追って。順は先に立った案件から。……早くて、祭りの後に。――規則ですので」
焼いてから、審理する気だ。役所ってのは、異世界でも役所らしい。
怒鳴れば負ける。怒鳴らせる気すらないのが、また嫌なところだ。
目盛りが28%まで下がる。門前払いで下がる男。
リゼットが、半歩だけ前に出た。
「二つ、いただきます。ひとつ、受理した、という書付を」
「……お渡しできます」
「もうひとつ。これでは異議の対象が特定できません。処分の目録の写しを。――規則では、公示の義務があるかと」
白い手袋が止まった。
公示は浄火の朝に掲げる決まりだと、従士が言いかけて口を閉じる。まだ市中に出ていない紙が、二日ぶん早く一枚。
オルデンは一拍おいて、筆を取った。書き上がった二枚を、手袋の指が両端からつまみ上げる。昨日、呪具を持ち上げたのと同じ手つきだ。
「――規則ですので」
紙まで商品の扱いである。
外へ出ると、坂の下から祭りの笛が聞こえた。懐に紙が二枚。正面は完全に詰んだ。
なのに、負けた気がしないのはなぜだろう。
◇
昼。坂を下りた文庫番の家の母屋に、四人と一匹。
接収のとき家に渡された紙を、タニアが卓に置く。「蔵一式を預かる」。品目は一行もない。
「これじゃ何を持ってかれたのかも分からないでしょ。ずるいのよ」
その隣へ、爺さんが帳を三冊、積んだ。
封蝋の控え。品目の目録。虫干しの照合の記録。
乾いた紙の音がして、午後の光に埃が一筋だけ立った。
「蔵は検められましたが、帳までは検められませんでしたな」
顔は上げない。帳の背を指の腹で一度だけ撫でて、端に手を添える。毎朝、空の蔵に風を入れている手だ。
突合せが始まる。読み上げるのがタニア、写しに指を走らせるのがリゼット。爺さんは、帳を開かない。
「陶の護符、七点」
「あります」
「封じ紐、三巻」
「あります」
「……綴じ本。旅の記の類、五冊」
リゼットの指が止まった。
「ありません」
読み上げるほどに、返る言葉が短くなる。
最後に、リゼットが写しを裏返した。
「十一点。蔵から出た品より、浄火の目録は十一点少ない」
「十一。……多いのか少ないのか、困る数だな」
「値打ちの筋が、きれいに十一点です」
爺さんが、目を閉じたまま言った。
「西の棚の下段と、二段目まで。あのあたりは、値のつく物ばかりでしたな」
全部、頭の中に入っている。蔵は運び出せても、番人の頭までは荷車に積めなかったわけだ。
「で、肝心の」
「手記は、目録にありません」
タニアが顔を上げた。
「焼かれないってこと? じゃあ、まだ望みが……」
リゼットが写しを畳む。いつもの事務の声だった。
「危険だと言って接収して、危険物の目録には載せない。――返す気も、焼く気もない、ということです」
母屋が静かになる。風入れの窓から、光だけが斜めに落ちていた。
焼かれるはずの物が、焼かれない。それは、救いの形をしていない。
タニアが写しの端を見つめたまま、言った。
「……あんたたち、ほんとに調べてくれてるんだ」
「仕事だからな」
「そういうとこ」
リゼットが荷袋の紐を締めながら、小声で寄越す。
「いま、上がりましたね」
目盛りは38%。実況を入れるな。
「焼かないなら、何のために取ったんだ」
その答えは、市の外れで、向こうから耳打ちしてきた。
◇
夕方の遺物市は、店じまいの気配だった。
鍋の蓋にしか見えない聖遺物を包む手の間から、男がひとり寄ってくる。声がやけに低い。
「旦那。アーモの噂の、魔道士様でしょう」
尾ひれは今日も元気だ。訂正はしない。
「祭りの翌る日、いいのが出ますよ。……『灰を潜った』上物でね。今なら予約が利きますぜ」
灰を潜った。焼かれたはずの物が、灰の中から出てくる。
「出所は」
「聞きなさんな」
男は指を一本立てて笑った。
「堅いところからだ、とだけ」
堅いところ。坂の上を指さないまま、しっかり指した。
「値は」
「上物なら金貨で二桁は。手付をいただければ、一番に回しますよ」
来た。俺は懐に手を入れ、上客の顔で――
男の手のひらへ、胡桃を三つ置いた。
「……旦那」
「扁桃もあるぞ」
商魂という光が、男の目から抜けていく。
「……冷やかしかい」
潮が引くように去っていく。上客は、二呼吸で無一文に戻った。まあいい、情報はタダだ。
荷馬車へ戻り、三つを並べる。
物――目録の齟齬。値打ち筋の十一点が、焼かれる名簿から消えた。
金――灰の予約営業。売り先はもう動き、日取りまで決まっている。
時――ひと月眠っていた査定が、祭りに合わせて急に動きだした。
「焼いたことにして、売る」
声に出すと、背中が冷えた。
「浄火は処分じゃない。出所を消す儀式だ。焼かれた物は――盗まれた物に、ならない」
「神界にもあるのよ、横流し。帳簿ってね、燃えると綺麗になるの」
「課長の職場の話は、今度ゆっくり聞く」
ただし、全部が状況証拠だ。目録の齟齬は事務の遅れと言い張れるし、商人の口は証拠にならない。
決定打はひとつ。現物が蔵を出る、その瞬間だ。
目盛りが40%。魔道士様と呼ばれたぶんの上がり幅だ。褒められて上がる男は、今日も締まらない。
浄火まで、あと二日。そう数えた矢先だった。
白猫が、暮れ方の出先の方角へ目を細める。
「ね、言ったでしょ。――先に検めた方の、勝ちよ」
「急ぎなさい、ミツルくん。売り物はね――火なんか、待たないわよ」




