ep016「呪具屋の荷を検めたら、九割は乾物だったらしい」
転生十六日目の夜明け前。俺たちは荷馬車の中で、額を突き合わせて軍議を開いていた。
議題――俺の呪いの観察記録、十四日ぶんを、教会の検めからどう守るか。
「燃やしましょう」
「おい」
「冗談です。三割ほど」
七割は本気ということである。
「埋めるのは」
「掘り返した跡が残ります」
一言で切られた。
「じゃあ、どこかに預ける」
「預け先も検めの対象になります。昨日の触れは、市の端まで回りましたので」
「なら俺が持って散歩に出る」
「検めの朝に護衛が消えている行商は、疑われます」
全案ボツ。夜明けまで、そう長くない。
リゼットは文箱の蓋に指を置き、静かに外した。
「封で隠せば、同業には必ず視えます。ですから――何も、封じません」
偽の封印を一目で見抜く女の言だ。反論の余地はない。
「記録はミツルさんの懐へ。文箱は空のまま、元の場所に置きます」
「空の箱を、堂々と置くのか」
「昨日の通告を、正確に思い出してください。――明朝、荷を検めさせてもらう」
「荷」
「荷とは商品のことです。護衛の私物は、荷ではありません」
鉄面皮のまま言い切る。膝の上の白猫が伸びをした。
「その理屈、通るの」
「通します」
視界の隅の目盛りは20%。緊張ではこの呪いは動かない。ありがたいような、腹立たしいような。
幌の隙間が白んだ。市の喧噪が、手で押さえられたように引いていく。
石畳を、法衣の裾が並んで歩いてきた。
◇
先頭の男は、白い手袋をはめていた。
愛想というものを実家に置いてきた顔で、名乗る。
「教会解呪局カスタン出先、主任のオルデンと申します。検めを行います。――規則ですので」
「ええ、どうぞ」
「立ち会いは店主のみ。荷は一箱ずつ手前へ。――規則ですので」
なるほど、口癖はすぐに分かった。
従士たちが荷を降ろしはじめる。乱暴ではない。むしろ丁寧だ。とりわけ主任の手つきは、呪具を恭しく持ち上げ、白い手袋の指で底まで検めていく。
書類戦が始まった。
「届け出のない呪具は預かりとする。規則ですので」
「仕入れの台帳、行商の鑑札。三番の棚は前の町で届け出済み、書付は帳面の裏です」
リゼットは帳面を繰る手を止めない。
「五番は呪具ではなく素材、七番は空箱。書付は――ここに」
白い手袋が止まる。従士が顔を見合わせる。
うちの店主、書類だけで無双している。
業を煮やした従士が、幌の奥の俵に手を伸ばした。
やめろ。
「……これは」
どさり、と出てきたのは、胡桃、胡桃、また胡桃。
「呪具屋では」
「報酬です」
「これも胡桃か」
「それは扁桃です」
次の俵から油の壺、その次から菓子。呪具屋の荷は、体感九割が乾いた食い物だった。
最後の小箱が開き、香が並ぶ。従士が眉を寄せるより早く、リゼットが告げた。
「商品です。――彼の給金でもあります」
言うな。
法衣の一団の目が、一斉に俺へ向く。労わりと憐れみの、あの目だ。
視界の隅で目盛りが下がった。18%。
疑われて下がる男。
従士のひとりが、俺へ一歩出た。
「護衛の身体も検めを」
懐の紙束が、心臓より大きく脈打った。
リゼットは帳面から顔も上げなかった。
「昨日の通告は『荷を』検める、でした。護衛の私物は、荷ではありません。――規則では」
主任は一拍おいて、頷いた。
「……規則ですので」
従士が下がる。一勝。
残るは文箱ひとつ。従士が蓋を開け、動きを止めた。
「……猫です、主任」
白猫が丸くなって入っていた。
主任は箱を一瞥し、俺を見た。
「アーモの噂の魔道士殿と、お見受けする」
尾ひれの回転が早すぎる。
「無詠唱の大爆発。呪詛の疑いがあれば、人も、検めの対象ですが」
荷の防衛線を、正面から回り込んできた。懐の紙束が、急に厚みを増した気がする。
リゼットが、営業の顔のまま言った。
「魔道士の術は呪詛ではありません。解呪局の検めの根拠の外かと。――規則、ですので」
白い手袋の指が、初めて組み替えられた。
「……ご明察。規則ですので」
二勝。
荷が積み直され、一団が背を向ける。主任は振り返らずに言った。
「近く、接収物の査定が公示される。呪具屋なら、心に留めておかれるといい」
法衣の裾が坂を上っていく。俺の膝は、少し笑っていた。
俺の呪いは、魔法と勘違いされているおかげで検められなかった。……十五日ばかり放置してきた勘違いに、救われる日が来るとは。
リゼットが薬草の束を積み直しながら言った。
「よく、汗をかいていましたね」
「褒めてないだろ、それ」
目盛りが21%に戻る。労われて上がるのも大概である。
◇
昼。市の外れで、見覚えのある娘が仁王立ちしていた。
「あんたたち、無事だったんだ。……よ、よかったじゃなくて!」
「どっちなんだ」
タニアは腕を組み、それからほどいた。
「お願いがあるの。呪具屋なんでしょ」
連れて行かれたのは、坂を下りた先の古い家だった。
蔵の戸の脇に、割られた封蝋の跡。古い蝋の上に、新しい蝋を重ねて貼ってある。
中は、空だった。
棚が三段。台座がいくつも。掃き清められた床に、埃ひとつない。
その空の蔵の戸を、痩せた爺さんが両側から押し開け、板を噛ませていた。
風が通っていく。一冊も本のない棚の間を、ゆっくりと。
「爺さん、それ……」
「虫干しですよ」
顔も上げずに、当主は言った。
「返ってきた日に、黴びた蔵には戻せんでしょう」
それきり、奥へ入っていく。戸板の鳴る音だけが、しばらく続いた。
タニアが小さく息を吐く。
「最近は、こればっかり。……返してって、三度言ったの。三度目に言われたわ。査定の結果次第では処分する、って」
「処分」
「危険だって判が押された物はね、祭日の浄火でまとめて焼くんだって」
――焼く。
壁の向こうにあるはずの物が、期限つきの物に変わった。
「ひと月も預かっといて、査定はまだって。……なのに焼く日だけは、もう決まってるみたいな言い方でさ」
その順番は、たしかに妙だ。だが今は置いておく。
リゼットが蔵の戸口を見て、それからタニアを見た。
「解呪師には、査定に口を挟む作法があります。――受けます」
早い。呪いが絡むと即答なのは相変わらずだ。
「い、いいの? お金、まだ何も言ってないのに」
「乾物でも受け取ります」
「うちの資産構成を暴露するな」
タニアが噴き出し、頭を下げた。
「……ありがと。あんたたち、ほんとに変」
目盛りが32%まで跳ねる。
リゼットが荷袋を肩にかけ、小声で言った。
「いま、上がりましたね」
実況を入れるな。
取り返す物のリストが増えた。手記が一冊、蔵がひとつ、それと爺さんの日課。
◇
夕方の広場は、妙に浮かれていた。
屋台の骨組みが組まれ、子どもが花綱を引きずって走っていく。祭りの支度だ。
赤と黄の紙旗が縄の上で鳴り、焼き菓子の甘い匂いが風に乗る。どこかで笛の稽古が、同じ節を三度繰り返した。
その賑わいの真ん中に、人だかりができていた。高札の前だ。
リゼットが札の字を目で追い、読み上げる。
「接収物の査定、ならびに――浄火。祭日の朝、鐘とともに。三日後です」
三日。
花綱と、焼かれる本の日取りが、同じ札に並んでいる。祭りの支度をする手と、蔵に風を入れる手が、同じ朝に向かって動いている。
広場の笑い声が、やけに遠く聞こえた。
肩に上がってきた白猫が、尻尾で俺の膝を叩く。
「ねえ、気づいてた? あの主任、呪具を検めてるとき――規則の目じゃなかったわ」
「どういう意味だ」
恭しく品を持ち上げていた、あの白い手つきが浮かぶ。
「値踏みの目よ。あれは役人の目じゃない」
白猫は坂の上の白い壁を見上げ、言った。
「売り値を数える、商人の目」




