ep014「事件も悪党もないのに、充実度だけが上がっていく」
「静かで平和な旅がいい」――そう言った翌朝、俺は荷台の上で自分の全財産と向き合っていた。
胡桃が一袋半。扁桃の袋がふたつ。油の甕が三つと、菓子がひと包み。
金貨、ゼロ。
冒険者ギルドの職業欄には『自爆魔道士』とあるが、実態はもう乾物屋である。
「胡桃、一袋半」
「一袋半、と」
俺が数え、リゼットが膝に板を乗せて記帳する。
荷馬車は軋み、街道は晴れ。行く手にも来た道にも、悪党の一人もいない。
「扁桃、ふたつ」
「ふたつ、と」
袋の口を締め直すと、乾いた甘い匂いが立った。次の収穫の一番いいのを取っておく、と言った娘がいた里の匂いだ。
それだけだ。俺は袋を積み直す。
「油の甕、三つ。菓子はひと包み。……で、金貨がゼロ」
「乾物屋ですね」
「言うな。自分で言おうとしてたところだ」
リゼットが筆を置く。荷の隙間から小さな紙包みを取り出して、俺の膝に置いた。魔除けの香だ。
「今月分です」
「今月分? 待て、俺はまだ十日しか働いてないぞ」
「先行投資です」
「給金が現物支給で、しかも焚いたら消える物なんだが」
「よく燃えます」
燃やせば給料は文字どおり煙になる。なんだこの帳簿は。
……なのに腹が立たない。それが問題だった。
俺に見えるゲージが、視界の隅でじわりと目盛りを上げる。
充実度32%。
おい待て。今日はまだ誰も俺に優しくしてないぞ。
荷台の隅で丸くなっていた白猫が、片目だけ開けて尻尾を揺らした。
リゼットは記帳の束を膝から下ろし、別の紙束を引き寄せる。
「ちょうどいい機会です。十日ぶんの――整理を」
◇
「第三項。あなたは感謝されると、まず耳が赤くなります」
「いきなり何を読み上げてるんだ」
「あなたの観察記録です。十日ぶん」
束は想像より厚かった。日付ごとに几帳面な字が並び、余白には小さな図まで添えてある。
俺の呪いのカルテだ。
「第五項。礼を言われた直後、否定する癖があります。否定の語数が多い日ほど、上がり幅も大きい」
「やめろ」
「第七項。ご自身の申告数値は、照れが入るぶん一割ほど低く出ます」
「そんなわけあるか!」
「……三割低い日もあります。記録します」
「記録するな、そういうのを」
白猫が肩を震わせて笑っている。
恥ずかしさで目盛りがひとつ落ちた。惨めな気分は、この呪いではきっちり引き算だ。
リゼットがページをめくる。呪いの話に入ると、この解呪師は少しだけ早口になる。
「上がり方の癖が、町ごとに違うんです。人の多い場所ほど跳ねると思っていたのに、そうでもなくて。むしろ――」
「むしろ?」
紙から顔を上げないまま、リゼットは言った。
「十日で、みっつの町の理不尽が消えました。――ふたつは、この目で。観察対象として、誇っていいと思います」
「……三つ目は数えなくていい。あれは事故みたいなもんだ」
「否定なさいましたね。第五項です」
目盛りが戻った。というか、さっきより上にいる。ふざけるな。
リゼットは束の最後の一枚をめくり、余白に書き足したらしい一行を読み上げた。
「総括。この呪いは――戦場より、日常でよく上がります」
「……なんか怖いこと言うなよ」
「事実の記述です」
笑って流した。
昼を過ぎたころ、街道の先に荷馬車が数台、身を寄せ合っているのが見えた。
「寄ります。屋号持ちの習いです――辻の市では、文箱を検めるものなので」
◇
辻の中継市は、町と呼ぶには小さすぎた。預かり屋の軒先に荷が積まれ、荷馬車が水と飼葉を分け合っている。
売り買いの場というより、待ち合わせの場所だ。事件も悪党も起きようがない。そういう顔をしていた。
「……あれが例の、悪徳守り神を消し炭にしたっていう」
「日課の修練だそうだ。恐ろしいな」
寄越される視線と、尾ひれの育ちきった噂が一往復。ここでも俺は爆発の人か。
リゼットは軒先の文箱の前に立ち、預かり屋に屋号を告げた。
「グリモア呪具店」
預かり屋が木札を繰り、束の底から一通を抜く。見覚えのない封蝋。宛名の脇に、あの屋号がきちんと書かれている。
網に、初めて何かが掛かっていた。
リゼットは文を光に透かし、指の腹で蝋の縁をなぞってから、ようやく封を切る。呪具屋の癖だ。
紙を追う目が、止まった。
「ミツルさん」
「……あったのか」
「栗の町カスタン。渡り人の手記らしき古文書があるそうです」
息が浅くなった。渡り人。俺と同じどこかから来た誰かが、書き残したもの。
「ただし、と続きがあります」
リゼットが文の下の行をなぞる。
「まともな手段では、もう手に入らない――そう書いてあります」
「後半だけ急にきな臭いな」
いつのまにか肩に上がっていた白猫が、鼻を鳴らした。
「本物ならね。渡り人の『遺物』なんて、九割は鍋の蓋よ」
「一割は当たりってことだろ」
言ってから気づいた。俺は今、はじめて自分から手がかりの話をしている。
この十二日、呪いの正体はいつも向こう側にあった。こっちが追いかけるものだった。
それが今日、向こうから追いついてきた。
「網は、張れば掛かるものです」
リゼットは淡々と言ったが、文を畳む指の運びは、いつもより丁寧だった。
「……カスタンへ行くぞ」
「はい」
荷馬車が夕暮れの街道へ出る。視界の隅で、目盛りが上がっていた。
充実度34%。手がかりが見つかっただけで上がるのか、これ。
◇
野営の焚き火に、俺は今月分の給料をくべた。
魔除けの香がぱちりと爆ぜて、白い煙が細く立ちのぼる。
「俺の給料が、いま煙になった」
「魔除けです。虫も避けます」
「実用性の話をしてるんじゃない」
扁桃の菓子は甘くて、端がわずかに焦げていた。白猫は火のそばで丸くなり、リゼットは膝の上で例の文をもう一度読み返している。
事件も悪党も、今日は一つもなかった。
薪が崩れて、火の粉が細く上がる。
誰も来ない。何も起きない。街道の草むらで虫が鳴いて、それきり、夜はまた黙った。
風が焚き火を撫でて、香の煙がゆらいで消える。
充実度41%。
「なあフェリ課長」
「なあに」
「今日の俺は、誰も助けてないし、誰にも惚れられてない。荷馬車に揺られて、木の実を数えてただけだ」
「知ってる。ぜんぶ見てたもの」
「……なのに、なんで41%なんだ」
白猫は焚き火越しに目を細めて、それはもう楽しそうに尻尾を振った。
「言ったでしょ? あんたの一番の地雷原は――この、静かで平和な旅なのよ」
火の粉がひとつ、夜に消えた。
……カスタンまで、あと何日あるんだっけ。




