ep013「守り賃なら、利子をつけて爆発で返す」
集荷の朝は、里じゅうが広場に呼び集められる。守り賃を計る枡と秤が、日の下に据えられた。台車の脇では自警団が列に睨みを利かせている。
ここは今日、あの男の舞台のはずだった。
「蛇口をひねるには、ちょうどいい舞台じゃない?」
ゆうべの白猫の言葉を頭の中で転がしながら、黒焦げの首輪を二つ懐に抱えて、俺は列の前に立つ。
ああ、ひねってやるとも。里のみんなの前で、盛大にだ。
扁桃の袋が積み上がり、油の甕が並ぶ。列は長いのに、咳ひとつ聞こえない。
柵から引き出された痩せた背中たちが、その甕を黙々と台車へ運んでいる。
返してもらう物は、ぜんぶ目の前に揃っていた。
ドレクは帳簿と証文の束を小脇に抱え、秤の向こうで悠々と枡を弾いている。その取り巻きの中に、鉤棒の男の顔があった。
(……ゆうべ藪へ消えた、あの獣使いの背中だ。まだ里にいるのか)
肩の上で、白猫がひげをそよがせる。
「気づいてないのよ。ゆうべ見られたってこと、あの鉤棒はまだ知らないの」
「だから今朝も、平気な顔で威圧要員か」
「おお、昨日は世話になったなあ、英雄様? だが守り賃は守り賃だ」
白々しさで飯が食えるなら、この男は一生食うに困らない。
やがて枡の前に、ネルが立たされた。差し押さえの札が、果樹園の名の上に置かれる。
「待って! まだ実も生ってない樹よ!」
「期日だ。樹ごと押さえる」
俺は列の前へ出た。
「その守り賃の話を、みんなでしようじゃないか」
広場の真ん中へ進み、黒焦げの首輪を二つ、地面に並べて置く。
「三日前の魔物と、ゆうべの魔物。二匹とも、こいつを首に嵌められてた」
リゼットが屈み込み、細い指で刻印の線をなぞった。顔も上げずに、短く言い切る。
「同じ手のものです。――飼われた魔物が、二度、この里を襲いました」
断定が落ちた、その時だ。
人垣の端で、じり、と足が退いた。鉤棒の男が背を向けて駆け出す。
「逃がすな!」
逃げ足より、里人たちの手のほうが早かった。荷運びの腕が三方から伸びて、あっさり地面へ押さえ込む。
どよめきが、広場の底で割れた。
「……そういえば、魔物が出るのは、いつも集荷の前の日だ」
誰かの呟きから、空気が裂けていく。
「昨日、あんたたちは来なかった」
「詰所に人はいたんだ。いたのに、誰も出てこなかった」
守り賃の枡は、空のまま動かない。
誰も、払わない。
肩の上で、白猫が耳を伏せた。
「あら。蛇口、もう勝手に回りはじめてるじゃない」
ドレクは鼻で笑い、押さえ込まれた男を一瞥した。
「知らん。そいつが勝手にやったことだ」
地面に伏せられた顔が、ぐるりと上がる。
「言われた通りに放っただけだ! 集荷の前の日に出せと、あんたが!」
金で雇われた流れの獣使いが、忠義ごと逆ギレしていた。切り捨てられた道具は、よく喋る。
墓穴、完成である。
広場の目が、いっせいに秤の向こうへ向いた。
ドレクの顔から、余裕が剥がれ落ちる。剥がれた下から出てきたのは、隠していた素顔ではない。ただの本音だった。
「守られたくないなら、守ってやらんだけだ――」
顎をしゃくる。用心棒たちが棍棒を抜いた。五人。
「ミツルさん。枡と甕は、壊さないでください」
「注文が多いんだよ!」
里人を背にしない位置だけ確かめて、地面を蹴る。
最初の棍棒は掌で受け、柄を握ったまま引き倒す。二人目の腹に肩を入れ、三人目は襟を掴んで四人目の上へ放った。
枡ひとつ、甕ひとつ壊さない。この十日で、加減だけはずいぶん覚えた。
最後の一人が背中から落ちた音で、広場が――比喩の方で――爆発した。
「守り賃はもう払わん!」
「親父たちを返せ!」
「《カタストロフ》様!」
唱和が波になって押し寄せる。取り立ての広場が、そのまま解放の祭りに変わっていく。
人垣の向こうで、ネルが泣きながら笑っていた。
その脇で、台車の荷を置いた痩せた背中がひとつ、こちらへ歩いてくる。
ネルの父だった。爪の割れた指を膝の前で揃えて、深く、深く腰を折る。
「娘を……ありがとうございました」
視界の隅の数字が、そこで最後の一滴を受けた。
充実度98%。
(取り立てる側が先に満タンって、どういう帳簿だ)
今日は、こらえる手札がない。一枚きりの黒歴史は、ゆうべ熊型の前で使い切っている。
だから、こらえない。
俺はドレクの襟首を掴んだ。
「な、なにを――」
「集金だ」
広場を抜け、並木を抜け、石だらけの荒れ地まで一息に走る。人影なし。樹なし。里は遠い。
位置、よし。
襟首を放して、正面から告げてやった。
「あんたの言う守り賃なら、耳を揃えて返してやる。――利子は、爆発でだ」
腕から帳簿と証文の束が滑り落ちる。それを拾おうと屈んだのが、この男の最後の判断だった。
三日ぶりの一言が、喉から出ていく。
「――爆ぜろ、俺」
閃光。轟音。
0%。
降ってきた灰の中で、黒焦げの元・守り神が白目を剥いて伸びていた。無傷なのは、相変わらず俺だけである。
その周りに、紙の切れ端が舞っている。
差し押さえの札も、債務の証文も、桁の合わない帳簿も、まとめて煤になっていた。
この里に来てから、灰の匂いばかり嗅いでいる気がする。
……最後のこれは、悪くない灰だ。
縛り上げて広場へ引き立てると、寄り合いの年寄りが縄を受け取った。
「あとはこっちで預かる。獣使いともども、ギルドへ渡すでな」
「頼む」
それで終わりだ。
あとは早かった。
蔵の戸が開き、積み上がっていた守り賃が日の下へ出される。
「北の畑の分は、そっちの秤だ! 順に載せろ!」
さっきまで取り立てに使われていた秤で、里人たちが果実と油を計り直していく。
(集金日が、そのまま返却日か。帳簿の付け替えとしては見事なもんだ)
旧搾油場の柵は、内側から押し開けられて、そのままになった。出てきた背中たちが、まぶしそうに目を細めている。
ネルの果樹園からは、札が剥がされた。
報酬は、扁桃の油と菓子が山ほど。
「胡桃に続いて扁桃かよ。俺の荷台、いよいよ乾物屋だな」
「日持ちします」
リゼットの判定は、いつでも実務的である。
見送りは、里の入口の並木道だった。
ネルが一歩、前に出る。
「ねえ、英雄様。あたし――」
言いかけて、自分で止めた。
三度も間近で爆発を見てきた娘だ。その先を言えば目の前の男がどうなるか、見当くらいはついている。
止めて、笑った。
「……次の収穫の扁桃、一番いいのを取っておく。取りに来なさいよね、英雄様。守り賃は、もう要らない里だから」
初めて会った日、この娘は同じ樹の下で言った。英雄様が来たら、この樹の守り賃、代わりに払ってくれるの、と。
「ああ。実がなるころに、取りに来る」
軽く手を上げて、荷馬車の御者台へ上がった。
並木が後ろへ流れていく。振られる手は、いつまでも下りない。
(頼むから、見送りだけでゲージを三割も上げないでくれ)
「取り立てと利払いが一度に済んだわね。経理的には満点よ」
「褒めてるのかそれは」
リゼットが荷台の首輪二つを布に包み直しながら、淡々と言う。
「資料になります。持っていきます」
「まあ、そうなるよな」
里の屋根が、扁桃の葉の向こうへ隠れた。
「なあフェリ課長。次の町までは、事件も悪党もなしで頼む。静かで平和な旅がいい」
白猫は俺の視界の隅――その三割を一瞥して、実に楽しそうに尻尾を揺らした。
「あら。あんたにとって一番の地雷原は、その『静かで平和』って奴なのよ?」




