雪がふったら
世にあるものは例ならず、類あること、うたてぞ見ゆる──。
ある晩、奉公人を住まわせる別棟で、「世の中ってのは曖昧で、頭を悩ませる話がたくさん散らばっているんだぜ」と切り出したのは、商売をよくさばく二十二歳の手代である。幼少期の疾病による投薬の副作用で禿頭となり、年齢のわりに老けて見える男だが、滑舌はよく、明るい性格をしていた。
庶民の関心事を読みあげながら売り歩く瓦版屋のように、よなみだ集落にまつわる過去を聞かされた結之丞は、愉快な話に大笑いするよりも、怖いもの見たさの好奇心に誘われた。布団部屋の奉公人たちも、「マヤコさんもお夕さんも、気の毒です」「政二郎の死様とは、どんなものだったのでしょう……」と、興味津々のようすで寝つけない。手代は、少し焦らしてから語り始めた。
「亡骸を隠した住職は頓死ときたもんだから、忌子を埋めた場処は行方知れずさ。身体をバラバラにされたわけだし、生きているとは思えないが、祟りってのは、おっかないもので、よなみだ集落は鬼の根城って呼ばれるようになっている。近づくものは、五臓六腑を裂かれて喰われるぞ、ってな」
密かに身をすくめる結之丞は、きゅうっと金玉が縮むような感覚に当惑した。生殖を可能にする重要な役割を担っている臓器につき、外部から受ける刺激には注意が必要だ。思わず寝巻の上から両手でさすると、手代に気づかれた。
「どうした、結坊。小便なら厠へ行ってきな」
「ち、ちがいます。ぼくはただ、急に寒気がしただけで……」
「千幸の若旦那につれまわされて、少しは浮世慣れしたかと思えば、まだまだ肝っ玉がちいせぇようだな」
揶揄われて恥じる結之丞は、「もう寝ます。おやすみなさい」といって、頭から布団を被った。とはいえ、手代の話が気になり、寝たふりをしながら耳をそばだてた。
「病み崩れた政二郎の目はさえざえとして、空を見つめて絶命していたそうだ。鼻や口は見分けがつかず、全身に血豆のような腫れ物ができ、それは無惨なようすで……」
やがて、睡魔にいざなわれて眠りにつく結之丞は、じきに冬がくるなと(なぜかふいに)思った。しんしんと降り積もる白い雪は、心のなかにある闇を静かに蔽い隠してゆく。凍てつく北風は冷たいが、春になれば雪解け水と共に不浄なものを流してくれるだろう。
家族の元を離れ、見知らぬ人間たちと暮らす結之丞は、薬種問屋での務めによって身の上がきまる。奉公人の躾が厳しい理由としては、お店の格が影響しており、それが世間に通じる評判ともなれば、他人様に立派な人間として見做される。なかには、身勝手な理屈で暴力をふるう主人もいたが、鹿島屋の若旦那は、あたたかい心根の持ち主だった。もっとも、怠け者は店子として置いてもらえない。追いだす役目は、番頭の慈浪である。
初めて奉公にあがった結之丞は、商いを習う手代と異なり、若旦那についてまわり、さまざまな有様を目にしてゆくが、何事もなく鹿島屋での奉公人暮らしが続いていけばいい。ただ、今はそう願うばかりであった──。
今宵は、妙な空気が漂っている。母屋にて雨士が触れた肌を手ぬぐいで拭う千幸は、物云わぬ人影に目を凝らした。廊下の薄闇に佇む慈浪は、気持ちが落ちつくまで沈黙を保つ。迂闊に近寄れば、互いに見境を失くすおそれがあるからだ。
〘つづく〙




