第9話 自分からの電話
スマートフォンが鳴り続けていた。
画面には、
とおる
と表示されている。
「……俺?」
誰も声を出さない。
着信音だけが部屋に響く。
ピリリ……
ピリリ……
神崎が近づいてきた。
「出るな」
「でも……」
「出るな」
神崎の声には、有無を言わせないものがあった。
しかし、とおるの指は勝手に動いた。
――通話。
「おい!」
神崎が止めるより早く、電話はつながった。
『…………』
何も聞こえない。
「もしもし?」
とおるが言う。
返事はない。
代わりに――
ザー……
風の音。
そして、遠くから車のエンジン音が聞こえた。
「……車?」
とおるは眉をひそめる。
聞き覚えがあった。
自分の車のエンジン音。
『……もしもし』
電話の向こうから声がした。
自分の声だった。
「……!」
『聞こえる?』
「誰だ」
『俺だよ』
とおるは息を呑む。
『屋敷に入る前の俺』
その瞬間。
電話の向こうで、
ドアが閉まる音。
そして、車のウインカー。
カチ。
カチ。
カチ。
――山道を走っている。
あの日の自分だ。
『今から屋敷を見つける』
「……やめろ」
とおるの声が震えた。
『え?』
「そこから先に行くな」
『何言ってるんだよ』
「行くな!」
叫んだ瞬間。
通話が切れた。
画面を見る。
通話履歴は――
なし。
「……」
誰も言葉を出せない。
ジェシカが小声で言った。
「今の……録音じゃないの?」
神崎が首を振る。
「録音なら、あれほど正確に会話できない」
ひとみが尋ねる。
「じゃあ何なの?」
神崎は答えなかった。
その代わり――
「この家は、時間までおかしくしている」
と言った。
まなみが部屋の隅を指差した。
「……あれ」
古い電話機が置いてある。
黒い固定電話。
受話器を持ち上げる。
ツーツー。
普通に通じている。
「どこにつながってる?」
神崎が番号を押した。
しかし。
呼び出し音は鳴らなかった。
代わりに――
受話器から、
「……もしもし」
と声がした。
全員が凍る。
その声は――
神崎自身の声だった。
「……俺?」
神崎が受話器を置く。
「この家では電話を使わない方がいい」
その瞬間。
廊下から足音がした。
コツ。
コツ。
コツ。
今度は明らかに人間の歩き方だった。
神崎が拳銃を構える。
「誰だ!」
返事はない。
足音だけが近づく。
コツ。
コツ。
コツ。
やがて扉の前で止まった。
コン。
三回ノック。
「……開けるぞ」
神崎が扉を開いた。
そこに立っていたのは――
一人の男だった。
四十代。
作業服。
泥だらけの安全靴。
右手には古い図面ケースを持っている。
「……人間?」
ジェシカが呟く。
男は全員を見回した。
そして、
「六人か」
と言った。
神崎が銃口を向ける。
「名前は?」
「黒田」
男は答えた。
「黒田恒一」
「ここで何をしている?」
黒田は少し笑った。
「探し物だ」
「何を?」
「金」
全員が黙った。
黒田は図面ケースを開いた。
中には大量の古い設計図が入っていた。
「この家を建てた工事会社で働いてた」
ひとみが驚く。
「本当に?」
「若い頃にな」
黒田は設計図を広げた。
「この屋敷は普通じゃない」
図面には、巨大な建物が描かれている。
地下。
地上。
増築部分。
神殿。
そして――
15F
「これが正式な設計図だ」
黒田が言う。
神崎が眉をひそめる。
「じゃあ、さっき見た16階は?」
「知らん」
即答だった。
「設計図には存在しない」
とおるは図面を見る。
奇妙なことに気づいた。
「……この図面」
「何だ?」
「階段が多すぎる」
黒田は笑った。
「そうだ」
「どういうこと?」
「この家は、階段を増やすことで大きくなった」
「意味が分からない」
「分からなくていい」
黒田は図面を指差した。
「問題はこっちだ」
地下深く。
通常の図面には存在しない空間。
そこに赤い丸が付けられていた。
旧神殿
「ここに何がある?」
黒田は答えた。
「御堂が最後まで隠してた場所だ」
「金?」
黒田は頷いた。
「金塊だ」
ジェシカの目が変わる。
「金塊って……噂の?」
「噂じゃない」
黒田は淡々と言った。
「俺は見たことがある」
空気が変わった。
数十億。
あるいは、それ以上。
そんな価値の金が、この屋敷のどこかに眠っている。
しかし黒田は続けた。
「ただし――」
「何?」
「金を探しに行った奴は、戻ってこなかった」
「……何人?」
「覚えてない」
「じゃあ、なぜ戻ってきた?」
黒田は答えなかった。
その沈黙が妙に長かった。
やがて、
「一度だけ、俺はここから出た」
と言った。
「じゃあ出口は分かるんじゃないか!」
とおるが叫ぶ。
黒田はゆっくり首を振った。
「出たんじゃない」
「え?」
「出されたんだ」
全員が黙る。
「この家に用がなくなったから、外に吐き出された」
「家に……?」
黒田はとおるを見る。
「そう」
そして、妙に優しい声で言った。
「この家には意思がある」
「……意思?」
「何十年も人間が住み、祈り、恐れ、死んでいった」
黒田の目が暗くなる。
「それだけのものが染み込んだ家だ」
「馬鹿げてる」
神崎が言う。
黒田は笑った。
「そう思ってるうちはいい」
「何が?」
黒田は、とおるを指差した。
「でも、この家が誰を気に入ったか分かったら――」
その瞬間。
廊下の照明が一つずつ消えていった。
パチ。
パチ。
パチ。
暗闇が近づいてくる。
黒田の顔から笑みが消えた。
「……もう遅い」
「何が?」
「家が、あいつを選んだ」
黒田が見ている先。
そこにいたのは――
とおるだった。
そして暗闇の奥から、
少年の声が響いた。
「おじさん」
とおるは振り返る。
少年が立っている。
「金を見たい?」
「……いや」
「じゃあ――」
少年は笑った。
「金を見せてあげる」
床が大きく揺れた。
部屋の壁が左右に開く。
その向こうに――
地下へ続く、巨大な階段が現れた。
黒田が呟く。
「……旧神殿への道だ」
そして。
階段の奥から、
大量の金属が擦れる音が聞こえてきた。
ジャラ……
ジャラ……
ジャラ……
まるで、
誰かが大量の金貨を引きずっているような音だった。




