第5話 掴む手
――バタン。
扉が閉じた瞬間だった。
「……っ!」
ジェシカが悲鳴を上げる。
食堂の壁から伸び出していた無数の手が、一斉に動いた。
白い手。
黒ずんだ手。
老人のように皺だらけの手。
子供のように小さな手。
それぞれが壁を這いながら、こちらへ向かってくる。
「走れ!」
神崎が叫んだ。
六人が一斉に出口へ向かう。
しかし――
開かない。
「くそっ!」
神崎がドアノブを何度も回す。
びくともしない。
その背後で、
ズル……
ズル……
手が床を這ってくる。
「こっち!」
まなみが叫んだ。
食堂の奥に、もう一つ扉がある。
全員がそこへ走る。
とおるが最後尾になった。
その瞬間――
右足を掴まれた。
「っ!」
冷たい。
まるで死人の手だった。
とおるは転倒した。
「とおる!」
ゆうこが振り返る。
床から伸びた手が、とおるの足首を強く掴んでいる。
「離せ!」
とおるが蹴る。
しかし、手は離れない。
むしろ力が強くなる。
――ギリッ。
「痛っ……!」
その手が、とおるの足を引っ張った。
身体が床を滑る。
「とおる!」
ゆうこが戻ってきた。
「来るな!」
「嫌!」
ゆうこは、とおるの腕を掴んだ。
両手で必死に引っ張る。
「一緒に行く!」
その言葉に、とおるは一瞬だけ動きを止めた。
自分を必要としてくれる人。
それが、今のとおるにはあまりにも眩しかった。
「……ゆうこ」
「早く!」
とおるはもう一度、足を振り上げた。
その瞬間。
手の指が一本、折れた。
――ボキッ。
手は、とおるを離した。
二人は転がるようにして扉の向こうへ逃げ込んだ。
神崎が扉を閉める。
ドン!
直後。
反対側から、
ドン。
ドン。
ドン。
何かが扉を叩き始めた。
「……来ない」
ひとみが息を殺す。
全員が動かない。
やがて音が止まった。
静寂。
「……助かった?」
ジェシカが呟いた。
神崎は首を振った。
「分からない」
「どういう意味?」
「この家では、逃げたと思った場所が安全とは限らない」
その言葉に、まなみが壁を照らした。
「……見て」
壁に古い文字が刻まれている。
一人を掴め。
その下に、さらに文章があった。
一人を残せ。
そして最後に――
家は満たされる。
「何これ……」
ひとみが後ずさる。
「宗教か?」
神崎が文字を指でなぞる。
「かなり古い」
「この家で何かやってたってこと?」
ジェシカが尋ねた。
神崎は答えなかった。
代わりに、壁の隅にある小さな金属板を見つけた。
そこには、
昭和四十二年
と刻まれている。
「……この屋敷、そんな昔からあるの?」
まなみが驚く。
神崎は首を振った。
「もっと古い」
「なんで分かるの?」
「この金属板は増築工事の記録だ」
「増築?」
「ああ」
神崎が周囲を見る。
「つまり、この屋敷は昭和四十二年に建てられたんじゃない」
彼は壁を叩いた。
コン。
コン。
コン。
「この部屋自体が、後から付け足されたんだ」
とおるは黙って聞いていた。
すると――
壁の向こうから音がした。
カリ……
カリ……
何かが引っ掻いている。
「……また?」
ジェシカが怯える。
しかし、音は手ではなかった。
もっと小さい。
まるで――
子供が爪で壁を引っ掻いているような音。
カリ……
カリ……
そして。
コン。
壁を三回叩いた。
とおるの背筋が冷たくなった。
「……返事?」
まなみが呟く。
神崎が止める。
「触るな」
だが、とおるは壁を見つめていた。
なぜか分からない。
そこに誰かがいる。
そんな気がした。
「……誰か、いるんじゃないか」
「とおる」
ゆうこが止める。
しかし。
壁の向こうから声がした。
「……おじさん」
少年の声だった。
とおるは息を呑む。
「ここ……暗いよ」
「……!」
「開けて」
ゆうこがとおるの腕を掴んだ。
「開けちゃ駄目」
「でも……」
「さっきの子だよ」
「分かってる」
とおるは壁に近づいた。
少年の声が続く。
「おじさんなら、開けられるよ」
「どうして?」
「だって――」
声が笑った。
「この家、おじさんのことが好きだから」
その瞬間。
壁が――
ゆっくりと開いた。
中は真っ暗だった。
その奥に、細い階段がある。
上へ続いている。
神崎がライトを向ける。
「……何階だ?」
階段の脇に、小さなプレートがあった。
そこには、
1F
と書かれている。
「一階?」
ひとみが眉をひそめた。
「俺たちは今、地下にいるはずだ」
神崎が言った。
まなみが階段を見上げる。
「じゃあ、この階段を上ったら……」
とおるが答える。
「二階?」
誰も返事をしなかった。
神崎が一段目に足を置く。
その瞬間。
プレートの文字が変わった。
2F
「……!」
さらに一段。
3F
もう一段。
4F
階段そのものが、上るたびに階数を変えている。
五階。
六階。
七階。
八階。
「止まれ!」
神崎が叫んだ。
しかし――
階段はまだ続いている。
九階。
十階。
十一階。
十二階。
十三階。
十四階。
そして。
十五階。
そこで階段が終わった。
扉が一枚だけある。
古い木製の扉。
その中央に、金色の文字が刻まれていた。
神の家
とおるが息を呑む。
扉の向こうから――
女の声がした。
「……帰って」
今まで聞いたことのない声だった。
悲しそうで。
震えていて。
それでも必死に伝えようとしている。
「帰って……」
そして最後に。
「この家は、あなたを住人にしようとしている」
――ガチャ。
扉の向こうから、
鍵を開ける音がした。




