第2話 五人の遭難者
新しく増えた窓を見上げたまま、とおるは動けなかった。
「……見間違いじゃないですよね?」
ゆうこの声が震えている。
「たぶん……」
そう答えながら、とおる自身も確信が持てなかった。
霧が濃すぎる。
建物が巨大すぎる。
そして、何より疲れている。
六年間の無理がたたって、最近は記憶違いも多かった。
だから自分に言い聞かせる。
疲れているだけだ。
そう思えばいい。
「とりあえず、中に入りましょう」
「え?」
「外にいるより、まだ屋根があるほうがいいです」
ゆうこは迷った。
しかし山の中で夜を迎えるよりはましだった。
二人は再び屋敷へ入った。
玄関ホールには、巨大なシャンデリアが吊り下がっていた。
古びている。
なのに、明かりは点いている。
「電気……本当に生きてる」
とおるは壁に手を触れた。
スイッチがある。
押す。
廊下の照明が点いた。
白い光が、奥へ奥へと伸びていく。
「これだけ設備があるなら、人が管理してるんじゃないですか?」
ゆうこが言った。
「その可能性はありますね」
とおるは答えた。
そのときだった。
「誰かいるんですかー?」
突然、廊下の奥から女性の声がした。
二人は顔を見合わせた。
「……人?」
声の方向へ進む。
角を曲がったところに、一人の女性がいた。
30歳前後。
スポーツウェアにリュック。
髪を後ろでまとめ、周囲を警戒するように見回している。
「人がいた!」
女性は驚いた顔をした。
「あなたたちも遭難?」
「はい」
とおるが答える。
「俺はとおる。こっちはゆうこさんです」
「ひとみです」
女性は安堵したように息を吐いた。
「よかった……。ずっと一人だったから」
「いつからここに?」
「分からないです」
ひとみは腕時計を確認した。
「山に入ったのは昼過ぎだったはず。でも、この家に入ってから時間がおかしくて」
「時間?」
「スマホを見ると、入ってから三時間しか経ってない。でも体感では……」
ひとみは言葉を止めた。
「半日くらい歩いてる感じがする」
とおるは自分のスマートフォンを見る。
時計は正常だった。
しかし、バッテリー残量がおかしい。
山に入る前は八十パーセントほどあった。
今は、
八十一パーセント。
「……?」
一瞬、見間違いかと思った。
電池が減っていない。
むしろ増えている。
「どうしました?」
「いや……なんでもないです」
とおるはスマートフォンをポケットにしまった。
その直後だった。
「おーい!」
遠くから男の声がした。
三人が振り返る。
廊下の向こうから、派手な服装の女性が走ってきた。
小型カメラを手にしている。
「人いたー!」
「ちょっと、走らないで!」
ひとみが注意する。
「大丈夫大丈夫!」
女性は笑いながら近づいてきた。
「私、ジェシカ! 配信者やってます!」
こんな状況なのに、妙に明るい。
「実はこの屋敷、ネットで噂になってたんですよ。だから動画撮りに来たんです」
ひとみの顔が険しくなった。
「あなた、ここが何なのか知ってたの?」
「いや、噂だけですよ」
ジェシカはカメラを掲げた。
「山奥にある謎の巨大屋敷。誰が建てたのか不明。廃村になった場所に突然現れたとか」
「突然?」
とおるが聞き返す。
「うん。昔からあるらしいんだけど、詳しいことは誰も知らないみたい」
ジェシカは笑った。
「でも、まさか本当にこんなデカいとは思わなかった」
彼女は廊下を撮影しながら歩いた。
「ねえ、これ見てくださいよ。ホテルみたい」
「撮影はやめた方がいいと思います」
ひとみが言う。
「なんで?」
「この場所、普通じゃない」
「怖いこと言わないでくださいよー」
ジェシカが笑う。
だが、その笑顔が一瞬だけ消えた。
「……あれ?」
彼女が廊下の先を指差した。
「誰かいる」
全員がそちらを見る。
誰もいない。
「さっき、そこに男の人がいました」
「本当に?」
「うん」
ジェシカはカメラを確認した。
「撮れてるかも」
映像を再生する。
廊下。
誰もいない。
しかし――
画面の端を、
黒い影が横切った。
「……」
誰も喋らなかった。
ジェシカの顔から笑顔が消えた。
「これ……誰?」
そのとき。
別の方向から、
「おーい!」
今度は男の声。
「こっちに誰かいるか!」
四人は声の方向へ向かった。
広い吹き抜けのホール。
そこに、一人の男が立っていた。
35歳くらい。
短髪。
無駄のない体つき。
周囲を警戒している。
「あなたたちも閉じ込められたのか?」
男が聞いた。
「閉じ込められた?」
とおるが聞き返す。
「出口が見つからない」
男は即答した。
「俺は神崎蓮。元警察官だ」
四人の表情が変わった。
「警察官……」
「今は辞めてる。個人的に、この屋敷を調べに来た」
「何か知ってるんですか?」
ひとみが尋ねる。
神崎は少し黙った。
「この屋敷には、過去に何人もの人間が入っている」
「何人も?」
「そして――」
神崎は周囲を見回した。
「帰ってきた人間がほとんどいない」
その言葉に、ジェシカが唾を飲み込んだ。
「……ほとんど?」
「ああ」
神崎は答えた。
「一人だけ、生きて帰ったという記録がある」
「誰ですか?」
「分からない」
「分からない?」
「名前も住所も残っていない。ただ、その人間は警察にこう言ったらしい」
神崎の声が低くなる。
「――『あの家には階段が多すぎる』」
その瞬間。
上の階から、
カツン。
という音がした。
全員が見上げる。
吹き抜けの向こう。
二階の手すりに、
誰かが立っていた。
黒い服。
顔は見えない。
「……人?」
ジェシカが呟いた。
影は動かなかった。
ただ、こちらを見下ろしている。
神崎が腰を落とした。
「全員、下がれ」
その声に反応したように、
影が一歩だけ後ろへ下がった。
そして――
消えた。
「……え?」
ゆうこが呟く。
神崎が階段へ走る。
とおるたちも続いた。
二階へ上がる。
誰もいない。
窓もない。
隠れる場所もない。
「どうやって消えた……」
神崎が呟いた。
そのとき。
とおるは階段の踊り場に、小さなものが落ちているのを見つけた。
拾い上げる。
古い紙だった。
そこには、鉛筆で一行だけ書かれていた。
『五人目が来た』
とおるは顔を上げた。
「……五人目?」
四人がこちらを見る。
「俺たち、今何人ですか?」
とおるが数える。
一人。
二人。
三人。
四人。
そこで止まる。
「……四人だ」
誰も答えない。
その瞬間――
屋敷のどこかで、
女性の悲鳴が響いた。
「――いやあああああっ!」
今まで聞いたことのない声だった。
そして、その悲鳴の直後。
廊下の照明が、
一斉に消えた。




