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『十五階の迷宮 ――神の家から出られない』  作者: こうた


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第17話 屋敷の正体



屋敷が揺れていた。


地震ではない。


床が上下している。


壁が呼吸するように膨らみ、縮む。


天井からは細かな埃が落ちてくる。


「何が起きてる……」


まなみが壁に手を当てる。


「動いてる」


「何が?」


「この家そのものが……」


まなみの声が震えた。


そのとき。


壁の中から、無数の声が響いた。


「出ていかないで」


「ここにいて」


「疲れたでしょう」


「もう頑張らなくていい」


「外は苦しい」


「ここなら何も失わない」


とおるは耳を塞いだ。


だが、声は頭の中へ直接入ってくる。


仕事。


失敗。


怒鳴り声。


眠れない夜。


誰かの期待。


自分への失望。


全部が蘇ってくる。


「……やめろ」


とおるが呟く。


「俺は……」


声が優しくなる。


「あなたは疲れている」


「……」


「ずっと頑張ってきた」


「……やめろ」


「ここなら休める」


とおるの膝が崩れそうになる。


その腕を、ゆうこが掴んだ。


「とおる!」


「……ゆうこ」


「私を見て」


とおるは顔を上げた。


ゆうこの目が、真っ直ぐこちらを見ている。


「ここは、とおるの家じゃない」


「……うん」


「とおるが帰る場所は、ここじゃない」


その言葉で、とおるは少しだけ呼吸を取り戻した。


すると。


老婆の声が響いた。


「そう」


姿のない老婆だった。


「この家は、人間の弱さを餌にしている」


神崎が聞く。


「御堂が作ったのか?」


「最初は、そう」


「最初は?」


「夫は家を神にしたかった」


老婆の声が続く。


「人が苦しめば、家を求める」


「家を求めれば、家は大きくなる」


「人が死ねば、その記憶が家に残る」


「恨みも」


「悲しみも」


「欲望も」


「孤独も」


壁が大きく脈打った。


「何十年も、それを繰り返した」


神崎が呟く。


「つまり……」


「この家は、人間の感情で生きている」


老婆が答えた。


「だから人を呼ぶ」


「疲れた人間を」


「帰る場所を失った人間を」


「誰かを必要としている人間を」


とおるは息を呑んだ。


自分が山へ入った理由。


仕事から逃げたかった。


人間関係から逃げたかった。


何も考えずに休みたかった。


――全部、この家が望む人間だった。


「じゃあ……俺は最初から」


「そう」


老婆が答える。


「あなたは、この家にとって理想的な住人」


ゆうこが叫ぶ。


「じゃあ、私たちは?」


老婆は答えない。


代わりに壁へ文字が浮かんだ。


『家は、住人を必要とする』


『住人は、家を必要とする』


『だから離れられない』


「……逆に言えば」


美奈が呟いた。


「誰も家を必要としなくなれば……」


「家は存在する理由を失う」


老婆が答えた。


そのとき。


廊下の奥から声がした。


「そんなことはできない」


御堂だった。


誰も姿を見ていない。


だが、声だけが響く。


「人間は必ず何かに縋る」


「家族」


「金」


「愛」


「宗教」


「仕事」


「誰かの評価」


「人間は一人では生きられない」


「だから、この家が必要なのだ」


とおるは拳を握った。


「違う」


声が止まった。


「何?」


「誰かを必要とすることと……」


とおるはゆうこを見る。


「誰かに閉じ込めてもらうことは違う」


御堂の声が低くなる。


「綺麗事だ」


「そうかもしれない」


とおるは言った。


「でも、俺は帰る」


「何が待っているか分からなくても」


「また仕事で失敗するかもしれない」


「誰かに怒られるかもしれない」


「また苦しくなるかもしれない」


一瞬、声が震えた。


それでも続けた。


「それでも……自分で選びたい」


屋敷が激しく揺れた。


壁に亀裂が走る。


「……怒ってる?」


ゆうこが聞く。


神崎が答える。


「たぶんな」


その瞬間。


屋敷中の扉が一斉に開いた。


数え切れないほどの部屋。


そのすべてから、人の声が聞こえる。


「選べ」


「一人を」


「残せ」


「誰かを犠牲にしろ」


「そうすれば帰れる」


「誰を選ぶ?」


「とおる?」


「ゆうこ?」


「美奈?」


「ひとみ?」


「まなみ?」


「神崎?」


名前が次々に呼ばれる。


「惑わされるな!」


神崎が叫ぶ。


しかし。


その瞬間、床に一本の赤い線が現れた。


線の先には扉。


扉の上には、


『出口』


と書かれている。


「出口だ!」


まなみが叫ぶ。


全員が走り出そうとする。


だが神崎が止めた。


「待て」


「どうして?」


「簡単すぎる」


神崎が扉を見る。


「この家は、俺たちに出口を見せたことがない」


「……」


「今さら突然出す理由がない」


美奈がノートを見る。


ページが勝手にめくれていく。


そして最後のページで止まった。


そこには――


『出口は本物』


『ただし、開けるには住人を一人選ぶ』


と書かれていた。


全員が黙った。


「やっぱり……」


ひとみが呟く。


「一人を置いていくの?」


その瞬間。


神崎が一歩前に出た。


「俺が残る」


「神崎!」


とおるが叫ぶ。


「俺はもう、ここに戻ってくる理由がない」


神崎は笑った。


「警察を辞めてからも、ずっとこの事件を追ってきた」


「でも、ここで終わりにする」


「お前らは帰れ」


とおるが首を横に振る。


「駄目です」


「なぜ?」


「一人を残す方法は、この家のルールです」


「……」


「そのルールに従ったら、また別の誰かが選ばれる」


老婆が静かに言った。


「その通り」


「じゃあ、どうすればいい?」


「出口の前で……」


老婆の声が途切れる。


「誰も『住人』にならなければいい」


「そんなことできるの?」


ゆうこが聞く。


「できる」


「どうやって?」


長い沈黙。


そして老婆は言った。


「この家を……完成させるの」


全員が顔を見合わせる。


「完成?」


「家が完成すれば、人を呼ぶ必要がなくなる」


「でも、この家は完成していないんだろ?」


とおるが聞く。


「ええ」


老婆が答える。


「だから――」


その声が初めて震えた。


「十五階より上に行きなさい」


「そこに、この家の最後の部屋がある」


「最後の部屋?」


「ええ」


「そこにあるものを壊せば……」


老婆の声が小さくなる。


「この家は、ただの家に戻る」


その瞬間。


天井が開いた。


十五階。


そのさらに上。


存在しないはずの階段が現れた。


十六階。


階段の先から、少年の声がする。


「おじさん」


「……」


「待ってたよ」


そして。


少年は笑った。


「最後の部屋で、待ってるね」


階段の先には――


誰も知らない「十六階」があった。

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