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『十五階の迷宮 ――神の家から出られない』  作者: こうた


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第16話 消えたジェシカ



写真の中に立つ、三人目。


顔は黒く塗り潰されていた。


けれど、とおるには分かった。


その人物が、誰を見ているのか。


三人目は――とおるを見ていた。


「……これ」


ゆうこが写真に触れる。


「いつ撮ったの?」


誰も答えられない。


写真の背景は、今いる食堂と同じだった。


ただし。


写真の中の食堂には、窓があった。


今の食堂にはない。


「この写真……未来かもしれない」


美奈が言った。


「未来?」


「父の記録に、同じような写真がありました」


美奈がノートを開く。


ページには、古い写真が何枚も貼られている。


どれも屋敷の内部を撮影したもの。


だが、撮影日時がおかしい。


一九八二年。


一九九七年。


二〇〇九年。


二〇一八年。


そして――


二〇二六年。


「この屋敷は、時間まで記録している」


神崎が呟く。


そのとき。


食堂の奥から、


カシャ。


という音がした。


全員が振り返る。


古いビデオカメラが、テーブルの上に置かれていた。


ジェシカのカメラだった。


「……ジェシカ」


ゆうこが呟く。


カメラは勝手に再生を始めた。


映像には、ジェシカが映っていた。


「これ見てるってことは……私、たぶん普通じゃないところにいる」


笑っている。


いつものジェシカだった。


だが、その顔はどこか疲れていた。


「この家、私のこと知ってる」


映像の中のジェシカが言う。


「名前も、年齢も、昔のことも」


一瞬、画面が乱れる。


そして。


ジェシカの後ろに、黒い影が立っていた。


「でもね」


ジェシカが振り返る。


影はいない。


「一番怖いのは……」


彼女はカメラに顔を近づけた。


「この家が、私より私のことを知ってること」


映像が切れた。


次の映像。


ジェシカが別の廊下を歩いている。


「とおる!」


声がした。


ジェシカが振り返る。


そこに――


とおるが立っていた。


「……え?」


実際のとおるが息を呑む。


映像の中のとおるは、ジェシカに向かって歩いている。


「待って!」


ジェシカが叫ぶ。


「あなた、とおるじゃない!」


画面の中のとおるが止まる。


そして。


ゆっくり顔を上げる。


顔がない。


真っ黒だった。


映像が途切れる。


誰も口を開かなかった。


「……あれは」


まなみが呟く。


「とおるじゃない」


ゆうこが即座に言った。


「分かる」


とおるが答える。


「俺じゃない」


その瞬間。


食堂の壁から、声がした。


「ジェシカは、そこにいるよ」


少年だった。


全員が振り返る。


少年は壁の中から顔だけを出していた。


「どこ?」


まなみが聞く。


少年は笑った。


「家の中」


「それは分かってる!」


「違うよ」


少年が首を傾げる。


「家の中じゃない」


「じゃあ、どこだ!」


少年は壁を指差した。


「家そのもの」


空気が凍った。


壁の表面が波打つ。


ゆっくりと、人の顔が浮かび上がった。


ジェシカだった。


目を閉じている。


「ジェシカ……」


とおるが近づく。


「触るな!」


神崎が叫ぶ。


しかし。


壁の中のジェシカが、目を開けた。


「……とおる」


声がした。


本物の声。


「聞こえる?」


「ジェシカ!」


「私……死んでない」


全員が息を呑む。


「でも……戻れない」


「今どこにいる?」


「分からない」


ジェシカが泣きそうな顔をする。


「ずっと、この家の中を歩いてる」


「だったら、そこから出ろ!」


「出られない」


「どうして?」


ジェシカはしばらく黙った。


そして。


「私の足が……もうないの」


とおるの顔が強張る。


「代わりに、壁が私を歩かせてる」


ジェシカの顔が歪む。


「私は、この家の目になったの」


その瞬間。


壁のあちこちに、ジェシカの顔が現れた。


廊下。


天井。


階段。


床。


「見える」


ジェシカが言う。


「全部見えるよ」


「何が?」


「この家の中」


ジェシカの視線が、とおるへ向く。


「とおる……逃げて」


「え?」


「この家、あなたを一番欲しがってる」


「どうして俺なんだ?」


「分からない」


ジェシカが泣く。


「でも……」


その顔が突然、苦痛に歪んだ。


「……今、後ろにいる」


とおるが振り返る。


誰もいない。


「誰が?」


ジェシカが答えた。


「あなた」


「……俺?」


「もう一人のあなた」


食堂の奥。


暗闇の中に。


人影が立っていた。


とおると同じ背丈。


同じ服。


同じ姿。


ただし――


顔だけがなかった。


影が一歩近づく。


ゆうこがとおるの腕を掴んだ。


「逃げよう」


影がもう一歩。


「走って!」


全員が駆け出す。


廊下を曲がる。


階段を下りる。


だが。


どこへ行っても影がいる。


前。


後ろ。


横。


天井。


「こっち!」


神崎が扉を開ける。


全員が飛び込む。


扉を閉める。


しばらくして。


外から足音。


――コツ。


――コツ。


――コツ。


止まった。


誰も息をしなかった。


すると。


扉の向こうから、とおるの声がした。


「開けて」


ゆうこが、とおるを見る。


本物のとおるはここにいる。


「開けて」


もう一度。


「俺だよ」


神崎が首を横に振る。


「開けるな」


「でも……」


「絶対に開けるな」


扉の向こうの声が変わる。


「ゆうこ」


ゆうこの顔が強張った。


「俺を置いていくの?」


「……」


「一緒に帰ろう」


ゆうこの目から涙が落ちる。


しかし。


彼女は扉から離れた。


「……違う」


「ゆうこ?」


「あなたは、とおるじゃない」


扉の向こうが静かになる。


そして。


低い笑い声。


「……よく分かったね」


ドン!


扉が揺れた。


全員が後退する。


ドン!


二度目。


三度目。


そして突然、扉が静かになった。


神崎が小さく息を吐く。


「……助かった」


そのとき。


美奈が持っていたノートが床へ落ちた。


開いたページには、新しい文字が浮かんでいた。


『影は人間ではない』


『影は屋敷である』


その下に、父親が書いたと思われる最後の一文。


『この家を壊すには、家自身に「住人ではない」と認めさせる必要がある』


とおるは、その文字を見つめた。


「……じゃあ」


ゆうこが言う。


「どうすれば認めさせられるの?」


誰も答えられない。


その瞬間。


壁の向こうから、老婆の声が聞こえた。


「簡単よ」


全員が振り返る。


「この家が、一番恐れているものを使えばいい」


「何?」


老婆は答えた。


「――誰も、この家を必要としなくなること」


そして。


屋敷全体が、初めて大きく揺れた。

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