第二章 綾乃 エピソード5
僕が、三年間の部活動の中で、唯一活躍した瞬間と言えば大袈裟かも知れないが、本当にそうなのだ。華麗にゴールを決めた訳ではなかったし、相手チームが放ったボールを懸命に止めた訳ではなかった。部員たちの間では、ごく日常的に繰り広げられているようなプレーだったが、僕にとってはそれまでに成し得なかった特別なものだった。
そんな、僕の心の中では華々しい活躍で、部活動を終えた訳だったが、その後に控えていたのは、苦しい受験勉強の日々だった。そちらの方も、一触即発とまでは言わないまでも、狭き門を巡っての攻防が、クラスメイトたちの間で繰り広げられることになった。
すでに出遅れた感のあった僕だったが、僕は遅れた分を取り戻すべく、今度は夢中で机に向かった。その成果が少しずつ、成績に現れていく。
できることならば、辛いことは避けたい。楽な道か、茨の道かと訊かれれば、楽な道を選ぶだろう。人間、誰だってそうだ。だけど、不思議なもので、しんどいことや辛いことをしているときほど、充実した日々を送ることができるのも事実。学校でも家でも、毎日、これでもかと言うほど勉強して、疲れて布団に入る。頭がぼーっとしているが、なぜか達成感のようなものがある。明日も、頑張ってみようと思える。
僕は、もしかしたら、何かにのめり込んでしまうタイプなのかも知れない。いや、熱しやすく、冷めやすいと言えばよいだろうか。部活動で言えば、たとえレギュラーメンバーには入れなくても、呆れられてしまうほどにグラウンドを駆けまわっていたり、受験勉強の場合は、まわりのクラスメイトたちの姿が見えなくなるほどに、頑張り過ぎてしまったりする。勉強をするにしても、普段の生活とのバランスが大事だと先生から言われたが、不器用な僕にとっては、バランスを取るのも至難の業。一度決めたことには、がむしゃらに頑張ってしまうところがあった。
そんな日々を送っていたので、綾乃とのメッセージカードのやりとりは、ほぼ毎日交わしていたのがいつの間にか一日おきになり、それが一週間おきに変わって、一か月間書かない頃には、手紙をやりとりしていたことすら忘れてしまっていた。綾乃は綾乃で、僕とのメッセージカードのやりとりが減るのと入れ替わるように、クラスの中で女友達ができたようで、教室の中で笑顔を振りまく姿を見せていた。
もちろん、綾乃のことを意識しなくなった訳ではなかった。綾乃が、ふとした瞬間に向けてくる視線に、はっとしたことだって何度となくあった。だけど、流されてはいけないような気がして、僕は机に向かうことで、はやる気持ちを抑え込んだ。「これでいいんだ。僕が今やるべきは勉強」と、自分を戒めた。
今振り返ってみて、当時の僕は、単に恐れていたのだと思う。綾乃に近づきすぎて、親しくなってしまうことを。そして、いつか何かの拍子に、綾乃の心が離れていってしまうかも知れないことを。
友達として親しくするだけならまだいいが、綾乃は僕の初恋の相手なのだ。僕のちょっとした言動で、嫌われてしまうことだってあるかも知れないし、綾乃が他の男子に思いを寄せていることを知ったらならば、恐らく数日間は寝込んでしまうに違いない。そのときに負う心の傷を考えたら、あえて綾乃に近づかないと言う選択肢もあり得る。
表向きは、受験勉強のため、でも本当は自分が傷つきたくないから。僕は、卒業を迎える日まで、あえて綾乃に近づかないことに決めたのだった。




