第二章 綾乃 エピソード2
あれは、僕が中学三年生に上がったときのことだった。一輝と雄大と初めて同じクラスになって、僕の心の中は湧き立っていた。担任になったのは、怒ると学校一怖いと噂されていた体育の先生。その先生の口から、「転校生を紹介するぞ」と言われたときは、思わずまわりのクラスメイトたちと顔を見合わせたものだった。
もの静かで、清楚な雰囲気を漂わせていた彼女の名前は、綾乃。控えめな動作で挨拶する姿を見て、他の男子生徒たちと同じく、僕の心の中は高揚した。
やがて、授業が始まった。二年生までとは違って、クラスメイトたちの間では、どこかピリピリとしたものが走っている。その先に控える『入試』という言葉が、全員の頭の上に重くのしかかっているようだった。
それでも、物珍しさと言うものがあったのだろう。一輝たちも含めてクラスの男子生徒たちは、休み時間になると新顔の綾乃にあれやこれやと話しかけていた。僕は、そうした輪には加われずに、離れたところから様子を伺っていたのだが、不思議にも一人また一人と綾乃に興味を示さなくなっていった。
それは、男子たちだけでなく、女子たちも同じだった。最初のうちは、一緒に移動教室に向かったり、お弁当を食べたりしていた女子たちも、次第に綾乃から離れていった。
「あの綾乃って子さ、話しかけても何も話してくれないから、私、一緒にいてもつまんない」
「そうそう、私も図書室に行ってみないって誘ったんだけどさ、暗い顔をしてばかりいて返事をしないの。せっかく誘ってあげたのに、もう、嫌になっちゃう」
そんな女子たちの声が僕の耳に入ってきた。
クラスメイトたちが、綾乃から離れていく中で、僕だけは違った。なぜか、綾乃の控えめな動作が気になって仕方がなかった。授業中は、いつも表情一つ変えることなくノートを取っている綾乃の姿を見ていたし、休み時間には一輝たちとお喋りをしながらも、目は綾乃の姿を追っていた。
そんな綾乃と、話してみたいと思った。だけど、話しかける話題がなかった。それに声をかける勇気も……。
ある日の放課後、部活を終えていつものように帰っていると、一輝が綾乃のこと話題に上げたことがあった。
「あの転校生の女子、なんか変わっているよな」
「そうなんだよね。僕も、勉強で困っていることはないかと訊いてみたんだけど、首を振るだけで何も話さないんだよ」
雄大が、そう返事する。僕は二人に愛想笑いを浮かべながらも、聞き耳だけは立てていた。
「なんか、女子たちが言うには、あの転校生の子、おばあちゃんと一緒に暮らしているみたいだぜ。両親の仲が悪くて、離婚したのかしていないのか、何があったのかは知らないけどよ、とにかく両親とは一緒に暮らせなくなったから、それで転校してきたらしい」
「へぇ、よくそんな情報、仕入れてきたものだね」
「咲だよ。あいつの耳は地獄耳だからな」
一輝の言った咲とは、女子の中で影のリーダー的な存在のクラスメイト。一年生のときから、まわりの女子たちを巻き込んで、何かとトラブルを起こしてきたが、受験を前にしてたいぶ落ち着いてきたという噂だった。
「恥ずかしそうにしていることと言い、自分のことを喋らないことと言い、翔太にお似合いじゃないか。翔太、あの転校生と付き合ったらいいんじゃないか」
突然、一輝が話を振ってきたので、僕ははっと肩を大きく上げて慌ててしまった。
「えっ、ぼっ、僕が? 付き合うって?」
「まんざらでもないみたいだよ。翔太、顔が赤くなっているから」
「そっ、そんなことはないって……」
雄大の言葉に、さらに顔を紅潮させる。
「ははは」と、一輝たちが軽く笑い飛ばして、その話題は終わったが、僕の心の中は、穏やかではなかった。一輝は綾乃のことを、僕にお似合いだと言ったが、そう言われてなぜか嫌な気はしなかった。むしろ、気になっている人のことを話題に上げられて、ハイになった気持ちと言えばよいだろうか。僕は、否定してみせたけれど、なんとかして綾乃に近づきたいと思ったことは、間違いなかった。




