第一章 翔太 エピソード2
「おう、翔太じゃないか。今帰りか。家まで送って行くから、乗ってけよ」
駅前のロータリーでバスを待っていると、目の前に停まった車の開いた窓から、声が聞こえた。
「えっ、あっ、一輝?」
運転席に座っているのが、一輝だとすぐにわからなかったのは、目の前のそれがスポーツカーではなくてくたびれた軽トラだったから。よく見れば、『竹田酒店』と、古風な字体で書かれている。
軽トラに乗ったのは、生まれて初めてだった。そんな僕を横目に、一輝は車がまばらな道路を、制限速度ギリギリで走らせる。
「こないだは、ありがとう」
こないだとは、一緒にボウリングに行ったときのこと。帰りがあんな調子だったものだから、お礼を伝えるのをすっかり忘れてしまっていた。
「あぁ、あのことか。久しぶりに三人で遊びに行けてよかったな。俺たち、最近よく会ってドライブに行ったり、ご飯を食べに行ったりしていてな。それで、翔太も誘おうとなったって訳さ。雄大もいろいろあるみたいだからな」
「そっ、そうだったんだ……」
一輝が雄大の名前を思わせぶりに出して、ほんの少し気になったが、あえて訊き返さなかった。
一輝は、ハンドルを握りながら、正面を見続けている。運転しているのだから当たり前のことだったが、その横顔がどこか真剣だったので、僕は言葉を発することができずにいた。
「俺さ、最近つくづく思うんだけど、俺たちってこの先、どうなってしまうんだろうな」
不意に一輝が口を開いたので、僕は身構えてしまった。
「どうなるって?」
一輝の横顔に、街灯の明かりが一瞬当たる。
「雄大、会社を辞めようかと悩んでいるらしい。あんな一流の会社を、だよ」
「えっ、辞めるって?」
思わず、声が一オクターブほど高くなってしまった。
「確かに、給料はいいらしい。それに同僚たちにも恵まれているみたいだけど、どこか違うらしい。自分がやりたかったことと……」
「そっ、そうなんだ……雄大が……」
「ほら、隣の芝生はなんとかと言うじゃないか。俺なんて、この潰れかけの酒屋を継いでよ、世間からちやほやされている雄大のことが羨ましく思っていたけど、雄大なりに考えていることがあるみたいで、真剣に悩んでいるみたいなんだ。
「……」
その言葉を聞いて、僕はこないだ会ったときの、妙に口数の少なかった雄大の顔を思い浮かべた。難関大学を出て、それに世間で注目を浴びる企業に勤めて、さぞかしプライドが高いんだろうなと思っていた。だけど、そんな雄大に、会社を辞めようと考えるほどの悩みがあったとは、意外だった。
「実を言うとな、俺だってよ、格好つけて地酒の通信販売だなんて大層なことを話したけど、実際はなかなかうまくいっていないんだよ。このご時世、何でも競争だろ。大手の会社が潤沢な資金を使って、地元の造り酒屋を口説いていてな。俺がやっているような、ちっぽけな酒屋が太刀打ちできる隙はないんだ」
そう話す一輝の声は落ち着いていたが、ハンドルを握る手が震えているのが見えたから、心の中は悔しさや不安といった諸々の感情が渦巻いているのだろう。
「そうなんだ……」
それに続く言葉が上手く見つからない。
「でも、翔太は、順調なんだろ。不器用なところはあるけど、なんと言っても翔太は真面目で一生懸命だからな。きっと仕事もうまく行ってるんじゃないか?」
「えっ、いや、そんなことはないけど……」
本当は、思い通りにいっていないことや、この先の未来像を描けていないことを打ち明けようかと思ったが、ただでさえ沈んだ雰囲気がさらに深く沈んでしまいそうで、思い留まった。他に適当な話題が見つからなくて、こないだ会ったときに、僕の知らない間に送り届けてくれたことに触れることにした。
「あぁ、あのことか……」
ほんの少し、一輝の声のトーンが上がったように感じた。
「ごめん。僕、あのとき、疲れていたんだと思う。女の人の幽霊を見たような気がして、多分気を失ってしまったんだと思う。気がついたら次の日の朝だったから、一輝たちに随分迷惑をかけてしまったんじゃないかと思って……」
「ははは、そのことなら気にすることはないよ。翔太は俺たちと違って小柄だからな。背負って歩くことぐらいは、平気だったよ。それよりも……」
「えっ、それよりも……って?」
「思い出さないか?」
「えっ、思い出すって、何を?」
まるで一輝の言っていることがわからなかった。何を思い出すというのだろうか。中学三年生の夏に、一輝が言い出してあの広場で肝試しをしたことだろうか。
あのときは、事前に一輝と打ち合わせをしていた雄大が、白い布を被って目の前に出てきて、僕は腰を抜かしてしまった。後で訊けば、物怖じする僕の性格を変えるために、一輝たちが計画していたようだったが、そんなことを少しも知らなかった僕は、本当に幽霊が出たと思って、慌ててしまった。まぁ、人が聞けば、笑って過ごせる範囲の話に思われてしまうかも知れないけれど、僕にとっては深刻で、あれ以来、暗いところで一人で過ごすのが、なんとなく億劫になってしまっている。
一輝は少し考える素振りを見せていたが、
「いや、翔太が思い出さないのなら別にいいんだ」
と言うと、あっさりと話題を変えてしまった。
なんとなくもやもやとしたものを抱えながらも、わざわざ寄り道をしてまで僕を送ってくれている、一輝の好意を踏みにじりたくなかった僕は、それ以上深掘りしないことにした。
それから車は、夜の住宅街の道路を走り、僕の家の前で停まった。
「また、三人で会って、遊ぼうな」
「うん、そうだね。またいつでも電話して」
最後は明るい声で、そんな会話を交わして、僕は車から降りた。




