第三章 初恋 エピソード2
僕たちが通されたのは、十人ほどが入れそうな大部屋。その部屋しか開いていなかったからだが、そんな部屋に二人きりでいるのは逆に落ち着かない。
「適当に頼んでいいか。僕はアルコールを飲ませてもらうけど、翔太はソフトドリンクだったよな」
そう言って、慣れた手つきでタブレットの端末を操作する雄大。防音が効いた隣の部屋からは、微かに歌声が漏れてくる。
すぐに乾杯用のドリンクが運ばれてきた。どちらからともなく、グラスを手に取って、乾杯をする。広い部屋にグラスを合わせる小さな音が響く。
喉が渇いていたのか、雄大はジョッキのビールを三分の一ほど、一気に飲み干す。「プフェ」と美味しそうに飲むのは、これまでの雄大には似つかない。
「俺さ、大学に行って、経営学を学んでいるんだよ」
切り出すタイミングを見計らっていたかのように、雄大が打ち明けた。
「経営学?」
「あぁ、実は俺さ、自分で会社を興したいと思っているんだ。コンサルティング会社をね」
「コンサルティングの会社?」
テレビなどでよく耳にする言葉だけど、その会社がどんな仕事を請け負っているのかはよくわからない。
「あぁ、僕なりにこの三年間、会社に勤めて色々なものを見てきた。ここをこうしたら経営が改善するんじゃないかとか、売り上げを伸ばしつつ社会に貢献するには、どうしたらいいのかとか、そんなことばかりを考えてきたんだ。そしたら、自分でそういうことを専門にする会社を立ち上げてみたくなってね。会社を持つことは、僕の夢だった。どんなに小さな会社でもいいから、一国一城の主になって、いいときも悪いときも、自分の力でやっていきたいと思っている」
ちょうどそのとき、雄大が注文したフライドポテトや、唐揚げなどの食べ物が届けられた。
お腹を空かしていたと言わんばかりに、雄大はそれをつまみ始める。
「でも、雄大が就職していた会社って、超がつくほどの一流企業だったじゃない」
「何もそこを辞めなくても……」と続けそうになったが、寸でのところでやめた。そんな、ある意味で人生の成功ストーリーから逸れてまで、新しいことを始めようとするからには、よほど何か思いつめていることがあったのだろう。そう思った途端、口が閉じてしまった。
雄大は、ビールの残りを全部飲み干すと、グラスをテーブルに置いた。
「あぁ、みんなそう言う。そのまま会社にいれば、高い給料を貰っていい生活ができるのにってね。でもさ、そんなのはこれまでがそうだったから言えるだけで、これからどうなるかはわからないじゃない。わからないまま、なんとなく過ごすのだったら、自分で何かをやってみたいと思った訳。もちろん、世の中そんなに甘くはないのはわかっているよ。もしかしたら、僕が興した会社が倒産してしまうかも知れないし、そのことですべてを失ってしまうかも知れない」
「あぁ……」
ごくっと、唾を飲み込む僕。
「でもさ、一度限りの人生なんだから、自分で自分の人生の主導権を持ちたい。自分の頭で考えて行動して、その結果をちゃんと受け入れる。そしてまた、鍛錬を重ねて……」
「鍛錬かぁ……」
雄大が漏らした主導権を持ちたい云々の話には、正直言って驚いた。僕の頭の中では、いつも一輝に引っ付いて行動していた雄大の姿が浮かんでいた。悪い言葉で表せば『手下』、よい意味で言えば『協力者』や『仲間』、まっ、どっちでもいいけれど、雄大の考えていることが、いまいちよくわからなかったのは事実だった。
「実はさ、僕、今だから言うけど、中学校のとき、翔太のことが羨ましかったんだ」
「えっ、僕が羨ましい?」
飲みかけていたメロンソーダーを、テーブルの上に戻す。
「サッカー部でのことだよ。翔太、一人で黙々と頑張っていたでしょ」
目を輝かせながら雄大が言ったので、僕はいつもの癖で頭に手を遣ってしまった。
「あぁ、それなら、僕は一度も対外試合には出られなかったけどね。でも、雄大は一年生のときからレギュラーメンバーに入って、活躍していたでしょ。それこそ、僕は羨ましかったけど……」
「あれは、僕が小学一年生のときから、サッカーを習わされていたからだよ。有名なチームだったから、上達しただけ。僕がやりたいと言って、始めた訳じゃなかったんだ」
「そうだったんだ……」
「僕さ、最後の校内試合のときに、翔太にボールをカットされたこと、未だに忘れないよ。翔太にカットされたことで、僕たちのチームは勝てなかった……」
あのときのシーンが、僕の脳裏に蘇る。確かに、僕は雄大の癖を思い出して、足を出した。それがたまたま、雄大がボールを蹴るタイミングと重なっただけだと思っていた。いや、もしかしたら、あのとき雄大は………。ずっと気になっていたことだった。
「でも、あのとき、本当は雄大、手加減してくれたんじゃないの?」
雄大はほんの一瞬、視線を宙に遣ると、眉を寄せて僕の顔を見つめた。
「今だから正直に打ち明けるけど、本当は一輝と話していたんだ。最後くらい、翔太に活躍させてやろうって。でも、僕、翔太の前に立ったら真剣になっていた。僕にとっても、サッカーは最後のつもりだった。だから、僕は我に返って翔太と真剣勝負をしようと思った」
「そっ、そうだったんだ……一輝がそんなことを……」
そう言ったきり、僕は言葉を失った。と言うよりも、一輝がそんなことを考えてくれていたことが、嬉しかった。
思えば、一輝とは不思議な間柄だった。手下の、さらに手下のような立ち位置の僕だった。だから、いつも一輝たちには顔が上がらなくて、子分のようにくっついてばかりだったけど、時々一輝は、引っ込み思案な僕が、自分の殻を破るのを後押ししてくれていた。そういう意味では、一輝は本当の友達だったのかも知れない。
「少し前に、翔太を誘ってボウリングに行ったでしょ。あの後に、一輝が肝試しに行こうって言い出した」
「えっ、うん……」
「あれも、じつは……一輝が仕組んだことだったんだ」
それを聞いた僕は、とっさに昔のことを思い出した。中学三年生の夏に、一輝たちと肝試しに行ったときのことを。あのときは、雄大が白いシーツを被って、僕を脅かしたのだった。
「あぁ、それなら、中学生のときのように、雄大が僕を驚かしたんでしょ。弱気な僕を変えるために……」
「いいや、実は翔太の前に立っていたのは、僕ではないんだ」
「えっ、じゃあ、一輝が? でも確か、細い女の人の恰好をしていたけれど……」
雄大は、わざと一呼吸置くために、いつの間にか注文していたお替わりのカシスオレンジを、一口飲んだ。
「綾乃だったんだ。翔太、綾乃のこと、今でも覚えているでしょ」
「えっ、綾乃?」




