第3話 神代の命刻
「……申請……魔……法?」
エレノアの瞳に激しい困惑が走る。
だが、機兵は容赦なく次の拳を振り上げていた。
白銀の魔導書を胸の前で交差させるエレノアの手が細かく震え、展開された光の障壁は今にも砕け散りそうだ。
──ゴオォォン! ゴオォォン!
落盤した大岩の向こう──塞がれた通路の反対側から、瓦礫を叩くような鈍い音と、必死の叫び声が届く。
「エレノア様! エレノア様、ご無事ですか!?」
「神官様、瓦礫が重すぎて退かせません!」
「おい平民ども! 早く瓦礫を撤去しろ! ローゼンヴァルト家の御子女様を、こんな所で失うわけにはいかんのだ!」
老神官たちの焦燥に満ちた怒号が空しく響く。
「くそっ、動きが速すぎる……!」
迫り来る結晶の巨躯を前に、レオンは全身から脂汗を流した。
戦闘経験のない自分では、背中に近づくことすら叶わない。
「エレノアさん! アイツの背中に回り込みたい! どうにかして、一瞬だけでも背中を無防備にできませんか!」
「な、何を言っているのですか!?」
エレノアは銀縁眼鏡の奥の瞳を見開いた。
「一発でも掠れば、平民のあなたなど即死するのですよ!」
「俺の『申請魔法』が上手く動けば、止められるかもしれない! 信じてください!」
レオンのまっすぐな視線を受け、エレノアは焦りを押し殺すように、胸に抱えた魔導書の表紙をトントン、と指先で二回叩いた。
視線を落とせば、魔導書に灯る光は消えかけている。
魔力はもう底を突きかけ、このままだと二人とも死ぬ。
「……っ、分かりました! どうせこのままでも全滅です。一か八か、あなたの策に乗ります!」
ドゴォン!!!
激しい打撃音が響き、瓦礫の向こうから鉱夫たちの悲鳴が上がる。
「行きますよ! 左右に分かれて!」
エレノアの合図と同時に、二人は左右へ飛び出した。
直後、限界を迎えた『聖光の結界』がガラスのように粉々に砕け散る。
機兵の二つの赤い眼球が、不気味な駆動音を立てて焦点を合わせた。
ターゲットに選ばれたのは──レオン。
「しまっ──」
レオンの焦りをあざ笑うように、機兵の結晶の拳が空気を切り裂いて超高速で振り下ろされた。
避けることなど不可能な速度。
(死ぬ──!)
レオンが目を瞑った瞬間、ドパァン! と、彼の身体の表面で何かが激しく弾けた。
エレノアが咄嗟にレオンに付与していた、極薄の、だが高密度の神聖バリア。
それが身代わりとなって粉砕され、レオンの身体は泥の中をごろごろと転がった。
「っ、っは……っ!」
骨は折れていない。
だが、身代わりを失ったレオンは完全に無防備だ。
「何をしているのです、早くゴーレムから離れて!!」
背後からエレノアの悲痛な叫びが響く。
彼女は残された全魔力を白銀の魔導書へと注ぎ込み、地を這うように両手を突き出した。
「『大いなる大地よ、主の敵を拒み、その足枷となれ』──【聖断】!!」
放たれた光撃は、機兵本体ではなく、機兵が踏み締めていた強固な石畳の足元へと直撃した。
ズズズズズッ!!!
凄まじい地割れが走り、機兵の足元が陥没する。
巨躯のバランスが大きく崩れ、右半身が瓦礫の穴へとその全高の三分の一ほど沈み込んだ。
自由を奪われ、激しく駆動音を立てて藻掻く機兵。
エレノアは口元から血を流し、膝を突きながら叫んだ。
「今です! ゴーレムが抜け出す前に早く!!」
「おおおおおっ!」
レオンは泥を蹴って走った。
不安定に揺れる機兵の左腕を掴み、よじ登る。
結晶の冷たい感触が指先を刺す。機兵がレオンを振り落とそうと激しく暴れる中、レオンは必死に手を伸ばし、その煤けた背中へと飛び移った。
その瞬間、レオンの手元で『原典筆』が共鳴するように激しく発熱した。機兵の背中に刻まれた文字列が、煤を焼き払うようにして、まばゆい黄金の光を放ちだす。
レオンの網膜に、厳格で硬質な文字列が展開されていく。
【原初命刻 第04号】
名称:守護者
対象:ベルグラード第一晶坑
管理権限者:星導賢者 アストリオン
命令:侵入者の排除
停止条件:管理権限者による停止命令
「よし……! やっぱりコイツ自体が書式なんだ!」
「エレノアさん! 停止条件がありました!」
エレノアの声には、純粋な困惑が混ざっていた。
「……停止条件? なにを言っているのですか!?」
レオンは、激しく暴れる機兵にしがみついたまま、ハッとした。
エレノアは、目の前で黄金に輝いているこの明快な記述を、まったく見ていない。彼女の視線は、ただの煤けた鉄塊に向けられている。
(この画面……俺にしか見えてないのか!?)
エレノアは必死に声を張り上げる。
「神代守護機兵は、創世時代から命令だけを遂行する存在です! 一度与えられた命令を、人が変えることなどできません。だから誰も止められないのです!!」
彼女の説明が、レオンの耳の奥で響く。
変えられない。誰も止められない。レオンは息を呑みながら、黄金の文字列を凝視した。
(管理権限者……『アストリオン』。停止条件……管理権限者による停止命令)
その瞬間、羊皮紙の文字を二重線で消し、
『治療対象:ミレナ』と書き加えたあの場面が脳裏をよぎる。
(待てよ……このゴーレム自体が書式なら、あの時と同じじゃないのか?)
レオンの瞳が見開かれる。
なら、命令を書き換えれば──!
レオンは迷わず『原典筆』を走らせた。
【命令:侵入者の排除】の文字へ二重線を引き、『停止』と書き加えようとした、その瞬間。
──ブゥゥン!!!
【権限不足】
【管理権限者以外による命令の編集は許可されていません】
「っ……!」
筆先が弾かれたように止まり、黄金の文字列は一切書き換わらない。
(駄目だ……! 命令そのものは編集できない!)
歯を食いしばった、その時。
レオンの視線が、一つ上の項目で止まる。
【管理権限者:アストリオン】
(……命令を書き換えられないのは……管理権限者が俺の名前じゃないから……?)
(だったら──)
レオンの瞳が大きく見開かれた。
「この『アストリオン』って名前を消して、俺の名前で上書きすれば!!」
エレノアの声が激しく上擦る。
「今、何と言いました……!? なぜあなたがその名を──!」
レオンは白銀の筆先を突き出し、迷いなく真一文字に走らせた。
力強く一本。
そして、もう一本。
黄金の空間に、迷いのない二重線が引かれる。
世界を構築する厳格なインクを、白銀の穂先が綺麗に否定していく。そして、二重線の真下の空白へと、レオンは自身の名を一気に「申請(書き足)」した。
【レオン・アルヴェル】
書いた瞬間、ノイズのように黄金の文字列が激しく明滅した。
直後、否定された神話の文字が塵のように消え去り、世界のルールがカチリ、と冷徹な音を立てて組み替わる。
【管理権限者:レオン・アルヴェル】
直後、先ほどはレオンを峻烈に拒絶した、仕様書の別の一行が激しく脈動した。
【命令:侵入者の排除】
その文字列が、まるで新たな主の入力を待つように、圧倒的な黄金色へと染まっていく。
(よし……! 今なら、命令の編集が許可される!)
レオンは筆の穂先を力強く滑らせた。黄金の文字へ迷いのない二重線が引かれ、世界のルールから『侵入者の排除』が静かに消去されていく。
そして、その真下の空白へ、レオンは新たな命令を迷わず一気に書き記した。
──『停止』。
カチリ──。
世界の歯車が、正しく噛み合うような硬質な音が響いた。
ドクン。
機兵の心臓部にあたる結晶核が、一度だけ大きく脈打つ。
直後、全身を巡っていた禍々《まがまが》しい黄金の光が、ふっと嘘のように霧散していった。
レオンを粉砕せんと狂ったように駆動していた巨躯から、完全に力が抜ける。
ギギギ……と重苦しい金属音を立てながら、巨大な機兵はゆっくりとその場に膝を突き、目の奥の赤い明滅を、静かに消灯させた。
ただの、強固な石像へと戻っていく。
背後から一部始終を見ていたエレノアが、信じられないものを見る目でそれを見上げていた。
名門魔導士の総力を以てしても傷一つつけられなかった神代の怪物が、平民の少年の一言で、完全に沈黙したのだ。
静寂が戻った坑道で、レオンは筆を握りしめたまま、かつて神話の賢者が座していた場所に自身の名前が刻まれた、黄金の仕様書を見つめていた。




