第13話 受け継がれし王紋
煙を上げる崩壊寸前の砦を、一人の男が崖の上から冷徹に見下ろしていた。
禁式魔導士シド。
背後には、打ち砕かれて地に転がった敵国の旗が何本も風に揺れている。
「……つまらないな」
シドの乾いた声が響く。
強固な防壁も、彼の施す「禁式魔法」の前には脆弱な瓦礫へと化していた。
シドが手元の魔導端末へ視線を落とした、その時だった。
画面の端に、禍々しい赤色の異常ログが突如として明滅する。
【対象:皇国イザナ王家固有書式】
【識別状態:正常】
【異常処理:反転処理】
【状態:消去】
【原因:正規申請処理】
【実行者:不明】
シドの目が細められる。
反転処理の間、この術式は本来の識別名を失い、『イザナ家固有書式』へと強制的に書き換えられているはずだった。偽の名称へと格落ちさせていたはずのデータが、今、完全に復元されている。
「……正規申請?」
退屈そうな笑みが完全に消え去る。
血走った目が画面を射抜いた。力任せの破壊ではない。世界の理に従った正規で正式な手続き。
「馬鹿な……。俺の禁式を仕様ごと上書きする権限を持つ存在など……」
端末を握り締めるシドの口元が、やがて歪な歓喜へと大きく釣り上がった。
「……いるはずがない。おもしろい……ようやく姿を現したか。世界の理を揺るがすバグめ」
◇
交易都市の薄暗い路地裏。
激しい戦闘の余韻が残る中、レオンとアイリスは息を飲んで眼前を見つめていた。
アイリスが恐る恐る口を開く。
「あの……さっきの言葉。あなたが……皇国イザナの殿下……本物の、王子様なんですか?」
大男は深く被っていたフードをゆっくりと外した。
露わになったのは、幾多の修羅場を越えてきた者だけが持つ、威厳に満ちた精悍な顔立ちだった。
「改めて名乗ろう。俺の名はレイガ・イザナ。皇国イザナ第一王子だ」
「ヴァルドと申します。不肖ながら、長年殿下の側仕えを務めております」
老執事が恭しく一礼する。
レイガは自身の右肩──白銀に輝く王紋へ視線を落とし、静かに語り始めた。
「俺は数年前から、この身体に宿る不条理な変調に苦しんでいた。イザナ王家に代々受け継がれる王紋の力が、正しく働かなくなったのだ。原因を突き止めるため、身分を隠して各地を巡っていた」
ヴァルドが沈痛な面持ちで一歩前に出る。
「……本来、イザナ王家の王紋は、戦場における味方の能力を底上げする至高の補助術式。それが何者かの手で『反転』させられました。力を発動すればするほど、殿下ご自身と周囲を弱体化させる枷に変えられていたのです。高位の神聖魔導士でも、原因に触れることすら叶いませんでした」
レイガはレオンへ向かい、一国の王子でありながら真っ直ぐに頭を下げた。
「礼を言う。お前がいなければ、俺はあの枷に縛られたまま路地裏で朽ち果てていただろう」
「い、いえ! 俺はただ……」
慌てるレオンに、レイガの鋭い視線が向けられる。
「だが一つ聞きたい。なぜお前には、俺の身体の異常が解った? そして、なぜそれを元に戻せた?」
「それは……見えたんです」
「見えた?」
「はい。レイガさんの肩の王紋から、光る文字の羅列……『書式』のようなものが展開されるのが見えました。そこに『異常処理』や『反転処理』という項目が表示されていて……俺の魔法で、それを初期状態へ戻す申請を行いました。おかしくなっていたものを、元の仕様へ戻しただけです」
レイガとヴァルドの身体が硬直した。
レイガが老執事へ視線を送る。
「ヴァルド。そのような芸当ができる魔導士を知っているか?」
「……いえ。聞いたこともございません。王紋の内部構造を視認し、外部から仕様の復元申請を行うなど前代未聞。そもそも殿下の『王家固有書式』は、イザナの血を引く者のみに発現する構造。本人すら見ることは叶いませぬ」
ヴァルドの目が鋭い警戒の色を帯び、レイガの耳元へ囁く。
「殿下。この方にこれ以上、我が国の情勢を話すのは……あまりにも底が知れなさすぎます」
レイガは片手を上げて制した。
「ヴァルド。命を救われた相手に隠し事などできん。それに彼の目を見ろ。力を求めて企む者の目ではない」
レイガは改めてレオンを見つめた。
「それで……その魔法は、何という名だ?」
「『申請魔法』、です」
「申請……? 流石は神聖魔導士を多く擁するアルディア王国だ。特任諮問官にそれほどの秘奥を任せるとは──」
「いえ、違います!」
レオンは手を振った。
「俺たちは正規の諮問官じゃありません。適性検査で追放された身です」
天啓盤で申請魔法が発現したこと。
妹のミレナの呪いを治すため、預かった徽章で諮問官の真似事をしていること。旅商人バルツを捜していること──包み隠さず明かした。
「バルツ……だと?」
レイガが眉をひそめると、ヴァルドが即座に頷いた。
「間違いありません。数日前、街道沿いで妙な商人に声をかけられました。こちらの身分を探るように視線を送り、『呪い除けの薬』を売りつけようとしてきた、妙に口の上手い……片足を引きずり気味に歩く男でしたな」
レオンとアイリスが顔を見合わせる。
「……バルツだ!」
「うん、捕まえてミレナの呪いの手がかりを吐かせよう」
レイガは満足そうに頷いたが、すぐにその表情をわずかに硬くした。
「本来ならば我が王家として、相応しい報賞を今すぐ与えるべきなのだが……今の我が国は政変の危機に瀕している。一刻も早く本国へ帰還せねばならん。だが──」
レイガはレオンの正面へと一歩踏み出した。
「これは褒美ではない。借りだ。俺は、お前に命を救われた」
そう言うと、レイガは自身の右肩──
気高く眩い白銀の光を放つ王紋へと、大きな掌を強く当てた。
次の瞬間、ジジ…ッと大気が震え、王紋からひとすじの眩い光のラインが剥がれ落ちた。
まるで、紋様そのものの欠片を切り取ったかのように。
「レイガ……さん……!?」
レオンが息を呑む間もなく、レイガはその白銀の光を、レオンの胸元へと迷いなく押し当てた。
ガキン──ッ!
世界の理が正しく書き換わる、あの重厚な硬質音がレオンの脳内に直接響き渡る。
レオンの視界の虚空に、鮮烈な金色の文字が一瞬だけ弾けた。
【王家固有書式】
補助対象追加:申請受理
実行待機:承認
(……なっ……!?)
文字の意味を咀嚼する間もなく、その文字列はレオンの身体へとスッと溶け込み、消え去った。
それと同時に、レオンの胸の奥から湧き上がるような、微かだが途切れない脈動が宿るのを感じた。さらには隣に立つアイリスの周りにも、優しく寄り添うように光の粒が舞った。
「……王紋の一部だ」
レイガは低く重厚な声で告げた。
「王紋は王家の血に刻まれる守護だ。本来なら他人へ渡るものではない。……だが、お前はその資格を示した。受け取れ」
レオンは己の手を握り締め、驚愕に目を見張った。体の底から疲労が引いていき、魔力の巡りが圧倒的に滑らかになっている。
「その王紋は、お前をイザナの客人として迎える証だ。……必ず来い。イザナは恩を忘れぬ。また会おう、レオン」
レイガはフードを深く被り直し、静かに背を向けた。
ヴァルドとともに雑踏の中へ消えていくその背中には、国を背負う王族としての確固たる威風が満ちていた。
馬車乗り場へ向かう道すがら、アイリスが不思議そうに己の手のひらを見つめながら呟く。
「なんだか……すごく身体が軽いよ!不思議と、全然疲れないの」
「ああ……すごいな、これ。並の衛兵なら何人来ても問題なさそうだ」
レオンは歩きながら、静かに自分の胸元に手を当てた。
自分の知らない深層で、レイガから託された白銀の王紋が、今も脈打つように二人を守り続けている。
ただ助けられただけじゃない。
大国の王子の力をその身に宿し、二人はバルツを追うべく、ロザリアのさらなる奥地へと足を踏み出した。




