第11話 刻まれた書式
ガタゴトと、耳に馴染んでいた車輪の響きが止まった。
馬車が辿り着いたのは、ロザリア地方でも屈指の規模を誇る交易都市だった。
石造りの建物と異国風の尖った屋根が並び、アルディア王国の王都とは一線を画す、雑多で泥臭い活気が満ちている。商人、冒険者、傭兵、旅人──多様な肌の色と装束の人間が交差し、往来を埋め尽くしていた。
馬車を降りた乗客たちが思い思いの目的地へ散っていく中、山賊に襲われた冒険者三人組だけは、納得がいかない様子で首を傾げていた。
「しかし……さっきの山賊、なんだったんだ?」
「俺たち、あんな雑魚に力負けして押されるなんて初めてだぞ」
「酒の飲みすぎで頭でもバグってたんじゃねぇか?」
ぼやき合う彼らから少し離れた場所に立つ二人組へ、レオンは視線を固定していた。
フードを深く被り、周囲を威圧する巨躯を縮めた大男。その隣に影のごとく控える老執事。
(違う。山賊が強かったんじゃない。あの場にいた全員の力が、何かに狂わされていたんだ。そして……あの男の肩に弾けた、あの激しい黄金の輝き……)
原典筆を扱う際に現れる『書式』の光と、完全に同じ質のものだった。
「レオン?」
隣から顔を覗き込まれ、レオンはハッと我に返った。
「まずは、あの旅商人バルツの手掛かりを探さないと。ね?」
「ああ……そうだな。悪い、ちょっと考え事をしてた」
レオンは二人組から目を逸らし、アイリスの後に続いて雑踏へ踏み出した。
◇
大通りを歩きながら、アイリスは懐かしそうに周囲を見回した。
「ここ、昔はお父さんと一緒によく来たの。あそこの果物屋さん、まだ残ってる……昔、あのおじさんの荷台にぶつかっちゃって、すごく怒られたっけ」
「へぇ。やんちゃなのは昔からか」
「む……失礼だなあ。私だって普通の子供だったよ?」
頬を膨らませるアイリスの口元には、柔らかな笑みが浮かんでいた。
しかし通りを行き交う重武装の男たちへ目をやると、その表情がふっと陰る。
「……でも、変わっちゃったね。昔は国同士の争いなんてほとんど聞かなかったのに。今はどこを見ても傭兵や兵士ばかり……」
切なげに視線を落とすアイリス。
その横顔には、故郷への思いと忍び寄る不穏への焦燥が揺れていた。
歩調を合わせながらも、レオンの頭には一つの問いが深く沈み込んでいた。
(古代のゴーレムだけじゃない。人間にも『書式』が存在する……もしそうなら、俺がまだ視認できていないだけで、この世界のあらゆるものに──)
「……レオン?」
「いや、なんでも──」
レオンが言いかけた、その瞬間だった。
「どけ! どけぇーーっ!」
悲鳴と怒号が響く。
御者を失った一台の荷車が、狂ったように暴走して大通りを突っ込んできていた。人々が蜘蛛の子を散らすように逃げる中、若い商人の娘らしき幼い少女が、恐怖でへたり込んだまま取り残されている。
荷車の車輪が少女へ迫る。
走って助けに向かうには、距離がありすぎた。
「止まって……!」
アイリスは、一瞬で荷車を描き上げると叫んだ。
『固定!』
瞬間──荷車の巨体を少女の寸前で完全に停止させた。
「おお……っ!?」
「今のは魔法か!? 助かったぞ!」
歓声と安堵の吐息が広がる。
レオンは少女の無事を確認しながら、アイリスの手元を静かに凝視した。
(やっぱり、アイリスの魔法は……)
「……珍しい魔法だな」
背後からの低音に、レオンとアイリスは同時に振り返った。
立っていたのは、あの馬車のフードの大男だった。隣には無表情な老執事。
大男は警戒するレオンたちを気にする素振りもなく、アイリスの手元をじっと見つめた。
「その魔法、どこの神殿で申請した?」
「えっと……申請、ですか?」
アイリスは首を傾げ、困惑したように笑った。
「すみません、よく分からなくて。私、気付いた時にはもうこの魔法が使えていたので……」
大男のフードの奥の目が、大きく見開かれた。
身体が一瞬、衝撃を受けたように微かに震える。
「……申請をしていない、だと……?」
大男が横の老執事へ視線を送る。
老人はその動揺を正確に汲み取り、驚きを覆い隠すように深く頷いた。
「可能性の一つとして、記録しておきましょう」
「そうだな。……邪魔をした。話を聞かせてくれて助かった」
大男はそれだけ告げるとフードを被り直し、老執事とともに雑踏の奥へと消えていった。
◇
「さっきの人たち……」
二人の背中が見えなくなるまで見送っていたアイリスが、声をひそめた。
「やっぱり、あの馬車の人たちだよね。……なんだか、変だった」
「変?」
「うん。昨日の山賊の時……あの大男さん、あの体格なら絶対に強いはずなの。それなのに、あの時の動き……まるで何かに捕まれているみたいに不自然だった」
レオンは周囲の状況を確認し、人気の絶えた物陰へアイリスを誘導した。
「アイリス。実は昨日、俺には見えたんだ」
「見えたって、わたしの時みたいに?」
「……あの大男の服が裂けた時、身体から、あのゴーレムと同じような『光る文字』が一瞬だけ展開された」
アイリスが息を呑む。
「文字って……書式が、人間の身体に?」
「ああ。人間そのものにも『書式』が存在するのかもしれない。そしてあの男にも、何らかの力が宿っているはずだ」
◇
街の片隅にある上質な宿屋の一室。
扉が閉まると同時に、大男はフードを大きく払いのけた。
右肩から首筋にかけて露出した白銀の紋様。
かつて精緻に輝いていたそれは、今は黒く澱んだ色へ変色し、まるで生き物のように淡く脈打っていた。
「……あの少女」
男が重苦しく呟く。
「興味深い魔法だったな。神殿の定めた型にはまっていない。もしや、我らの求める──」
衣服を整えるため歩み出た老執事が、恭しく頭を下げた。
「はい。ですが……どれほど優れた魔導士であっても、これまでは」
男は、己の肩を覆う黒い紋様を固く握りしめた。
紋様が拒絶反応を示すように、ピリピリと鈍い光を放つ。
「ああ。どれほど高位の神聖魔導士を連れてきても……この『呪い』を解くことはできなかった」
老執事は哀切を滲ませ、静かに目を伏せた。
「本国からの督促が届いております。我々に残された時間は多くありません」
「分かっている」
男は黒い紋様をさらに強く圧し折るように握った。
「……早く、この呪いを解かなければ。このままでは……俺は、国へ戻れない」




