コラボ動画のノイズ
その夜、琴音ちゃんがコラボ動画の撮影のために、アコースティックギターを抱えてやってきた。
たぶん、家の中は臭くない……と思う。
あの後、消臭剤を蒔き直したり、この部屋の匂いに慣れてしまった嗅覚を使うため、一度外に出て戻ってきて匂いを確かめる、という地道な努力もやったのだ。
鼻を抜けるのは人工的なシトラスの香り。
……その奥に、ほんの一瞬だけ、あの腐臭が混ざった気がしたが、俺はあえて気づかないフリをした。
邪魔だった奏多の布団は押し入れに放り込み、なんとか撮影スペースは確保できた。
今回の動画の企画はこうだ。
僕たちがいつもやってるオカルト体験の一環として、奏多が怪談話をして、それに合わせて琴音ちゃんがメロディだったり、弦を弾いてリアルタイムで音響効果を入れるのだ。普通に音楽を流すより、活きた音を入れた方が場が盛り上がる、という発想だった。
琴音ちゃんが部屋に入ってきた瞬間に、女の子独特の柔らかいシャンプーの匂いが広がって、いつもの自分の部屋では嗅いだことのない香りに包まれる。
それだけじゃなく、いつもこの場にいない人がいるというだけで、いい意味の違和感を感じてしまう。
怪談をするために、小さめのテーブルとロウソクを用意した。電気を消す前にロウソクに火をつけていると、琴音ちゃんが心配そうな顔をした。
「これ、火災報知器とか、ならないのかな?」
「あ、確かに……。いや、でも誕生日ケーキのロウソクで報知器が鳴ったって話、聞いたことないし大丈夫じゃない?」
僕がそう言うと、琴音ちゃんは「あ、そっか……!」と恥ずかしそうに小さく笑った。
だが、すかさず奏多が驚いた顔をして、
「本当だね!! じゃあ窓開けてからやろうか!」
と言ったので、そうすることにした。
夜と言っても暑いので、冷房はそのままつけておく。
窓を開けると、熱を帯びた夜風と一緒に、外のじっとりとした闇が部屋に流れ込んできた。
ご近所迷惑にならないように、声や音は少し抑えてすることになった。
僕がカメラをセットし、部屋の照明を落とすと、早速、奏多が琴音ちゃんに動画の内容を伝えていた。
それが終わると、撮影スタートだ。
奏多はネットで探した怪談話をいくつか合体させ、しかもまるで自分自身が見てきたかのような迫真の語り口で話し始めた。
こうやって改めて彼の話しぶりを見ていると、自分はやはり出演側には向いていないな、と思ってしまう。緊張する様子もなく、ペラペラとアドリブを交えて話す姿は、ある種の天性の才能なのかもしれない。
そして、琴音ちゃんの効果音がまた素晴らしかった。特に、弦を鋭く弾く音。怖いことが始まる直前の絶妙なタイミングで鳴らされ、一気に現場の恐怖を加速させる。
僕は今まで、奏多の怪談話を聞いて恐怖を感じたことなんて一度もなかった。なのに、いつの間にか握りしめていた手の中に、じっとりと冷たい汗をかいているのに気がついた。部屋は冷房で涼しいはずなのに、背筋に嫌な寒気が這い上がってくる。
……そして、やはり。
ノイズが、混じっている。
奏多が話す声や、琴音ちゃんが奏でるギターの音には、それは一切ない。
だけど、琴音ちゃんが口を開き、言葉を発するその瞬間にだけ――ごくごく僅かに、「ジ……」と、耳の奥を引っ掻くような不快なノイズが混じるのだ。
きっと他の人間が聞いても、わからないレベルだろう。
人より少しだけ耳が良い僕だからこそ、気づいてしまう異変だった。
怪談話が終わると、一旦ロウソクの火を消し、部屋の電気を点けた。
カメラは止めず、そのまま二人は感想を話し合う。
やはり、終わってすぐの方が、リアルな生の感想を視聴者に伝えやすいのだ。
「初めての試みでしたけど、聞いててすっっごく怖かったです……!」
琴音ちゃんが少し興奮気味に言うと、奏多も満足そうに笑みを浮かべた。
「だよね! 俺も話しながら琴音ちゃんの音を聞いてたら、どんどん気分がノッてきてさ。いつもよりずっと怖く話すことができたよ!」
二人が楽しそうに笑い合っている姿を、僕はカメラの液晶画面越しに見つめていた。
光に照らされた二人が、まるで四角い画面の向こう側の、遠い世界にいるように思えてしまう。胸の奥で、じわじわと疎外感と羨ましさが混ざり合う。
だけど、表舞台に出られない小心者の自分にとっては、この機材の後ろこそが一番居心地がいいはずなのだと、静かに自分に言い聞かせた。
僕は二人の邪魔にならないよう、そっと窓へと歩み寄り、サッシを閉めた。
――ガタタ、と窓が閉まった、その瞬間だった。
部屋の中が不自然なほど「無音」になった。
いつもなら窓越しに微かに聞こえるはずの蝉の声が、まるで世界から消え去ったかのように、一切届かなくなる。
この部屋の空気の異常な密度。
まるで、音という音をすべて吸い取ってしまう『何か』が、この狭い空間に満ちていくような不気味な静寂だった。




