出逢いのノイズ
アパートに戻ると、奏多がテンション高い声と笑顔で俺を出迎えた。
「響! 例のコラボ相手と、これから近くのファミレスで飯食いながら打ち合わせすることになったぞ!」
「え……、どの人……?」
動画再生数も登録者数も最近伸びが悪い。なので俺たちは、登録者1000〜5000人位のYouTuberに、俺たちとコラボしてくれないかDMを何通か送っていた。
「あの子だよ!! 琴音ちゃん!!」
「あ、ああ……」
正直、覚えていなかった。適当にDMを送って、何通か断りの返事が来たが、大抵は無視されて終わりだった。
どんな子だろう……。素直に興味が湧いた。
無視する人間が多い中、わざわざ返事をして、しかもコラボしていいとは、どんなにいい人なのだろうか。
早まる気持ちを抑え、平然とした表情を作りながら、駅前のファミレスに向かった。
ファミレスに入ると、客の話し声や皿のガチャガチャ当たる音、そして食欲をそそるハンバーグの香ばしい匂いに出迎えられた。
奏多は、当然のように琴音ちゃんの顔を覚えており、顔を見るなり軽く手を挙げ、一人で座っている、彼女の元へと向かっていく。向こうも動画に顔を出している奏多の顔を認識しているようで、笑顔で会釈をしてくれた。
俺の顔は、もちろん動画に出ていないので知らないだろうが、奏多が事前に一緒に動画を作っている俺も来ると言ってくれていたので、大して驚いた顔はされなかった。
「はじめまして! 『ことねの弾き語りチャンネル』の高橋琴音です。今日はコラボの打ち合わせ、よろしくお願いします!」
小柄で髪の長い彼女が、滑らかな声で挨拶をした。親しみやすく、愛嬌のある笑顔に好感が持てた。
僕が、すぐ気に入ったのにはもう一つ理由があった。
僕たちと同じ、音楽に関する名前だったからだ。
奏多が同じように明るい声で挨拶を始めた。
「こちらこそよろしく!! 『奏響のオカルト・スポットライト』の奏多です! こっちは響!!
琴音ちゃんみたいに可愛い子とコラボできるなんてほんとありがたいです!!」
奏多はこういうことを言うのが本当にうまい。
僕はなかなか、スッと上手に話せないので少し羨ましいと思った。
茶髪で今風のオシャレな髪型の奏多に対し、僕は性格にピッタリ合った黒髪なので、見た目を変えたら性格も変わるのかな? なんて関係のないことを考えてしまった。
アコースティックギターの弾き語り動画でじわじわと登録者数を伸ばしている彼女は、底辺YouTuberの僕たちにとっていわば少しだけ「先輩」にあたる。登録者数も3000人程度と、俺たちより2倍近く多いのだ。
奏多がテンション高く企画の提案をするのを、彼女は「うん、うん」と笑顔で頷きながら熱心にメモを取っていた。
――その時だった。
人より圧倒的に耳が良い僕の感覚が、微かな『違和感』を捉えた。
「……?」
彼女が喋るとき、ほんのわずかだけ、特定の母音の発音が不自然にこもるし、ノイズのような物が聞こえる気がした。
それに、奏多がテーブルの左側から身を乗り出して話しかけたとき、彼女は一瞬だけ反応が遅れ、不自然に右耳をこちらに傾けるような仕草をした。
声のトーン、空気の振動のわずかな狂い。
けれど、今は和やかなコラボの打ち合わせの真っ最中だ。僕は「気のせいか」と、その小さな違和感を頭の隅へと追いやった。
「――それでね、実は二人にお願いというか、ちょっと話しておきたいことがあって」
パフェのスプーンを置き、琴音ちゃんが少しだけ真面目な顔をして、自分の左耳のあたりにそっと手を添えた。
「私、数週間前に急に、左耳が『突発性難聴』になっちゃったんだよね」
「え……難聴?」
奏多が声を詰まらせる。音楽の配信をしている彼女にとって、耳の病気は文字通り致命傷のはずだ。
「うん。お医者さんにも、原因はわからないけど、もう元には戻らないかもって言われちゃって」
奏多が心配そうな顔をして琴音ちゃんの顔を覗き込んだ。
「原因不明とか怖くない?」
「うん……耳鳴りがずっとじゃないけど、ひどいんだよね。しかも変な耳鳴りで、音楽? みたいにも聞こえるの。歌ってばっかりいるからかな?
でもあんまり気持ちのいい歌じゃないんだよね……」
「それって……!! どんな歌ですか!?」
僕はあまりのことに、立ち上がりそうな勢いで身を乗り出した。頭の中には昨日の不気味な音楽がハッキリと流れている。
速くなる鼓動と共に、背中に冷や汗が伝っていくのがわかった。
「え……?」
琴音ちゃんは明らかに引いていたけど、苦笑しながらその美しい歌い慣れた声でそれを再生しだした。
「〜……ラララ、ラララ〜……みたいな」
そのほんの少しのメロディが頭の中のメロディとガッチリ一致した。
その一瞬で今まで感じていた、嗅覚を占領するハンバーグの匂いが消え失せ、代わりに泥の水臭い匂いに埋め尽くされたような感覚になる。
俺はあまりの恐怖に吐き気さえ覚え、口を押さえた。背中の汗でTシャツが気持ち悪く背にくっつき始めていた。
「響? 大丈夫か? 顔真っ青だぞ……?」
この反応からして、奏多は昨日の音を覚えていないのだろう。
琴音ちゃんに言うか?
……いや、解決策もない今、ただ闇雲に言って怖がらせるわけには……。
僕が一人で頭をフル回転させていると奏多が、口を開いた。
「でも、落ち込んだんじゃない? 歌うたうって聴力大事だろうし……」
「うん……最初はすっごい落ち込んだし、ギターも動画も全部やめようかなって思った。……でもね!」
琴音ちゃんは顔を上げ、僕たちの目を真っ直ぐに見つめて、ひまわりが咲いたような笑顔を浮かべた。
「片耳しか聞こえなくたって、右耳はバッチリ生きてるし、音楽だって絶対に続けられる。だから、今回のコラボも絶対に妥協したくないの。二人と一緒に、たくさんの人に届く最高の動画を作りたいんだ!」
その言葉に、僕は胸を強く打たれた。
毎月の数千円の収益に腐り、深夜に醜い喧嘩をしていた僕たちが、どれだけちっぽけで情けない存在だったか。片耳の光を失ってもなお、前を向いて泥臭くYouTubeを頑張ろうとする彼女の姿は、あまりにも眩しかった。
同業者として、心からの尊敬の念が湧き上がる。
それと同時に、僕の胸の奥で、今まで感じたことのない温かい気持ちが、静かに芽生え始めていた。
この人を応援したい。この人と一緒に良い動画を作りたい、と。
「琴音ちゃんて凄いね……」
僕はそれだけしか言えなかった。でも彼女はその一言だけでも嬉しそうに微笑んでいた。




