犯人のノイズ
コンビニの帰りは行きより少し雰囲気が明るくなり、歩調も軽く帰ってきた。するとアパートの敷地内で、不審な黒い人影を見つける。
「――おい! そこで何してるんだ!」
僕の部屋の前に怪しい液体を撒こうとしていたその人影に向かって、奏多が声を荒らげる。
スマホのライトで照らし出されたのは、ひどく痩せ細った、虚ろな目をした中年の人物だった。その手のひらは、あの車にぶちまけられていたものと同じ、真っ赤な油絵の具でドロドロに汚れている。
「お前たちだろう……。あのトンネルで、カメラを回してヘラヘラ笑っていた奴らは……」
犯人の口から漏れたのは、低く、だけど地の底から響くような激しい憎悪がこもった声だった。
「あそこは、あの子が……耳が聞こえなくて、誰にも助けてもらえずに、一人きりで暗闇の中で潰されて死んだ場所だぞ!
なのに、お化けが出ただの、呪いだのと、お前たちは再生数のためにあの子の死を玩具にしやがった……! 許せるわけがないだろう!」
叫ぶ犯人の目から、大粒の涙が溢れ落ちる。
その必死な訴えに、僕たち三人は一歩も動けなくなった。遊び半分で心霊スポットへ行き、他人の本当の悲劇を踏みにじっていた自分たちの不謹慎さが、鋭いナイフのように胸に突き刺さる。
その時、犯人の『ある違和感』に気づいた琴音ちゃんが、一歩前に出た。
犯人は激昂して言葉を発しているが、どこか僕たちの声を正確に聞き取っておらず、唇の動きを必死に凝視しているように見えたのだ。
琴音ちゃんは、涙を流しながら、おもむろに自分の両手を胸の前に突き出した。
そして、指先や手のひらを複雑にしなやかに動かし、犯人に向けて『何か』を訴えかけ始めたのだ。
それを見た犯人が、ハッと目を見開いて動きを止めた。
激しい憎悪に満ちていた彼の表情が、一瞬で驚きと、深い悲痛の色に塗り替えられていく。
犯人は真っ赤な絵の具のついた自分の手を掲げ、琴音ちゃんの動きに応じるようにして、同じように手のひらを激しく、だけど丁寧に動かし始めた。
声のない、手の動きだけで交わされる、二人だけの静かな会話。
「琴音ちゃん……。今、何をしてるの?」
僕が戸惑いながら声を潜めて尋ねると、琴音ちゃんは手を動かしたまま、涙声で答えた。
「手話よ……。私、施設にボランティアで行っていたから、少しだけ手話ができるの。
この人、あの崩落事故で亡くなった男の子の……ご親族の方よ」
手話を通じて明かされたのは、あまりにも悲しい真実だった。
犯人は亡くなった子供の父親であり、生まれつき耳が聞こえなかったあの子の力になりたくて、あの福祉施設を支援していた。自分も我が子のように耳が聞こえないのでその施設で育ったらしい。
すうっと納得できた部分があった。
……だから無言電話だったんだ。こっちからどんなに呼びかけても聞こえない。相手には伝わってなかったのか。
もしかしたら、何か話したくてかけてきていたのかもしれない……。
『あの子が寂しくないように、みんなでお地蔵様を守ってきた。琴音ちゃんが施設で無料でギターを弾いてくれた時、本当に嬉しかったから、感謝を込めてあの手作りのミサンガを渡したんだ。
……それなのに、君たちが動画であのトンネルを面白おかしく弄んでいるのを見て、裏切られたと思って、頭がおかしくなりそうだった……』
犯人の手話の内容を、琴音ちゃんが泣きながら通訳してくれる。
ミサンガは呪いの道具なんかじゃなかった。元々は、純粋な『感謝の印』として手渡されたものだったのだ。それが、僕たちの不謹慎な配信を見た遺族の深い絶望と怒りによって、本物の怪異を呼び寄せる最悪のトリガーに変わってしまったのだ。
「……本当に、ごめんなさい」
奏多が、頭を地面につくほどの勢いで、深く深く頭を下げた。
「俺たちが馬鹿でした。再生数のために、人が亡くなった場所を遊び半分で汚して……本当に、申し訳ありませんでした……っ!!」
僕も琴音ちゃんも、涙を流しながら一緒に何度も頭を下げて謝罪した。琴音ちゃんは、僕たちの言葉を一つも取りこぼすことがないよう、しきりに手を動かし、手話で伝えてくれているようだった。
他人の痛みに寄り添えなかった自分たちの未熟さを、これほど激しく後悔した日はなかった。




