真意のノイズ
結局、本屋で適当に時間を潰し、きっちり二時間が経った頃、僕はアパートへと戻ってきた。
階段を上りながら、まだ胸の奥にはモヤモヤとした怒りが燻っている。自分の部屋のドアの前に立ち、あえて大きめの音を立てて鍵を回し、ノブを引いた。
「ただい……」
――パーン、パーン!!!
入った瞬間、静まり返っていたはずの暗闇から、鼓膜を震わせる鮮烈な破裂音が二発、同時に響き渡った。
「うわっ!?」
僕が驚いて肩を跳ね上げると同時に、部屋のシーリングライトが一斉に点灯する。
「響、誕生日おめでとうーー!!」
クラッカーの煙の向こうから飛び出してきたのは、満面の笑みを浮かべた奏多だった。
眩しい光に目を細めながら部屋を見渡して、僕は完全に絶句した。
いつもの僕の殺風景なワンルームが、カラフルなバルーンや、手作りの紙の輪飾りで天井まで埋め尽くされている。ローテーブルの上には、小さなロウソクが灯されたデコレーションケーキまで用意されていた。
「あ……え……? 何、これ……」
状況が掴めず呆然と立ち尽くす僕の前に、琴音ちゃんがちょこちょこと歩み寄ってきた。彼女の両手には、丁寧にラッピングされた小さなプレゼントの箱が握られている。
「響くん、ごめんなさい……! 急に追い出しちゃって、本当に怒ってどこかに行ってしまったらどうしようって、私、ずっとハラハラしてて……」
顔を少し赤くしながら、本当に申し訳なさそうに、だけど心からホッとしたような優しい笑顔を僕に向けてくる。
今日が自分の誕生日ということすら忘れていた。数日前までは覚えていたはずなのに。
「琴音ちゃんガチで緊張しててさ、抱き寄せた時なんて顔真っ赤にして目ぇ泳がせまくってんの。
作戦とはいえ、俺、響に殴られるかと思ったわ!」
奏多がケラケラと大爆笑しながら、僕の肩をバシバシと叩いた。
――そうか。あの不自然な目配せも、よそよそしさも、全部僕を驚かせるための演技だったんだ。
さっきまでのイライラなんて、どこかへ綺麗さっぱり吹き飛んでいた。
耳が良いせいで、いつもは人の悪意や嫌なノイズばかりを敏感に拾ってしまう僕の耳に、今は二人の温かい笑い声と、クラッカーからひらひらと舞い落ちる色紙の微かな擦れ音だけが、最高に心地よく響いていた。
「……ありがとう。びっくりしたけど、すごく嬉しい」
僕は照れ隠しに頭を掻きながら、心の底からの笑顔を二人に返した。
少し場が落ち着いたところで、僕の頭にふと、冷静な疑問が浮かび上がってきた。
「え? ……ってことは、二人は付き合ってないの?」
「え!?」
琴音ちゃんは一瞬だけ丸く目を見開いて驚いた顔を見せ、それから悪戯っぽくカラッと笑ってみせた。
「それは、ないない!! 私、どっちかと言えば響くんのほうがタイプだから〜」
「ぶっ、何言ってんだよ琴音ちゃん!」
奏多が麦茶を吹きそうになりながらツッコミを入れる。
たとえ冗談半分のノリだったとしても、その言葉は僕の心にじんと染み渡るように温かかった。録音して永遠に保存しておきたいくらいの、僕にとっては人生最高の言葉だった。
奏多も最初からその気は一切なかったようで、琴音ちゃんの爆弾発言を聞いてもショックを受ける素振りなんて微塵も見せず、ただケラケラと楽しそうに笑っていた。
間違いなく、僕の心に一生残り続ける特別な誕生日プレゼントになった。
ケーキのロウソクの炎が、部屋を温かくオレンジ色に照らしている。
それからは、三人で買ってきたケーキを囲んで、これからのYouTubeの動画作成や、将来やりたいことについて賑やかに夢を語り合った。
「俺らのオカルトチャンネルも、今回のコラボ動画で一気に登録者伸びるんじゃね!? 4年になったら本格的に就活で忙しくなるし、今のうちにバズらせておきたいよな!」
奏多がフォークを片手に、無邪気な笑顔でこれからの配信計画を熱弁する。
「あはは、期待しちゃう。私も今回のコラボをきっかけに、ネットでの活動をもっと本格的に頑張りたいな。普通の演奏だけじゃなくて、色んなことに挑戦してみたい!」
琴音ちゃんもミサンガのついた手首を軽く弾ませながら、未来への希望に目を輝かせていた。
二人とも、昼間のトンネル調査で『お水を供えた』ことで、それまでの恐怖から完全に解放された気になっていたのだ。
「……あ、そうだ」
奏多が思い出したように、ローテーブルに置いたペットボトル入りの綺麗な水を指差した。
「昼間にお水供えたけど、琴音ちゃんの耳鳴り、あんまり変わらなかっただろ? やっぱりさ、怪異って夜に活動するもんだし、お供えの仕上げとして、今度は夜にお水を供えに行った方がいいんじゃないか?
そしたら呪いも完璧に解けて、耳もすっきり治る気がするんだよ」
「夜に……。でも、大丈夫かな?」
琴音ちゃんが少し不安そうに僕を見る。けれど、昼間のあの拍子抜けするほどの安全さを経験した僕たちには、もう前のような強い警戒心は残っていなかった。
「昼間にあれだけ何も起きなかったんだし……サッと行って、お水を置いて帰ってくるだけなら、大丈夫じゃないかな」
僕のその一言が、決定打になった。
「よし、決まり! 呪いを完全に解いて、琴音ちゃんの耳を治すためにも、今夜もう一度あのトンネルに行こうぜ!」
奏多が明るい声で提案する。
まさか、その『夜のトンネル』が、僕たちの輝かしい未来を叩き潰す最悪の地獄になるなんて、この時の僕たちは一ミリも疑っていなかったんだ。




