二人のノイズ
数日後の夜、また僕の部屋に三人で集まった。
いつものようにローテーブルの周りに座り、結露のできた冷たい麦茶のグラスを傾けながら話をする。ふと、奏多が琴音ちゃんに真面目な目を向けた。
「琴音ちゃん、あれから耳は? どう?」
琴音ちゃんは少し首を傾げて、自分の左耳を軽く触りながら答えた。
「うーん……あんまり変わらないんだよね〜」
「そっか〜……やっぱり、昼間にお水を供えに行くだけじゃダメだったのかなぁ〜」
その時、二人が不自然に目配せをしたような気がした。
すると、さっきまで神妙な顔をしていた奏多が、急に僕との距離を詰めてきて、猫撫で声のような甘い声を出してきた。
「なあ〜、響。お前さ、二時間ぐらいどっか行ってきてくれない?」
「はぁっ!? 何だよそれ! ここ、僕の家なんだけど! え、何言って……」
二人を交互に見ながら、まさか……? と最悪の想像が口から出そうになると、奏多はニヤニヤしながら僕にさらに顔を近付けてくる。
「わかるだろ? この意味」
そう言うと、奏多は僕の目の前で、琴音ちゃんの肩をぐっと自分の体の方へ抱き寄せた。
はぁっ!? なんなんだよコイツ!! 人の部屋をなんだと思ってんだよっ!!
抱き寄せられた琴音ちゃんは琴音ちゃんで、顔を真っ赤に染めて、泳ぐように目を激しく左右に動かしている。完全に二人の世界ってことか。
今すぐ怒鳴り散らしたいところだったが、女の子である琴音ちゃんの前で取り乱すのも恥ずかしい。
「……わかったよ」
僕は怒りと情けなさを無理やり胃の奥へ抑え込み、財布とスマホだけを掴んで家を飛び出した。
夜の屋外は、昼間の刺すような暑さに比べれば過ごしやすいはずだった。だけど、湿度が異常に高いのか、ベタッと肌にまとわりつくような不快な熱気がある。胸の内のイライラも手伝って、額にじっとりとした汗が浮き出てくる。
どこに行こう……。コンビニの立ち読みで二時間も潰せるわけがないし、近くの大きな本屋にでも行くか……。
それにしても腹が立つ。親友だと思っていた奏多に、こんな形で裏切られるなんて。
あれ? ていうか、18歳に手を出していいんだっけ? 法律的にどうなんだろ? 高校生に?
同意あればいいんだっけ……。
……ま、いいか。俺に関係ないし……
歩きながら頭を冷やしているうちに、僕の思考は自然と、この数日間ずっと頭を離れなかった『呪い』の謎へと引き戻されていった。
ゆうくんは、どこであの歌を、あの恐ろしいメロディを聞いたんだ?
姉はトンネルなんか連れて行ってないと言っていた。
ハッと気が付き、僕は夜の歩道で思わず足を止めた。
――そうだ。ゆうくんが歌った時、僕の耳には『ノイズ』が聞こえてこなかった。
あの『ジ……』という不快な音が、怪異そのものや、呪われた人間からしか聞こえない音なのだとすれば……ゆうくん自身は、まだ呪われていないんじゃないか……?
子供は霊的なものの影響を受けやすいと聞く。ゆうくんは、無意識のうちに琴音ちゃんの持つメロディをその純粋な脳で読み取ってしまい、それを口ずさんだだけにすぎないのかもしれない。
だとしたら、ゆうくんはまだ無事だ……。
まだ憶測の域は出ないけれど、それだけで胸の奥を塞いでいた重苦しい塊が、フッと軽くなるのを感じた。ずっと心配で堪らなかったのだ。大切な甥っ子に何かあったらどうしようと、不安を感じない日は一日だってなかった。
安堵から再び足を進め、僕はさらに考えを巡らせる。
じゃあ、琴音ちゃんを縛っている呪いの本質はなんなんだ? やっぱり、あの左手首のミサンガか?
トンネルの中央にあったお地蔵様。そこに巻かれていたものと、琴音ちゃんのミサンガの編み方は酷似していた。……それを彼女に渡したのは一体誰だ?
お地蔵様、ミサンガ、そして彼女がボランティアで行ったという福祉施設。大昔にトンネルの崩落事故で亡くなった子供……。
そこは、一体何の施設だったんだろう。
……こればかりは、部屋に戻ってから琴音ちゃんに直接詳しく聞く方が早そうだ。
まだ、琴音ちゃんの呪いを解くための本当の鍵が、すべては揃っていない気がする。
僕はそんな予感を抱きながら、時間を潰すために、夜の街の明かりの中へと歩いて行った。




