表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私が不要と捨てた元婚約者が身の程を知らずに「ざまぁ」を企てているようですが?  作者: あとりえむ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/12

第7話:愚者の断罪劇2

舌先で転がした年代物の赤ワインは、深い果実の甘みと、舌の粘膜を刺すような重い渋みを孕んでいた。



グラスの縁を指の腹でゆっくりとなぞる。

極限まで薄く作られたクリスタルガラスの冷たく滑らかな感触が、私の研ぎ澄まされた神経に心地よい刺激として伝わってくる。


大広間を埋め尽くすシャンデリアの幾千もの光が、赤ワインの液面に反射し、まるで小さな血の池が私の手の中で揺らめいているかのようだった。



私の視界の先、大広間の中央で、ひどく滑稽な動きをする極彩色の道化が一人、何かを甲高い声で喚き散らしている。



過剰なフリルとレースで無様に着膨れし、呼吸もままならないほどに腹をコルセットで締め上げたあの男──ジュリアン。


彼が口を開き、息を吐き出すたびに、安っぽい薔薇の香水と、汗でドロドロに溶けて腐臭すら放ち始めた白粉の臭いが、このVIP席までダイレクトに漂ってきそうだった。


彼の甲高く裏返った声は、黒板を硬い爪で引っ掻かれるような、非常に不快な摩擦音として私の鼓膜を絶え間なく打つ。



「どうした、ヴィクトリア! 何か言い訳があるなら言ってみろ! いつものその傲慢な口調で、俺を見下してみろ!」


その言葉を聞き、私は手にしていた黒革の扇をゆっくりと開き、口元を隠した。扇の裏側で、私の唇が微かに、しかし決定的な弧を描いて歪む。


下腹部の底から、甘く、ドス黒い蜜のようなものがとろりと溶け出し、背骨の髄を伝って脳髄へとジワジワと這い上がってくる感覚。



愚か、という言葉すら生ぬるい。


彼は今、自分が突きつけられている刃の向きすら、その刃が自分の首の皮一枚のところで止まっていることすら理解していない。



私の背後の椅子にピタリと張り付いているクロードの体温が、尋常ではないレベルにまで跳ね上がっているのが、背中越しに痛いほど伝わってくる。


まるで燃え盛る暖炉を背負っているかのような圧倒的な熱量。彼の喉の奥からは、常に獲物の喉笛を噛み千切る直前の獣のような、低く不気味な唸り声が響いていた。


彼が私の椅子の背もたれを握る手から、ギリギリと木材が粉砕されそうな音が鳴る。



「……ヴィクトリア様、ご命令を。今すぐあの汚らわしい肉塊の喉笛に食らいつき、あの男の舌を引き抜き、両目をくり抜いて、この広間の大理石を赤く染め上げる許可を」


クロードの声は、絶対零度の吹雪のように冷酷で、同時に、私に対する狂気的なまでの熱と忠誠心を孕んでいた。


彼の殺気が、目に見える物理的な刃となって大広間の空気を鋭く切り裂いている。


周囲の貴族たちが押し黙り、恐怖でグラスの酒すら飲めずに微動だにできないのは、ジュリアンの言葉に驚愕しているからではない。私の背後から放たれる、常軌を逸したこの狂犬の魔力と殺意に、生物としての本能が完全に警鐘を鳴らし、筋肉を硬直させられているだけなのだ。


大広間の中で、ジュリアンただ一人だけが、その温度差と真の恐怖に気づかず、己の勝利の熱に脳を溶かされている。



私は、グラスを持たない方の手で、背後に立つクロードの腕にそっと触れた。厚い服の上からでもわかる、鋼のように隆起し、極度に緊張した筋肉。


それが怒りと殺戮衝動で小刻みに震えている。


私の冷たい指先が触れた瞬間、彼の震えがピタリと止まり、その暴発しそうな殺意が一時的に私の体温によって鎮火され、甘い服従へと塗り替えられるのがわかった。


「待ちなさい、クロード」


「言ったでしょう? 最高の音楽は、彼が歌い終わった後に始まるのよ。彼が最も高い音を出し切り、喉が張り裂けるまで、私たちは特等席でこの滑稽な喜劇を鑑賞しなければならないわ。焦って舞台を壊してしまっては、つまらないでしょう?」


私は扇の向こう側で、目を細めた。



大広間の中央で、ジュリアンが息も絶え絶えになりながら、顔を真っ赤にして、それでも必死に頭上に掲げているあの羊皮紙の束。リリアーヌを使って彼に『盗ませた』、特殊な魔法のインクで書かれた偽の不正記録。


彼がそれを声高に読み上げ、完全な勝利を確信すればするほど、私の盤上での彼の「詰み」はより完璧で、より残虐なものへと仕上がっていく。



顔面を脂汗でテカらせ、コルセットの苦しさに胸を不自然に上下させながら、ジュリアンはなおも絶叫を続けている。彼の瞳孔は完全に開ききり、脳内麻薬にどっぷりと浸かった、破滅への階段を喜々として駆け上がる足音が私の耳にははっきりと聞こえるようだ。



「さあ、この証拠書類を前にして、ひざまずけ! 王室の裁きを受け、お前たちアシュクロフト家のすべてを没収されるがいい!」


ジュリアンが、最後の台詞を言い放った。

その瞬間、彼の顔には、この世のすべての歓喜を煮詰めたような、下劣で、そして最高に美しい絶頂の表情が浮かんだ。


彼は肩で激しく息をしながら、自分が世界の支配者になったかのような恍惚とした表情で、私を真っ直ぐに見据えている。彼の脳内では、私が涙を流して床に這いつくばる姿が映っているのだろう。




「……終わったかしら」


私はゆっくりとワイングラスをテーブルに置いた。

カツン、という小さなガラスの音が、死の静寂に包まれた大広間に吸い込まれる。



私は椅子から静かに立ち上がり、黒革の扇をパチンと鋭い音を立てて閉じた。その一瞬の動作だけで、広間全体の空気が、物理的な重さを持って数段階深く沈み込んだのがわかる。


私の中の魔力が、目覚めを促すように体内で静かに脈を打つ。



私は、ドレスの裾を滑らせ、ゆっくりと彼に向かって歩き出した。ヒールの音が、静寂の海に氷の波紋を広げていく。


背後からは、私の影を踏むように、殺意を完全に抑制したクロードが音もなく付き従っている。



ジュリアンの数歩手前で立ち止まり、彼を真っ直ぐに見下ろした。

私の冷え切った絶対零度の瞳と、彼の熱に浮かされた濁った瞳が交差する。彼の息遣いの荒さが、鼻につく香水とともに私の顔に吹きかかる。




「ずいぶんと、見苦しい囀りだったわね。それが、貴方の命を懸けた断罪劇のすべてかしら?」


私の低い、一切の熱を持たない声が、物理的な質量となって彼にぶつかる。



ジュリアンの顔から、一瞬だけ勝利の笑みが引きつり、ひび割れて剥がれ落ちそうになるのが見えた。

私は、彼が握りしめている羊皮紙の束へと、ゆっくりと視線を落とし、極上の微笑みを浮かべた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

t_title_novel.png
t_novel_ws t_novel_ainado.png t_novel_at.png t_novel_dz.png t_novel_saihate.png t_novel_oshituma.png
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ