第三話 写真をしまう
筒の中身は、フィルムだった。
現像済みのネガが、巻いたまま押しこまれていた。引き出してみると、途中で途切れている。
鋏で切ったらしい、まっすぐな断面。
3切れ。机に並べて定規を当てると、どれも20センチほどだった。
蛍光灯に透かしても、像が小さくて何も読み取れない。
じいちゃんの家には、暗室がある。フィルムカメラが趣味で、家の北側の一部屋を潰して、現像も引き伸ばしも自分でやっていた。
俺は子どもの頃からそこに入り浸って、手順を体で覚えた。
主のいない家に、埃と定着液の匂いがこもっている。
暗室の赤い灯りをつける。流しの現像トレーの底に、乾いた水の跡が、薄い輪になって残っていた。
引き伸ばし機にネガを挟み、ピントを合わせる。印画紙を置き、露光のスイッチを入れる。
待つ間、ここでじいちゃんに教わったとおり、指を一本ずつ折って秒を数えていた。
スイッチを切り、印画紙を現像液に沈める。
赤い光の下で、白い紙に、少しずつ灰色がにじんできた。
*
写っていたのは、人だった。
裸の男。両腕と両脚を大きく広げた大の字で、真っ黒な背景の中にいる。
3切れのネガは、同じ体をそれぞれ別の角度から撮っていた。
目は閉じている。顔の造りが大きく、彫りが深い。
肩から腕にかけて、筋肉が太い綱のように何本も盛り上がっている。
そして、耳。
両方の耳たぶに、穴が開いていた。装身具の穴にしては、大きすぎる。
拳がそのまま通りそうな、丸い穴。
周りには、比べるものが何も写っていない。岩や道具どころか、人の影すらない。
定規を当てかけて、やめた。
印画紙を乾かす間に、書斎の棚から古記の写しを抜いた。
『朔土風聞抄』。北の土地の伝承を寄せ集めた写本で、研究所では誰も真面目に取り合っていない。
じいちゃんだけが、付箋を貼って何度も読み返していた。
付箋の頁に、その一節がある。
日を追ふ大人、耳に二つの穴あり、北の海の辺に住む。
前の隊の資料では、骨の主に「環耳巨人群」という仮の名前がつけられていた。耳の穴の形から取った、ただの作業用の呼び名だ。
古記の言い方にならえば、大人の一族。
山を跨ぐ巨人の昔話なら、この国のどこにでもある。ダイダラボッチ。
けれど、耳に穴の開いた巨人の話を、俺はこの写本のほかで読んだことがない。
乾いた写真の中で、大人は仰向けに寝ていた。
背景が黒一色だから、そう見えた。
*
翌朝、写真を封筒に入れて研究所へ行った。
隊長に見せるつもりだった。研究室にいなかったので、収蔵室を覗く。
隊長は、ガラスケースの前に一人で立っていた。壺を見ている。
目を見開いたまま、まばたきをしていない。
足元の影が、動いていた。
隊長の体は止まっているのに、床に落ちた影だけが、縁から細かく波打っている。何本にも分かれ、伸びて、縮む。
みんな汚染されている。誰も信じるな。
ドアの蝶番が、きい、と鳴った。
「誰です」
隊長が振り向く。
影は、人の形に戻っていた。
「俺です。隊長、ここにいたんですか。探してました」
封筒を、ズボンの後ろのポケットに押しこんだ。
「少し、見ておきたくて。何か用でしたか」
「装備のことで、ちょっと」
「装備なら心配いりません。……ああ、ちょうどいい。畑野くんの分のリストです」
隊長はクリップボードを差し出した。ザイル、ヘルメット、寝袋、折りたたみスコップ。
スコップの横に、手書きで「エンピ」と書き足してある。
「エンピは各自、腰に下げてください。ザックの中だと、いざというとき出せませんから」
「了解です」
「それと、予定が変わりました」
隊長は俺の横を抜けて、収蔵室のドアを閉めた。
「国の都合で、出発を前倒しします」
「いつですか」
「明日です。今日中に支度を済ませてください」
尻のポケットで、封筒の角が曲がる感触がした。
*
家に戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。
ザックに寝袋を詰めている途中で、紙袋に入れたままのサングラスを思い出した。
ベランダに出る。空は高く、雲が薄く流れている。
サングラスをかけて、太陽を見上げた。
黒い塊が、あった。
太陽のあるはずの場所に、輪郭の定まらない黒いものが浮かんでいる。表面が絶えず波打ち、そこから細い触手が、数えきれないほど伸びて揺れている。
外す。
白い太陽。縁ににじむ金色。
もう一度かける。
黒い塊。うねる触手。
そのまま、周りを見回した。隣のマンションの外壁、電線、物干し竿、向かいの屋根のアンテナ。
どれも、いつもの形をしていた。
外す。白い太陽。
目の奥が、じんと痛んだ。
俺はサングラスを部屋に持って入り、机の上のケースに収めた。蓋を閉じると、小さく、ぱちんと鳴った。




